[過去ログ] ルンルンマリコ率いるブランド力 女天下日本大学の成績表 (1002レス)
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163(3): 2023/01/05(木)21:17 ID:ZCWnCyos(18/25) AAS
大日本気象学会初代会長・山田顕義と二代・榎本武揚は
函館戦争で敵味方
外部リンク:news.yahoo.co.jp
大日本気象学会の誕生
明治8年(1875年)6月1日、内務省地理局に現在の気象庁の前身となる気象係(通称は東京気象台、
気象庁の前身)が、H.B.ジョイネルを招聘してできています。
このとき、ジョイネルから指導を受けていた正戸豹之助は、明治15年(1882年)5月に勉強会として
東京気象学会を作っています。そして、明治16年2月からは荒井郁之助が会長となり、
明治17年12月には山田顕義が名誉会長となっています。
明治20年1月に東京気象台が中央気象台に改称されていますが、その翌21年1月、日本気象学会の
前身である大日本気象学会が東京気象学会を母体に誕生しています。
初代会長に山田顕義が就任し、幹事長は荒井郁之助で会員数は約250名でした。
明治23年8月に官制改革により中央気象台に台長を置くことになって初代台長に荒井郁之助が就任します。
従って、気象庁の初代長官は、新井郁之助ということになります。
そして、大日本気象学会は、山田顕義の逝去に伴い、明治25年12月から
榎本武揚が第2代会長になり、約10年間、会長職を努めます。
明治元年の函館戦争では、北海道・函館市にある五稜郭に立籠る蝦夷共和国軍
(旧江戸幕府軍)の総裁・榎本武揚と陸軍奉行・大鳥圭介、海軍奉行・
荒井郁之助に対し、官軍(新政府軍)の海陸軍参謀・山田顕義、
陸軍参謀・黒田清隆、海軍参謀・増田虎之助が攻めています。つまり、
函館戦争での敵味方が大日本気象学会の初代会長と二代会長です。
なお、大日本気象学会が日本気象学会になったのは、昭和16年(1941年)7月です。
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