統帥権の運用と集団的自衛権行使容認の憲法解釈 (580レス)
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302: 2015/06/09(火)09:46 ID:49QZmXiE(1/3) AAS
要するに>>297の主張は、自衛隊のような実力組織は、憲法が禁じる戦力に該当するという考えが出発点にあるわけだ。
そうであるなら、たとえ政治的に必要であったとしても、純法学的には自衛隊を合憲とするのは不可能であるはずだ。こうした妥協的解釈は法学的にはアウトである。
つまり、仮に必要性を認めたとしても、許容性は認められないのである。
そしてその出発点に密接に関連して、自衛権はあるが行使できないという独自のドグマが存在している。
そのドグマ自体が独自のものであり、極めておかしいことは既に述べたとおりである。
さらに言うなら、主権の一部である自衛権行使を法的に否定するのは可能なのかかなり疑わしい。
率直に行って行使否定論者は、(専門分野の憲法典はともかく)一般教養としての法学というものを理解していない。
303(1): 2015/06/09(火)09:52 ID:x/KqOgh+(3/3) AAS
去年の「解釈改憲」の閣議決定の時点で、すでに要件が漠然不明確としてどこまでも拡大される虞が指摘されていて、
今般の安保法案の審議でも、さらに内容がよく分からない状況になっていることは報道のとおりだろう。
(「戦えることになるのか?」と問われて、「戦いません」と答えるが如きの不誠実ぶりもある)
立憲主義に根ざした「明確かつ一貫」といった最低限の仁義さえかなぐり捨てたような論が進められている。
現今の状況をみて、新解釈を支持するのは、ナチスのやり口に知って加担するか、騙される人であって、ナチスのやり口に抵抗する人ではない気がする。
304: 2015/06/09(火)10:05 ID:49QZmXiE(2/3) AAS
>>301
>歴史的に見て,70年前の憲法制定当時の,憲法制定者・国民の意思は,ガチで悲惨な戦争の結果を踏まえて,明らかに戦争という手段の否認にあったのであって,個別的自衛権も集団的自衛権もフルセットで政府が行使可能という9条の理解はあり得ない。
当時の意思は違法な戦争を否定することであって主権の一部である自衛権行使を否定するものではない。
憲法を起草したハッシー中佐らは、マッカーサー・ノートから、「事故の安全を保持するための手段としての」戦争部分をあえて削除し、
マッカーサーはそのことについて異論を唱えなかったのである。
そしてその後二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が加えられたのである。いわゆる二項修正・芦田修正である。
>従来の政府解釈は,(賛否はともかく)その隙間を何とか見つけようとして,その代わり「明確かつ一貫」した解釈をとることで,憲法とのギリギリの整合性を図ってきたものだろう。
その政府解釈は一貫性に欠けていることは>>300で述べたとおりである。
305: 2015/06/09(火)10:16 ID:49QZmXiE(3/3) AAS
>>303
確かに必ずしも誠実とは言えない答弁があるのは事実である。
自衛隊員のリスクが高まるかどうかという質問に政府側は直接的には答えなかったが、
活動範囲が広がるのでリスクは高まるのは疑いの余地はない。
ただし、今回の閣議決定は行使の範囲をきわめて限定しているのであり、自衛隊がこれまで以上に国外で活動する可能性も極めて限定されるであろう。
改めて述べておくが、「違法な戦争」と「主権の一部である自衛権行使」は明確に区別すべきものである。
306: 2015/06/10(水)09:20 ID:395PiCW1(1/4) AAS
百歩譲って仮に憲法が自衛権行使を否定しているとしても、法的効力を持たせることはできない。
なぜなら、主権の一部を否定することは法理論からしてあり得ないからである。
その規定は宣言的な意味を帯びるにすぎないのである。
そうではなく、法的効力として承認できる解釈をすべきである。そこが僕の持つ問題意識の主要な部分である。
法律用語と常識の食い違いの例は幾らでもある。民法の例を挙げる。
「物」とは、一般に「感覚によって知覚し得る対象」と定義される。
しかし、法律的は、「他人を排斥して支配できる対象」を指す。
したがって、月など排他的支配の出来ない対象は法律的には「物」ではなく、
一方、抵当権の対象になる財団などは「一個の不動産」とみなすのである(工場抵当法)。
夫婦や親子についても同じ事が言える。内縁の夫婦は民法上の「夫婦」ではないし、
省5
307(1): 2015/06/10(水)19:20 ID:8abdI0+U(1) AAS
簡単に。
>百歩譲って仮に憲法が自衛権行使を否定しているとしても、法的効力を持たせることはできない。
なぜなら、主権の一部を否定することは法理論からしてあり得ないからである。
権利を持っていても、それを自ら抑制できるのは普通の話で,「法理論からしてあり得ない」というのは良く分からない。
申し訳ないが、ときどき言われる「保有しているのに行使出来ないのはおかしい」という議論と同レベルだと思う。
>いわゆる二項修正・芦田修正である。
どうして文言上の根拠として芦田修正の話を出してこないんだろうと思ってたけど、流石に出してきたね。
自衛隊創設のときも、政府解釈としては芦田修正を根拠に自衛戦力合憲論を展開する可能性もあったが、
それでは9条を完全に空文化することになるので流石にそれはしなかった経緯がある。
それでは流石に国民の信を得られなかっただろうし,今も変わらないと思われる。
省12
308(1): 2015/06/10(水)23:07 ID:395PiCW1(2/4) AAS
>>307
僕は>>17からずっと書き込んでいる。今までの主張の繰り返しになるが、若干補足しつつ、改めて簡潔に述べておく。
>権利を持っていても、それを自ら抑制できるのは普通の話
既に述べているとおり、法理論的にはそうだが、事実上権利を否定するに等しいもの。
民法理論に似たのがあるが、これは当事者を保護するためのもの。これを憲法に適用させるのは場違いである。
>どうして文言上の根拠として芦田修正の話を出してこないんだろうと思ってたけど、流石に出してきたね。
芦田修正や文民条項についても既に述べている。
そして、僕は自衛戦力肯定説を支持していないこととその理由も既に述べているとおり。
309(1): 2015/06/10(水)23:08 ID:395PiCW1(3/4) AAS
>新解釈は抽象的にはいかにも“限定”な風でも、実際には漠然・広範としていて、
容易に拡張解釈されてしまうものであるから
新解釈は、
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
の三要件である。確かに抽象的な面があるのは事実であるが、「脅かされ」「根底」「明白」「他に適当な手段がない」「必要最小限度」という表現から、極めて限定していることは容易に読み取れるであろう。
同様の規範は他にもある。
例えば表現行為の抑制に関する審査基準として、「明白かつ現在の規制」というものがある。具体的には、
(1) ある表現行為が近い将来、実質的害悪を惹き起す蓋然性が明白である。
省6
310: 2015/06/10(水)23:26 ID:395PiCW1(4/4) AAS
>>308の補足。
一般的抽象的に法理論上権利を認めてもそれを事実上否定しているなら、結局、権利は抽象的なもので風前の灯である。
つまり、実質的に主権の一部を否定するものである。国家の基本法という意味での憲法では実体が要求されているのであり、そういう場ではそういう解釈は法理論上否定されるべきである。
311(1): 2015/06/11(木)01:17 ID:LXZr1xdS(1) AAS
簡単に二点だけ。
>既に述べているとおり、法理論的にはそうだが、事実上権利を否定するに等しいもの。
>民法理論に似たのがあるが、これは当事者を保護するためのもの。これを憲法に適用させるのは場違いである。
言い方を変えるんだが,例えば,主権者たる国民が政府に対して「他所で戦争してはいけない」と命じるルールを定めることは許されないと考えるのだろうか?
一般的にはイエスと答えられるところだと思うが,違うんだろうな・・。
>>309
表現の自由規制の「明白かつ現在の危険」の要件と比べるのは,なるほどね,という感じしなくもない。
?表現の自由はある意味「身近」で判断しやすいが,「国際的な影響」の判断は分かりやすいものではなく,漠然・不明確性を同一に論じられない,
?表現の自由は政府が判断をミスっても実際的な意味をもって裁判所での救済があるけれど,
省4
312: 2015/06/11(木)09:41 ID:6Vsk1Dfo(1/2) AAS
>>311
>言い方を変えるんだが,例えば,主権者たる国民が政府に対して「他所で戦争してはいけない」と命じるルールを定めることは許されないと考えるのだろうか?
議論のすり替えである。許されないわけではない。しかし、憲法は侵略戦争のみを禁じているのである。その他については何も言及していない。
ただし、自衛権行使の否定は許されない。これまでの自然権的説明でも十分だと思う。
さらに以前にも少し触れたように、実定法的に言うなら、99条、12条、13条は国家や国民に対して憲法尊重義務を課しており、これらの趣旨からして、国家や憲法を破壊しようとする勢力を放置することは認められない。
そういう意味でも自衛権行使の否定は法的に効力を持たないのである。
つまり、自衛権を担保する相当程度の実力組織を保持することは法理上明らかに認められており、
そのことを前提とするなら、それらの組織を侵略戦争以外では活用できるというのが憲法の構造である。
(繰り返すが、憲法は個別的自衛権と集団的自衛権を区別していない。)
憲法学者たちが自由に意見表明できるのも国家や憲法が維持されているからである。その点を忘れてはならない。
313: 2015/06/11(木)09:42 ID:6Vsk1Dfo(2/2) AAS
> ?表現の自由はある意味「身近」で判断しやすいが,「国際的な影響」の判断は分かりやすいものではなく,漠然・不明確性を同一に論じられない,
?表現の自由は政府が判断をミスっても実際的な意味をもって裁判所での救済があるけれど,
集団的自衛権では政府の裁量にミスがあっても,裁判所が止めるのは現実的に無理。
確かにこの問題は政策的色彩の強い要素であり、行政部よりも明らかに知識で劣る司法部の判断は難しいし、だからこそ行政部の判断を尊重することが強く要請されるだろう。
仮に具体的事件を契機に訴訟の争点になったとしても、統治行為論により、最高裁が違憲判決を出す可能性はほぼゼロである。
しかしこのことは新解釈だけに当てはまるのではなく、従来の解釈や条約などにも等しくあてはまることである。
これらを取り上げずにことさらに新解釈のみを取り上げて問題視するのは明らかに公平ではない。
全体的考察をせずに一部分だけを断片的に取り上げて自説を補強するというやり方は議論の一手法としてある。
論理学を少しでもかじった者にはその点の見分けがすぐにつくが、その点に気付いていない人が多いのだろうか?
> ?現下の安保法制審議での,グダグダな拡張解釈ぶりが目に入らないのか??
省3
314: 石田 明雄 [tohoharo@gold.ocn.ne.jp] 2015/06/11(木)14:46 ID:a1M57GTQ(1) AAS
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省3
315: 2015/06/13(土)09:08 ID:GppJI2kQ(1/2) AAS
>>23の続き。
砂川事件最高裁判決の射程範囲について議論されているので補足しておこう。
確かに、直接的には駐留米軍の合憲性が問題になった事案である。
しかし、最高裁がその事件をきっかけに、背後にある根本的・一般的原則に踏み込んで次のように述べている。
「もちろんこれ(憲法第9条)によりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、
わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない。
……わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、
国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」(下線、筆者)
これは自衛権全般に関する最高裁の意思表示であり、極めて重いものである。
この表現は、従来の個別的自衛権と集団的自衛権という形式的分類で区別していないことは明らかである。「固有の自衛権」としか述べていないのである。
省4
316: 2015/06/13(土)11:58 ID:GppJI2kQ(2/2) AAS
要するに最高裁は、一般的・根本的原則を示し、そのうえで駐留米軍という具体的問題に言及しているのである。
この考え方は田中耕太郎最高裁長官の補足意見によって鮮明に反映されている。
>>61は、判決文と田中補足意見を掲載している。参考になるだろう。
317(1): 2015/06/13(土)12:42 ID:NTUWjBGN(1) AAS
芦田修正を有権解釈とすれば問題はなかったのでは?
318(1): 2015/06/16(火)12:13 ID:I2qNdfGg(1/2) AAS
>>317
そのほうがすっきりすると思うね。
学説的には、芦田修正説を支持する論者の多くが自衛戦力肯定説に立っている。
この見解は、既述したように量的制約を規定した2項を事実上無にしてしまうので、多くの人の支持を得られなかったんだと思う。
僕は法学部生のときにこの説を知ったが、立法趣旨に合致しないと直感的に思ったね。
むしろ私見のように自衛力肯定説(自衛戦力ではなく自衛力)なら、2項の趣旨を十分生かすことができるので、バランス的に据わりがいいと思う。
終わったことは仕方ないが、芦田修正を意識しつつ当初からこの説が有力だったら、
通説的になっていたかどうかは別として、もう少し支持者が多かったんだろうと心から思う。
なお、英語表現にIf you want peace, prepare for war.というのがある。
つまり、不測の事態に備えるという概念は英米では当然のように承認されているのである。
省5
319: 2015/06/16(火)17:42 ID:I2qNdfGg(2/2) AAS
以下で述べることも論理学の多少の知識の有無が判断に影響を与える部分である。
大多数の憲法学者が今回の閣議決定を違憲であると述べていて、その統計を理由に今回の閣議決定変更を批判する者がいる。
しかし、違憲論者の全部とは言わないまでも大多数が、自衛隊違憲論者である。
いわゆる「そもそも論」の問題である。
だから、こうした統計を挙げるのであれば、今回の問題の前提部分である自衛隊そのものの是非を論じるべきである。
そのことを論ぜずにこの数値をもって解釈変更の違憲性を論じるのは、論理学的には詭弁(きべん)に該当するのである。
仮に統計を根拠に解釈変更を批判したいのであれば、憲法学者の中で自衛隊合憲論者を抽出し、
その中における閣議決定の合憲・違憲の主張の割合を出して論じるのが統計学的には正道である。
この件に限らず、>>246で出した参考URLにもあるように、統計と言うのは自分に都合の良いように用いることができるのである。
論理学のイロハを知らない人々はこうした数値に惑わされる可能性がある。
省2
320: 2015/06/16(火)17:44 ID:tjLZ8ArP(1) AAS
ニートかもしくは定年後かの素人学者が自説を語って、誰も聞いてないのに、悦に入る。
いやあ気持ち悪いですなあ。
321: 2015/06/22(月)10:44 ID:WYrY6fcm(1) AAS
素人が最高裁判決を読んでも理解できるのにどうして理解できない学者が多いんだろうね。
それにどうしてサヨクはレッテル貼りが好きなんだろうね?小学生じゃないのに。
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