[過去ログ] ■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 (1002レス)
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101(1): 2008/07/13(日)13:41 ID:VdQWdbS0(1/2) AAS
このスレにおける >>1 の命題は
(1)剣道の当たり判定が、「実戦を想定した場合」に「不自然」であり
(2)よって武術・武道ではなく、単なる竹刀競技である
の二点になります。
この二点についてはすでに結果が出ているのではないでしょうか?
102(1): 2008/07/13(日)14:04 ID:eI2tF+bh(1/3) AAS
>>101
(2)について、なぜ武道・武術は実戦的でなくてはならないのか、という説明がなされていないため(1)につき是、(2)は不明でしょう。
少なくとも「竹刀競技」「武術」「武道」そういった言葉の定義をきっちりさせないと命題を共有するのは難しいのでは?
例えば「竹刀競技だけど武道だ」という考え方も充分取り得る。
言葉が指す領域と、なぜそのような領域指定をするのかについて納得できる説明をしなければならない。
103(1): 2008/07/13(日)14:11 ID:VdQWdbS0(2/2) AAS
>>102
武術と武道の関係について、柔術と柔道の関係を参考にすると
「武術」は実戦を想定した戦闘術であり、他人と競う目的のものではなく(基本的に)
ルールはない。
「武道」は一般に広く伝える為に、安全性を考慮し競技性を持たせたものと言えるでしょう。
よって武道にはルールが存在することなりますが、やはり実戦を想定しているんですよ。
例えば柔術は、素手をもって相手を制圧する技術体系であり、柔道はそこから
組み技のみを抽出してルール化したという関係になります。
互いに組み合って格闘を行うので、常に「実戦」であり勝敗の判定基準もわかりやすく
客観性があります。
省7
104(2): 2008/07/13(日)14:17 ID:eI2tF+bh(2/3) AAS
ちなみに運動能力が高ければ誰でも剣道が強くなるっていうのは明らかな勘違いだよ。
昔筑波大のコーチをしてた人に聞いたんだけど筑波の女子の大将は50m10秒らしい。勿論、普通に速い人は幾らでもいるけどその人たちより大将が頭一つ抜けて強いって話。
間合いの駆け引きが抜群、っていう辺りに剣道での強さの本質がある。
途中でバレーの選手に宮崎選手の真似させれば無敵、みたいなこといってるアホがいたが話にならん。その選手に宮崎選手並みのセンスがあれば強くなるだろうけどね。
運動能力は高いのに埋もれてる選手なんか幾らでもいる。さらに、加齢で運動能力が落ちても強い人は充分戦えるから幾つになっても続けられる。
そこら辺が剣道の面白みだと個人的には思う。天井が見えねぇ。
105(2): 2008/07/13(日)14:43 ID:eI2tF+bh(3/3) AAS
>>103
剣道が何を抽出したかはこのスレの過去ログをさらうだけで出てくるのでそちらを参照してください。
要旨を述べるなら、相手の攻撃の当たらないところから当たるところに踏み込んだと同時に相手を崩す顔面への斬りつけ、「面」を打ち込む、という特定の攻撃方法を身につけるための稽古法が剣道の元なんです。
特定、と言いましたがしかしこの動作には剣での戦いの重要な要素が多数盛り込まれていることは剣術家の方々も証言する通りです。
ところで、不合理というなら「元打ち」が無効というのも非常に不合理です。刀は引き斬りなのだから先端で打つより元で当たった方が良い打撃なはずなのに有効にならない。
(この話題がなかなか出ない辺り否定派に剣道未経験者が多いことが伺いしれますが。)
刀だったら触れたらダメージになるはずだが、稽古法として目的があるため敢えて部位を限定しているんです。
それは、投げ技の部分を抽出するために柔道で打撃を禁止するという方法論と変わりません。
「打撃があろうが柔道の投げが強いなら投げれば良いじゃないか」と言われればそれは違うと分かりますでしょう。特に柔道で、殴られたら負けというルールができてしまったら尚更です。
つまり、面を打って相手を崩し、袈裟や首打ちなどでとどめをさすという二段階の攻撃の一段階目にフォーカスしたのが剣道、ということ。
省4
106(1): 2008/07/13(日)16:14 ID:vlQw65dM(2/5) AAS
>>104
身体能力+運動センス
107(1): 2008/07/13(日)16:24 ID:gM81AFNR(4/5) AAS
剣道が>>105のいうような成り立ちをしているとすると、やはり剣道という
ジャンルは剣道独自の精神・価値観を追求している独自の「文化」とでも
いうしかないものであり、競技とするには究極的には不適合なものだと思う。
このスレの主題である当たり判定の問題や、「剣風」なるもので持ち出して
勝者を批判する問題などは、剣道がその独自の精神・価値観と究極的には
不適合なものを自らの内部に抱え込んでいるがゆえに発生しているように
思われる。
剣道で運動能力が高い者が必ずしも勝者とならないことや、年齢を重ねても
若者と対等以上にできるものであるのも、剣道独自の精神・価値観と
強く関連しているように思われる。
省7
108: 2008/07/13(日)16:32 ID:vlQw65dM(3/5) AAS
剣道=通常のスポーツです。
109(1): 2008/07/13(日)16:51 ID:Z3FX3r+J(4/4) AAS
>>106
運動センスっていうと汎用的な運動神経、って感じがするよね。
実際に学生時代剣道してた人なんかは>>104の言うことがよく分かるんじゃないか?
俺の先輩の代で補欠だった人は足速いし球技出来るしガタイ良いしで色んな部活からスカウトされてたけど、
剣道が好きだからって言って剣道部にいたっけな。
ま、剣道知らない人には信じられないことなんだろうけど、これは経験則から導かれた事実。
どんなに他のスポーツで鳴らした人でも大学、高校から初心者として始めたなら始めてから1,2年は底辺レベルの選手にも歯が立たなくて悔しい思いをするのが殆ど。
>>107
大方同意。
本質的に競技にしにくいものだからこそ、「本来の形」を守るために段位という指標があるのだし、
省9
110(1): 2008/07/13(日)17:55 ID:vlQw65dM(4/5) AAS
剣道独自の精神・価値観とは、わからないが。
剣道は、通常の運動選手からすると、大半か?一部か?剣道家の考えとは、
話が交わることはないだろう。
普通の人からは、剣道は競技を行ってるのだから、スポーツだと認識するのに
大半か?一部か?剣道家は競技ではないと。
剣道は、競技を行いながら、競技ではないと。
本音と建前の、昔の封建的社会感が見え隠れする。
これが剣道の精神・価値観なのか?
111: 2008/07/13(日)18:12 ID:vlQw65dM(5/5) AAS
剣道ぐらいだな、本来の剣道とか正しい剣道とか、他の競技にはない論理が存在する、
あきらかに封建的競技だな!
112(1): 2008/07/13(日)18:36 ID:22o2hYeC(1) AAS
今日はID:vlQw65dMか・・・
武道、武術が解らないからってここで遠まわしに聞くなよ
例え華道、茶道でも、作法、品評、精神、人となり、姿勢といった
体系建てたものの考え方はお前には理解できない
柔道、柔、試合、柔術、合気道、合気、合気柔術
それぞれにどういった意味や方向性があるか解らないだろう
道というのはそれらのと体系を全て含んで表現するもの
よって生き方、人生まで高まる
武士道とは武士術ではなく武士試合もない
まあお前には言うだけ無駄だろうが
113(2): 2008/07/13(日)19:48 ID:gM81AFNR(5/5) AAS
>>109
>高段位の先生の剣道がどう凄いのか、そしてどうしてその域に達したいと
>願うようになるのか、そういったことは、仕方ないが実際にやってみないと
>分からない。
>試合が強い人と剣道が強い人の違いは、構えあった印象だけで全く違って
>見えるはず。そういうことが分かると剣道をするのも見るのも
>面白くなってくる。
剣道の独自の精神・価値観を受容すれば、そう考えるようになるだろう。
付言すれば、運動能力のある初心者が剣道をできるようになるまでしばらく
かかるのも、剣道の独自の精神・価値観を心身で受容するまで一定時間が
省18
114(1): 2008/07/13(日)22:56 ID:UU2VjbDn(1) AAS
>>105
>「刀だと危ないから竹刀にしよう」として剣道になった、と考えると
>多数の誤解の温床になりましょう。
これは剣道だけやってる人の勘違いだな。
古流というか、剣術は型稽古がメインで、互いに木刀をもって、攻防の形を繰り返す
稽古が普通だった(今でもそうだけどな)。
しかしながら、より実戦的な「打込み稽古」をやりたいという欲求から、
稽古中の安全を確保する為に、竹刀や防具が発明されていったわけ。
防具で防御可能な部分が、面であり胴であり、篭手の部分なので
メン・ドウ・コテの三箇所が主な打突部位となった。
省7
115: 2008/07/14(月)02:26 ID:P0C8yplZ(1/2) AAS
剣道は実戦を念頭においていないというのは、もう議論済みだ。
116: 2008/07/14(月)03:39 ID:P0C8yplZ(2/2) AAS
遅レスだが・・・。
>>73
戦後に剣道の世界にも価値観の大転換が発生したように思う。
その結果、例えば中山博道の一派やその影響を受けた人々などは徐々に
表舞台から姿を消していき、いわゆる「正剣」を信奉する人たちが
圧倒的多数派になっていった。こうした傾向は人為的なものだと思う。
117(2): 2008/07/15(火)16:54 ID:M+iB+roV(1/2) AAS
>>113
正統派を一つ挙げてそれを守るというのは文化の形としてわかりやすい。
剣道の在り方はそれに近いと言えるし硬直化しているという指摘にも尤もだと思える。
ただ、その反面競技として成立させて見ず知らずの相手とも共通言語としたいというニーズに答えるためには一つの価値観をピックアウトして文化の基盤にすることが必要になっていると思う。
当然だが、剣対剣の戦いには面を斬りつける以外の定石もあるのだから面を斬りつけるのが剣の戦いの唯一の価値観と言っている訳ではない。(>>114乙)
元々面を斬りつけるという特定の攻撃をピックアウトしてその上に醸造された文化を保持している訳だから、それに対して価値観が硬直化している、もっと多様な価値観を、という提言は不適当なのではないだろうか?
例えば袈裟が有効という価値観があるのならば「袈裟を斬り合う競技体系」を考えればいいことだし、途中の日本刀競技を考えようという提案も非常に良質だ。
しかし、それを「剣道のルール上で」実現しようというのはどのような価値があるのか、意図があるのか大いに疑問だ。
剣道側から見れば「武道として成立した剣道へのメリット/デメリット」と言っても良い。ルール改定ののち、どのような立ち合いになるのか精査する必要がある。
また以上から、逆に剣道家が特に気をつけなくてはならないことは「剣道が剣のすべてと思うなかれ」ということだ。
省6
118: 2008/07/15(火)17:06 ID:M+iB+roV(2/2) AAS
>>113
あ、提言が不適当云々というのは>>113氏ではなくて「ルールが不合理だ」と言う否定派一般に対する反論です。書いてるうちに>>113氏に向けられているような論調になってしまった。
個人的には剣道以外の所で様々な試みがなされるのは良いことだと思う。(実は一度スポチャンに参加したことがあるのだがあれはあれでスリリングで楽しかった。)
剣道の他にも多様な選択肢があって良いと思うし、そのような競技との比較を以て剣道という価値観が独自に持つ良さ(或いは悪さも。剣道があらゆる意味で万能な文化である訳はないのだから)を確認することにも繋がる気がする。
また他競技との違いがわかりやすく提示されることで>>1(+スレタイ)のようなズレた批判をする人間やそれが正しいと誤解をする人間も減るだろう。
ただし、現状では剣の競技は剣道の寡占市場なのはその点申し訳ない(?)とは思うけれど。
119: 2008/07/15(火)20:15 ID:Tv5hRgi8(1/6) AAS
>>112
統一的な考しかもたない、独創的な考えが無い、日本古来の柔軟性のない剣道家。
俺にいうだけ無駄だな。
120: 2008/07/15(火)20:32 ID:Tv5hRgi8(2/6) AAS
>>117
他の競技には無い、良くも悪くも独特の日本文化だと思う。
剣道競技で勝つことだけを、求めるならば必要ないし。
しかし、強さだけではない、年月を積んだ剣道個人の深みというか実積を
評価するという点では良いのであはると思う。
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