[過去ログ]
■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 (1002レス)
■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
129: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/15(火) 22:49:29 ID:OXO9p6Qe >>128 剣の術理とか理合ってのは、端的にいうと「斬られずに斬る」ということで 批判された人はむしろ、剣を理解している人たちなんだよな。 だから剣道の試合でも強い。 強いがゆえに嫌われ批判される(笑 だから、剣を知っている人たちからは、剣道は竹刀競技だと言われちゃうわけ。 適切かどうかわからないけどボクシングに例えて話をすると 現代剣道は、足を止めて打ち合うのが正しく、それ以外は汚いと考える感じ。 きちんと正面を向いて打ち合えと言う。 古
流や古流の流れを汲む剣道の一派は、フットワークを使い、相手の攻撃を かわしながら、パンチを打つ実戦スタイル。 戦えば技術的には後者のほうが優れているわけで、ルールにも違反していないん だけれども現代剣道はそれがおもしろくない。 だから「剣風がどうこう」と批判しちゃうわけよ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/129
130: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/15(火) 22:56:47 ID:b0jyqgBe >>129 >剣の術理とか理合ってのは、端的にいうと「斬られずに斬る」ということで >批判された人はむしろ、剣を理解している人たちなんだよな。 >だから剣道の試合でも強い。 >強いがゆえに嫌われ批判される(笑 >だから、剣を知っている人たちからは、剣道は竹刀競技だと >言われちゃうわけ。 現代剣道で誰かを批判するとき、「当てっこ剣道」という言葉を 使用するときがあるけど、「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、 むしろ「当てっこ剣道」
、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が 理合にかなうのかもしれないね、極端な言い方だけど http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/130
131: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/15(火) 23:27:49 ID:R5tOVq/6 >>123辺りが言ってることは大方正しいと思うが、剣道批判の根拠が「当たり判定」でないのならこのスレッドのトピックからは外れるのではないかと思うのだが。 ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した経験が少しでもあれば分かるのでは? 左手を中心に残した、正しい担ぎ面は何ら問題のない技だし全日本優勝者が決めたのもそのような技だと思うが(資料がないので分からない)、 子供が真似をして左手を正中線から外して斜めに振りかぶ
る変な癖がついてしまっては良くない、まずは正中線を通した基本の技を見につけてから、 というのはいかに中村先生やその門下の方とてその通りだと仰ると思う。(剣先が開いていて中心を取っていないように見える構えでも、左手は正中線を通して中心を押さえている。勿論宮崎選手も同様) 教育的見地から、特定の技は癖がつき易いから使いすぎないように、というのは何ら間違ったことではないだろう。担ぎ面は応用的な技だし。 もし、全日本優勝者の技がその瞬間だけでも左手が中心を外れるような打ち方をしていたのなら、それは子供に真似させるべき
ではないと思う。 ちなみに批判はあっても剣道に取り直しはないのでご安心をw そこは競技だから、審判の旗がどう見ても間違っていると分かっても結果は取り消されない(と思う)。 何だか、「現代剣道」という実体の無いものが批判されているようだがその実物は例えば古流とどう違うのだろうか? 「斬られずに斬る」という発想からなる高度な動きが存在するのは確かだが、例えば自分が剣道を始める子供に対して「斬られずに斬れ」というアドバイスをすることは無いと思う。 相手の攻撃を避ける、防御するということの前にまず自分の打ち所・捨て所
を捉えて全身で打ち込むということを覚えてからでないと何も出来ない選手に育ってしまう。 「斬られてもいいから斬る」ということすら完璧に実現するのは物凄く難しいことで、それなりに剣道をしてきた自分でもまだまだ成らせることが出来ない程だ。 「斬られずに斬る」ことが出来る選手はその土台としてそういうことがしっかりと出来ていて、その上で「斬られずに斬る」動きが出来るのだと思う。 これは想像に過ぎないが、中村先生のかの言葉も宮崎選手だったからこそ与えられ、生かせる叱咤だったのではないだろうか。 何も知らない者が「斬られずに
斬る」をやろうと思っても「当てられずに当てる」、相手の打ちを避け回るばかりの剣道になってしまう。 教育的見地から見るなら避ける剣より打ち込む剣、担ぎ面より正面打ち、そういったことを奨励するのは間違ってはいないだろう。 剣の操作の基本を大切にしよう、ということが「現代剣道」の正体ならば、それは充分に剣の理合に適ったことである。 ただ、奨励の手段として選手の特殊な動きをただ批判するのはやはり適切でなく、「基本が出来ているからこのような動きも出来るんだ」という段階をしっかりと踏まえた解説と教育をした方が良いように思
う。 応用だけを追い求める者は何でも大成しないが、基礎を固めた上での応用は価値のあるものであり、応用を禁忌として封じ込めるのは確かに「価値観の硬直化」だろう。その点の「現代剣道」の実践者の横着は否定出来ない。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/131
132: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/15(火) 23:48:33 ID:R5tOVq/6 >「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、 >むしろ「当てっこ剣道」、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が >理合にかなうのかもしれないね、極端な言い方だけど >>130氏がどれだけの剣道のキャリアをお持ちなのかは分からないが、例えばこれは(>>130氏が剣道の基礎をしっかりと身につけている方なら違うが) 「斬られずに斬る」を奨励した場合に生ずる弊害の一つだ。 仰る通り、極端に過ぎるし本質的に間違っていると思う。 もし、>>130
氏が剣道をあまりやっていない方ならば是非その理念で剣道をやっていただきたい。 何も出来ないことが分かるだろうからだ。 少なくとも、これから剣道を始めようとする小学生や中学生に対して、かのようなものが「剣の理合」だと教えることは非常に危険だ。 そして、それを「理合」として剣道を始めても宮崎選手のような選手は絶対に生まれ得ない。 私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。 斬られたく
ないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が常に伝え続けているところで、やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。 但し、現代剣道の問題点もそこに同時に浮かび上がるのであって、捨て身の打ちの前提が「そうでなければ斬られる」からであるところ、 剣道では捨て身でなければ斬られえても一本にならない=負けないため相手に斬られることを軽く捉えてしまいがちだ、という点だ。 それこそが、「相手に打たれても先に当てていれば良い」という意味での当てっこ剣道の横行であって(当てっこ剣道という言葉も多義的です
ね)、 相手より先に当てられれば中心を、相手の剣を殺す「攻撃は最大の防御」たる打ちになっていなくても良い、とする動きの横行である。 剣道が、少なくとも後に打った方を勝者とすることは出来ないからこそ、このような当てっこ剣道に対しては剣道の本旨忘れるなかれ、と警鐘を鳴らすしかあるまい。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/132
133: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 00:19:53 ID:JuakNJnj 考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」という言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。 決して「斬られずに斬れ」と仰っているのではない。現代剣道のルールを奇貨として剣の本質を忘れるなかれ、というメッセージだろう。 そしてもう一つ特筆すべきは、既に指摘した方もいるがこれが剣道日本の記事であるということ。 剣道日本は間違いなく「現代剣道」の場となっているジャーナルだ。 それが、「中村先生の思想を批判する」という立場にたっ
ている、という前提は記事が掲載されたという事情それだけでも無理があるように思う。 剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのはそれが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって当然の反応なのだろう。 このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられているように感じる。 また、どちらの解釈に分があるかという客観的根拠に於いても上に書いた趣旨として捉える立場の方が、厚い。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/133
134: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 00:51:46 ID:T5rsAVGK >>131-132 >ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した >経験が少しでもあれば分かるのでは? 「かつぎ面」といえばその質を問うことなく全否定する画一的態度を 批判しているだけで、貴方のいう教育的効果については否定しない。 >相手の攻撃を避ける、防御するということの前にまず自分の >打ち所・捨て所を捉えて全身で打ち込むということを覚えてからでないと >何も出来ない選手に育ってしまう。 私もそのように教えられたし、
剣道を人に教えるときにはそのように説明 している。捨て身の技の大切さは承知した上で、しかし、防御から 教えるやり方もありえるのではないかと思うようになっている。 ボクシングでも、殴る技術を教える前に殴られない技術を教えるところも あるようだ。確かに防御偏重でやっていると攻防のバランスの崩れた剣が 出来上がってしまうだろうが、それは攻撃偏重の場合でも同じことだ。 要は偏重の状態にならないように、初心者に対しては指導者がコントロール する必要があると思う。 それは、ボクシングなどの場合、セコンドがやっているよね。 htt
p://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/134
135: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 01:10:39 ID:JuakNJnj >>134 バランスの問題に関しては確かに別の視点として考えられますね。 剣道は、あらゆる格闘技に比べて先手必勝、攻めろ攻めろと教えられる攻撃偏重の文化であることは否めないと思いますし、 それが剣道の価値観であるところは恐らく揺るがないのでその点、全体として何かバランスを欠くという指摘は充分可能でしょう。 (完全に余談ですが、そのような攻撃偏重の思想が戦時に軍国主義に於いて利用されてしまったという面もあります) やはり、剣道が攻撃偏重で
あるからこそ剣道で結果を残したければまず先に攻撃を勉強するのは当然の流れなのでしょう。(「剣の技法」としての是非はともかくとして) ですから、「剣道をする」ならば防御とのバランスを考えることよりもきちんとした打ち込みを先に教えることが徹底されていますし、剣道で結果を出す選手たちも皆(というか剣道をする者は皆、かも知れませんが)そのような稽古で錬を高めていますね。 結果、それで「攻撃偏重」となることも無いと思います。(剣道自体が攻撃することを是とするため当たり前ですが) 考えてみれば剣道の稽古は攻撃ばかりです。
防御的な部分は足裁きくらいで(だからこそ差がつく部分ですが)素振りから始まって切り返し、基本技、打ち込みと攻撃を叩き込まれますね。 それは剣道をやるからには避けられない宿命なのかも知れません。>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的にはどのような稽古法なのでしょうか? 別に、私は攻撃>防御という価値観を強烈に支持しているわけではない点は誤解なきようにお願いします。 ただ、剣道という文化を見ると攻撃偏重はそれ自体の性質であるということ、加えて宮崎選手や中村先生もやはり攻撃を主体とする剣道の文化
の中で練成し、己の剣を切り開いていったのであって 全く別のストリームから生まれた者ではない、ということを指摘したいに留まります。 「実戦なんだったら攻撃よりもっと防御を大切にした方が良いのではないのか?」 という指摘は全くそのとおりだと思いますし、その点「剣道は実戦では防御が弱い」という指摘もかなり幅広く妥当するのではないかと思います。 勿論それは、剣道という枠組みを飛び出した上での話ですが。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/135
136: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 01:11:06 ID:T5rsAVGK >>133 >考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」と >いう言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。決して「斬られずに斬れ」と >仰っているのではない。 防御偏重で腰のひけた剣がダメなのは当然の前提だろう。 >>54で引用されているそれらの言葉の意味は、真剣を扱うことを前提に するのであれば、相手の竹刀を体に触れさせないようにしなければならない、 としか読めないのだが。 >剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材
料になり得ないというのは >それが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって >当然の反応なのだろう。 >このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられている >ように感じる。 >>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。>>73が指摘して いるように、剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず なのに断絶している部分が大きいから、>>54のような表現になった、と 考えているのだが違うのか?
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/136
137: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 01:33:34 ID:T5rsAVGK >>135 >>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的には >どのような稽古法なのでしょうか? とりあえず思いついたものを考えると・・・ まず基本的な足捌き(フットワーク)は最重要だろう。 その上で効率的なよけ方を学ばせる。足でかわす、竹刀でかわす、それぞれの 場面において、次の場面につながりうるようなよけ方を学ばせる。相手が連続 して攻撃してきた場合はどうするか、距離をとるのか、懐にとびこむのか、 相手を打つのか、それぞれの
状況に応じて考えていくと。 あと、安全でかつ次の展開につながる距離のとり方(非常に難しいが)。 その中で、防御偏重になったときにはかえってつけ込まれやすいことなど、 必要事項を適宜入れていく中で攻撃についても意識を向けさせ、防御と 攻撃のバランスを失さないことが重要であることなどを理解させていく。 防御から入る体系を作るには、セルフディフェンスを流派の目的としている 柔術の体系なんかを参考にすると面白いかもしれない。 とりあえず、こんなところ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/137
138: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 01:34:06 ID:JuakNJnj >>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している >ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。 恐らく、その「全否定ではない」という部分が肝なんだと思います。 私が書いたのも、やはり現代剣道の一部分の批判ですね。(現代剣道、は特定の内容ではなく現代行われている剣道、という意味です) 「この発言があるから、剣道なんてやってもダメなんだ」 「つまり剣道の当たり判定で稽古をしてもダメなんだ」 そのように解釈
する者がかつていました。(今はどっかいったかと思うと夏蝿のように湧いてきますw) また、「それゆえ剣の理合=攻撃<防御だ。当てっこは理合に適う」という趣旨で捉えるのもやはり間違いだと思います。 「剣道の攻撃偏重の中でも、竹刀は刀であることを忘れてはならない」ということ、即ち私が書いたところの当てっこ批判と同じですが、それを意味する趣旨と解するのが自然ではないでしょうか? また、 >剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず >なのに断絶している という点について、では通じるはずなのに何故断絶している
と考えますか? >>73氏は意図的に排除したかのように書いていますが私は違うと考えます。 一つは、「斬られずに斬る」が実戦的であり、実戦では防御と攻撃のバランスも重要視されるところ剣道は攻撃を是とし特化する武道であるため、 攻撃の理合の前に防御の理合が相対化する、ということを>>73氏は理解していないということ、 それに加えて真剣の術理でも攻撃はかなりの重要性を占めていた(というのは文献からしか推察できませんが。)点で、>>73の「剣の術理」に対する理解が不十分であること、 つまり、現代剣道にも剣の術理(
特に攻撃面)は充分伝わっていながら>>73氏はそれを理解できていないというのが真相かと思います。 しかし、現代剣道に伝わるべき、伝わってしかるべき術理というか、競技としてのルール上は必要ないがそれでは剣の攻撃の術理を体得するものとして真っ当できない、というのが 中村先生の仰る忘れてはならないこと、現代に於ける相手に打たることを軽視するという捩れへの警鐘なのでしょう。 そのように解することで、全てが論理的に素直に繋がっていくと思います。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/138
139: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 01:45:03 ID:JuakNJnj >>137 なるほど、確かに防御方法をバリエーションをつけて意識的に練習することは効果的な気がします。 ただ、相手が打ってくることが分かったならその機先を制して打つ、というのが剣道のオーソドックスな戦法なので まず防御ありきではなかなか一本を取れる選手には育たないかも知れませんね。 (どちらかというと、選手云々というよりは剣道に対する防御法の指導という感じなのかもしれませんが。。) 打ってこない相手だと思ったならば打たずに攻めて苦しくな
ったところの起こりを叩く、という感じで処理されてしまう気もします。生半可な攻撃は隙を生むだけですし… 打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることも考えると、失礼ながら防御を以って攻撃の代を為す、という程の変革を起こせるものではない気もしてしまいました。 やはり「剣道」の稽古法としては苦しいのではないでしょうか?と言っても仕方ないですけど。 ご意見ありがとうございました。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/139
140: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 01:56:15 ID:T5rsAVGK >>139 初心者に対し攻撃・防御のどちらから入るか、どのような教え方をするのか、 という話だから、上のような説明にした。 打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることは承知だが、 どのような教え方をするにしろ、そのあたりはかなり上級で教えてできる、 というものでもないしね。 ただ、現代剣道の攻撃を是とする思想を相対化すべきではないかと 個人的には考えているので、あえて書いてみた。 現代剣道は隅から隅まで独自の価値観・思想で固まっている
。 それ自体は悪いことではないが、その中で失われたものがあるというのは 上で書いたとおりだ。その文脈の中で中村藤雄氏の発言もとらえるべきと 思う。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/140
141: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 02:07:16 ID:JuakNJnj >>140 そうですね、結論として思うところは似通っていると思います。 陳腐な言い回しですが「真剣同士の戦いの緊迫感」みたいなものは相当相対化されていますし。 その中で、剣道人として何をしていくべきか中村先生の言葉をどう捉えていくべきかを考えると、 真剣ならばどうなるのか、といったことを年頭に置きつつ剣道をしていく中で「失われたもの」を追求していくことなのではないかと思います。 ルールに依存することなく、正しい、目指すべき一本とは何なの
かを考えることもその一歩であると思います。 長々とありがとうございました。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/141
142: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 02:20:44 ID:T5rsAVGK >>141 こちらこそ、ありがとうございました。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/142
143: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 04:07:25 ID:9YWNTIZ2 >>132 >私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を >紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として >教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。 >斬られたくないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が >常に伝え続けているところで、 >やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う おいおい、本当に「五輪書」読んでるのかよw 五輪書地之巻には 『武士の兵法を行う道は、何
事においても人にすぐれるところを元とし、あるいは 一身の斬り合いに勝ち、あるいは数人の戦いに勝ち、主君の為、我が身の為、 名を上げて身を立てんと思う。これ、兵法の徳をもってなり』 とある。 分るよな? 武蔵は「どんな状態でも人に勝つのが兵法である」と説いているわけ。 相手の人数が多くても勝たねばならない。 それを 『太刀の徳を得ては、一人にして十人に勝つことなり。一人にして十人に勝つなれば 百人にして千人に勝ち、千人にして万人に勝つ。然るによって、わが一流の兵法に 一人も万人も同じことにして、武士の法を残ら
ず兵法というところなり』 と伝えている。 一人で十人を相手に斬られずに勝つのが武蔵の言う「兵法」なわけよ。 捨て身どうこうってのは、剣道が一対一のスポーツだから出てくる発想であって いわゆる「剣の理合」ではないの。 ちなみに沢庵の「不動知神妙録」では 『例えば、十人にして一太刀ずつ我へ太刀を入るるも、一太刀を受け流して 跡に心をを止めず、跡を捨てて拾い候はば、十人ながらへ働を欠かさぬにして候』 と教える。 つまり、相手が多い場合でも、特定の相手に拘らず常に一対一で受け流していけが、 スキを見せずに十人を相手にで
きるということな。 「捨て身」というのは、一人の相手に拘ることになるからダメなわけ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/143
144: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 04:28:00 ID:9YWNTIZ2 >>132 ついでに新陰流の「殺人刀」では (現代語に要約すると) 人に一太刀浴びせるのは容易い。人に斬られぬことは難しい。 相手は斬ろうと思って打ち付けてくるが、身に当たらぬ間合いを熟知して 驚かずに、あえて敵に打たせる。 とある。 そしてこう続く。 『敵は当たると思ふて打てども、つもり(間合い)あれば当たらぬなり。 当たらぬ太刀は、死に太刀なり。 そこをこちから越して打って勝つなり。 敵のする先は外れて、我かえって先の太刀を敵へ
入るなり。 一太刀打ってからは、はや手をあげさせぬなり』 つまり敵の「先」の一撃をかわすことで、逆にこちらがファーストストライクをものに することができると教えているわけ。 「斬られずして、斬る」というのが「剣の理合い」というのは常識だと思うぞw http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/144
145: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 12:00:56 ID:sDUkmEAX SUGEEEE http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/145
146: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 12:07:23 ID:sDUkmEAX すまん、誤爆したw >>144 葉隠も読もうぜ! しかし「剣の理合」っていうのも色々あると思うな。 素肌剣術で武芸者として生き残っていこうと思うならまず斬られないように、が大切だったと思う。一人対多人数とかも攻撃動作は最小限にせざるを得なそう。 斬られないで生き残っていく中で技が磨かれていくとするなら、それこそボクシングの話のように防御から先に教わることもあったのかもしれないね。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/146
147: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 15:03:45 ID:6FzMtVY4 今まで見てきて一番有意義なやり取りが成立した気がするがトピックからするとどちらの立場からもさほど結論は変わらないようだな。 剣道の価値観は実戦そのものではない。剣でのやり取りの一部分をフォーカスして、現代ではその精神を人間としての生き方に沿え高めていこうとする文化。 当たり判定が不自然だ、という批判はそのような剣道の性質を理解していないからそう見えるだけ。攻撃偏重の価値観が肌に合わないなら余所へ行けば良いし誰も止めない。 そのように剣
道が文化として、また競技として実戦の要素を切り落としながらもなお剣の道であろうと足掻く矛盾からこそ競技としての歪みも生まれる。 そのような足掻きをどう評価するかは人それぞれなのだろう。 剣道なんて150年の歴史も持たない競技、その内容や取り巻く環境も戦前戦後、現代とどんどん変わっている。 また数年程経ったら剣道を巡る議論や環境も全く違うものになっているのかも知れないな。 柔道のように国際主義の中で合理化・定式化の波に揉まれて剣道としての本来の姿を著しく見失ったものにはなっていないでくれと、現代の剣道家としては願う
ばかりか。 何が「正しい剣道」なのかは誰かが決めて押し付けるものではなく理想的には個々が考えるべきことだから、剣道日本のようなジャーナルで様々な剣道を紹介し、比較議論するような試みがもっとあっても面白くなるかもしれんね。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/147
148: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 16:19:45 ID:jEltKim1 >すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が 理合にかなうのかもしれないね 宮崎氏の剣道、合理的な剣道だと思う。だから6度も日本一になれたと思う。 >やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。 実力の低い人が、実力の高い人に使う打ち方だと思う。 実力が接近したもの同士では「捨て身の打ち」は使うべき打ち方ではない。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/148
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 854 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.099s*