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■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 (1002レス)
■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/
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216: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/21(月) 21:26:01 ID:nw4ZtTa9 >>215 悪いけどさ、 現代剣道ってのはたかだか60年程度の歴史だが、古流剣術は数百年の 伝統があるわけよ。 剣道しかやったことない厨房に、剣の道の深さとか言われても笑っちゃう しかないんだけどw http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/216
217: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/21(月) 22:06:46 ID:VJVpbih4 古流やってるんですか http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/217
218: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/21(月) 22:29:17 ID:YltdNU0X >>212 >だから、「中段が基本」ってのがそもそもおかしいんだ。 なるほどね・・・。 こうなると、その他の「基本」とされているものも検証したくなるね。 他にも現代剣道で「基本」とされている技術で、疑問に思われるものって 何かある? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/218
219: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/21(月) 22:45:37 ID:U3V90Dz6 >>209 その疎明じゃ解決しないと思うんだが。 現代剣道の精神を分析するのは結構だがそれと「剣道」の「ルールの問題」はどう繋がる? 例えば「現代剣道は問題がある」という結論が出たところで「それゆえ剣道のルールは間違いだ」っていうのがどう繋がるかが明らかでないと「このスレで現代剣道の問題点を探る実益」がないだろ、っていってる。 >>209が言うには別にそこは固定しないのか。じゃあ、現代剣道の問題点は剣道のルール批判にどのような影響を及ぼす? 深く関連性を持つ、なんて言われても抽象的過ぎてわからない。結論から導かれる帰結を具体的に頼む。 そして、そこらへんがはっきりしないのにこのスレで現代剣道の問題点を語ることの弊害は、他の人もいうところの「ただ剣道を否定したいだけ」の短絡的なアホどもが勘違いすること。 例は…探すまでもないだろうねw 割と論理的な話が通じる人みたいだから甘えてもう一つ、剣道のルール批判「じゃあどんなルールにすれば良いと思う?」っていうことも聞いてみたい。 俺は逆の立場を考えたら「ルール批判」は対案がなければ誰の為にもならなくて意味ある提言としては成り立ち得ないと思うんだが、またはそれについてどう思う? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/219
220: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/21(月) 22:54:55 ID:QcinWH+9 >>216 剣道の歴史と古流の歴史をそういう風にしか比較できないところが既に 何もわかってない人間のせりふ 剣道の歴史が何から生まれどういう変遷の元に現在の形に落ち着いたか 解っていたらそんな恥ずかしいせりふとても並べられないはずだが やっぱりコイツ何もわかってない http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/220
221: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/21(月) 23:21:34 ID:YltdNU0X >>219 >現代剣道の問題点は剣道のルール批判にどのような影響を及ぼす? >深く関連性を持つ、なんて言われても抽象的過ぎてわからない。 その点は、>>204で例を出して書いているが文章が読めないのか? この部分だが。 >例えば肩や首筋への打撃を排除した現行ルールは実戦性という観点から >みてどうか、という話は、そもそも現代剣道の価値観からみて実戦的で >ある必要があるのか、という話になってくる。 要するに、どういう技術を目指すのかによってルールの設定方法は 変わってくる。どういう技術を目指すのか、というのは価値観そのものだ。 だから、現代剣道の価値観の問題はルール批判と密接に関連するわけだ。 ところで、よりわかり易くするためにスポチャンを例にしよう。 現代剣道の隣接分野であるスポーツチャンバラはどういう技術を 目指して創られたのだと思う? >剣道のルール批判「じゃあどんなルールにすれば良いと思う?」って >いうことも聞いてみたい。 これはスポチャンの話を済ませてからのほうがわかりやすいので、 先に上の質問に答えてくれ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/221
222: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/21(月) 23:27:52 ID:YltdNU0X それから>>219に対してもう一つ。 >「正しい剣道」の推奨は多分に教育的見地からのものだと思う。 これについてだが、教育的側面は否定しないものの他の側面も 存在すると>>209で書いた。 中倉氏や宮崎氏、その他「汚い」などの不名誉なレッテルを貼られた 人たちは、どのような理由でそのようなレッテルを貼られたと思う? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/222
223: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/21(月) 23:39:47 ID:U3V90Dz6 >>221 んー、まだ齟齬があるな。 つまりさ、中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も当然に認める、 しかしルールは「剣道」に則る、 そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳。 加えていうなら、これは剣道日本が中村氏の談話を掲載したという立場から導かれる一つの提案だと思うんだよ。 剣の道を剣道で体現せよ、はストレートに読んだら中村氏の立場でもあると思われるし宮崎選手もあくまで剣道を大切にしてるわけだし。 ちなみに俺もこの立場。 現代剣道批判をルール批判に直結させるっていうのはこういう立場を看過してるんじゃないか?っていう話ね。 正当の勝者を批判する、或いは一定の形を押し付けるのは外的に見ても批判の対象になり得るけど「面を打つ・守るより攻める」といった価値観そのものはそれを取りたがる人がいるんだからほっとけよっていうのが普通の考え方な気がする。 「打たれてもいいから打つ」はレベルによりけり。基本の身に付け方としてはありじゃないかな。 目的がルールを規定するのは同意。 スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のがルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。 ってかこの質問をよく知らない俺にする必要あるのか?なんかのプロセス?答えると答えてもらえるらしいので答えてみましたが。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/223
224: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/21(月) 23:47:32 ID:U3V90Dz6 >>222 このスレを読んで少し調べて、教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情があるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。上段の胸突きの話しかり、そういうのはまずい。 てかさ、>>222さん俺に聞かなくても分かってることがあるならわざわざ問わずに説明してくれちゃっていいよ?w自分の見解と違うと思ったらその時に言うからさ。 俺の「代案は?」っていうのは普通に否定派の人がどう考えてるのか俺は普通に分からないから質問してるわけ。 時間勿体ないしプロセスは最低限でいこうよ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/224
225: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/21(月) 23:48:30 ID:NQMLeJCO >>212に基本的に賛成 真剣で長時間中段正眼を維持するのは無駄だし腕が疲労するもの。 古流のなかでも一刀流は素肌剣術に特化して発生しており他の古流が少なからず介者剣術の要素を遺すのとかなり異なる。 定寸より大きい太刀が前提の介者剣術では下段、脇構え、八相に構えての遠間からの攻防が普通。凡そ現代剣道の攻防技術で真剣にすぐ適用出来るものは僅かでしかない。第一剣道家の多くが真剣を持っても竹もろくに斬れない。 それでも竹刀競技だからいいってのならもっと古流や幕末〜明治初期の撃剣スタイルの自由な剣道を並行して認めるべきだ。袈裟懸けや撞木足のスタイルをまるで合理的でないなどと盲信を前提に否定されるのは古流からは腹立たしい限り。 剣道の多様化、多分剣道関係者はそれを一番厭がり且つ恐れていると思う。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/225
226: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/22(火) 00:04:13 ID:Z2vHFBjW >>223 >中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も >当然に認める、 >しかしルールは「剣道」に則る、 >そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳 いや、価値観を論じた結果、ルールを変えないほうがいいというなら、 変えなくてもいいわけだ。だから、別にそういう選択肢も潰れてない。 >スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のが >ルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。 剣道日本のインタビューで、スポチャンの創始者は次のような意味のことを 答えていた。少し長くなるが、思い出しながら書いてみる。 即ち、少年たちに剣道の稽古をつけていて(創始者は剣道5段だか6段、国体 出場経験あり)少年たちの竹刀が、自分の体や、面の横あたりに掠ることが あると。剣道だと「まだまだ」ということになるが、剣道では「真剣だったら ・・・」というロジックをよく使用するのに、真剣だったら大きな怪我に なりかねないにもかかわらず、そこを無視するのはおかしいのではないかと 疑問を持っていたと。 さらに、剣道では「気剣体一致の技でないと一本ではない」といわれるが、 これも真剣ならば何らかのダメージを負うのに、一種の暗示をかけて 一本ではないという理由付けにしており、それが剣道のディフェンスの 技術を非常に甘いものにしている。 このような暗黙の了解による決め事が剣道には多く存在し、それが技術の 妨げになっているので、いったんそのような決め事をやめて子どもの頃の チャンバラ遊びの自由さからやり直すべきだと考え、スポチャンを創った。 ネーミングは「ニュー剣道」などとすると、剣道側から文句が出そう だったので、チャンバラという剣道よりへりくだった名前にした。 大体、インタビューはこのような内容だった。以下、まだ続く。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/226
227: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/22(火) 00:24:16 ID:Z2vHFBjW >>226の続き このように、スポチャン創始者の頭には「当てられずに当てる」という ディフェンス重視の目的のほかに、剣道で暗黙の前提となっている 決め事から自由になる、という目的もあったわけだ。 そのような明確な目的があるから、得物は自由、当たったら一本、 相打ちは両方負け、のような各種ルールができている。 このように明確な目的・価値観ががあるからこそ、それに対応して ルールが決められるわけだ。それに対して剣道はどうかというと、 目的・価値観はかなり曖昧だ。「剣の理法の習得を通じた人間形成」と いったところで、具体的にどのような技術を目指しているのか、 さっぱり明らかではない。「正しい剣道」ではないなどという例の批判も 何に対して正しいのか、即ち具体的にどのような技術を目指しているのか、 明らかではなく、厳しい言い方をすれば「お前の剣道は認めない」という 感情だけが伝わってくる感じがする。 要するに、具体的にどんな技術を目指すのかが明らかでなければ、 適切なルールも、「正しい剣道」とやらもあったものではないと思う。 だから、「どんなルールがいいのか?」という質問については、 「まず、どんな技術を目指すのか、それをいくつか明確に決めてから、 その目的に適合するような数種のルールを用意すべきではないか」と 個人的には答える。現行より攻撃重視でいくのか、防御重視で行くのか、 などなど、どのような技術を目指すかは色々考えられるよね。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/227
228: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/22(火) 01:01:44 ID:Z2vHFBjW >>224 >教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情が >あるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。 教育的な見地があっただろう、というのは当たっていると思うが、 政治的に「変剣」というレッテルを貼られたと思われる場合も多い。 例えば、恵○孝吉氏の場合などはその典型だと思う。 恵○氏の場合、その硬派な言動や、全日本で当時事実上の禁止状態だった 二刀で試合をしたことなどから、徐々に睨まれて「変剣」というレッテルを 貼られるようになっていった(これに関連して、高知大学の教授だった 専門家が書いたある本によると、「恵○氏はその実力は高く認められながらも、 段審査では合格は望めない、という風聞が剣道界でまことしやかに 伝えられている」という文が出てくる)。 また教職員大会の個人戦でも、一本の技を沢山打っているにもかかわらず、 審判が旗を上げず負けてしまい、それが試合に出なくなるきっかけに なったと恵○氏自身がインタビューで言っていた。 中倉氏のように戦前には「変剣」という評価はなかったにもかかわらず、 戦後になってそのような評価になり、それが死ぬまで続くという事例も、 中山博道氏の系統が表舞台からほぼ姿を消したこととあわせて考えると、 どうなのだろうという気はする(確言はできない)。 宮崎氏の場合、全日本の最初の優勝の頃は好意的にとりあげらていたが、 その後、激しすぎる非難に見舞われたことはご承知の通り。 宮崎氏の試合振りは、別に変わっていないと思われるが・・・。 宮崎氏のときはリアルタイムで見ていたが、なぜこれほどまでに批判される のか単純に不思議に思った覚えがあり、それが「正しい剣道」や、「正しい 剣道」に代表される現代剣道の価値観への疑問の端緒になっている 少なくとも、「正しい剣道」を理由に他人を批判するのであれば、その 「正しさ」の中身を明らかにすべきではないだろうかと、個人的には思う。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/228
229: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/22(火) 14:48:12 ID:Z2vHFBjW >>228の続き >>228であげた3人の例は、最初は必ずしも「変剣」という評価は 受けていなかったのに評価が大きく変わった、という点に共通点がある。 彼ら3人の剣道の内容が大きく変わったとは考えにくいので、 剣道の内容以外の原因により評価が大きく変わった、と考える のが自然だろう。「変剣」のレッテルを貼られることにより、そういう ものだという空気ができたしまったと。 「正しい剣道」の内容の曖昧さはそのような空気を助長する役割を果たした、 と思われる。結局のところ、「正しい剣道」か否かについて確たる基準が ないのだから、そうなってしまわざるを得ない。 そのほうが、剣道の世界の中の世論を作り出す側としては都合が良いのかも しれないが。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/229
230: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/22(火) 16:25:30 ID:LBqb46oF 俄かに空回りの流れだな 否定派にしろ、肯定派にしろ道を見つめ自問自答を繰り返すことは 個の成長に繋がる。双方が良い答えにたどり着くためには、始めに 結論ありきでは、まあ不味いだろうな。 剣の道の創めは、負ければ死だった。よって負けざる剣という思想も、 剣の道を歩むと決めたその心構えと共に共生していた。 剣の道を歩む者は、その志に死をいとわない。またその道を歩むなら、 志半ばでこの決心を、死して倒れてなるものかと、相反する心構えが 内在していたんだな。 剣道を始めたがゆえに取り付かれる邪念は評価だ。 だがこの評価というのは、剣道の道に限らないのだな。 人は他者からの評価に、心揺れるものだ。 評価を得るために、試合に勝つ事を欲するようになる。 美学、評価、実利 これはすでにパラドクス。であるから、ここで評価が多様化する。 しかしね、現代の剣道は、負けても死なないのだよ。 そして、剣で人を切る時代でもないのだよ。 ならば、今ではなく、後世に残すべきは何か?そこを考えてみて欲しい。 日本人は、敗者に美しさを見出せる、世界でもめずらし美徳を持つ人種だ。 こういう稀有な美学を体現できるものは、現代日本にも既に数少ない。 剣道は、今よりさらに美しくある可能性を残した、人の踏み歩む道なんだよ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/230
231: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/22(火) 18:35:55 ID:uL5VAJhK >>230 現代剣道に剣道に「美学」はないわな。 ルールを定めて競技の形式をとっている以上は、ルールが至上にあり 判定は、公平、公正でなくてはならない。 勝ったものを批判するのはあってはいけないし、勝つための努力を批判しては いけない。 ところが現代剣道は、「剣風」なる曖昧なものを下敷きに指導を行っている。 ルール上認められている行為も、剣風が卑しいなどとケチをつけて甚だしくは一本を とらない。 優れた技をこき下ろし、勝者を罵倒するというデタラメが許されるのは剣道だけ。 こんな剣道精神に迎合するということは、自分の頭で考えることができず、他者に すべてを任す「飼い犬精神」を育むことになるだろう。 飼い犬というよりブタといったほうが良いかもしれない。 「狼は生きろ、ブタは死ね」 という格言があるが、精神が卑しきものは剣の道で生きる資格がない。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/231
232: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/22(火) 21:55:22 ID:LBqb46oF >>231 本当に剣風というのは曖昧なのか? 至上というものの姿がそんなにも見えないか? 卑しさや崇高というのがそんなに判断の難しいものか? ルール上勝てばよいというのは崇高なのか? 短絡というものは往々にして卑しいものだ 勝てば官軍などという言葉は卑しいものの典型だ 深みに触れてもそれが解らないなら、救いようがないが 触れても居ないものを語っているならば恥曝しだ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/232
233: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/22(火) 23:00:50 ID:UFk15Oz6 >>232 「正しい剣風」というものが明確に示されていないなら曖昧だわな。 また、正しい剣風が試合で「弱い」なら、それを守る意味があるのかどうかは 議論の余地があるはず。 少なくとも信念をもって「弱い技」を好んで使っている以上、相手の動きや 技にケチをつけてはいけないだろうし、勝ち負けに重きを置かないならば 勝者のスタイルを卑しいとか、変則と批判する理由がないだろうと思う。 勝敗関係なく、ただスタイルを守りたいだけなら演舞をやっていればいい ことで、試合をする必要はないだろう。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/233
234: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/22(火) 23:13:45 ID:UFk15Oz6 例えば空手には、型と組手(試合)の二つがあり、ともに競技として成立している。 型では姿勢が問われるが、試合になれば、少々崩れていようが一本入れれば 勝者として認められる。 剣道のように勝者が批判されることはまずありえない。 人間が互いの技能を高めての殴り合い(まあ寸止めもあるが)である以上 勝敗は紙一重であり、そんなそんな格好よく決まるというものではない。 これはボクシングなどでも同様。 姿勢よく格好よく一本決めるのが当たり前という現代剣道の精神は、 ほかの武術・武道からみても非常にヌルい感覚だと思う。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/234
235: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/22(火) 23:49:46 ID:LBqb46oF >>234 それであれば、真剣を持って殺し合いが出来る場所を探し彷徨えば良い 否定のための理論構築でないのなら、真にヌルくないものを現実に 求めてみたらどうだ? とたんに口先だけの話になるんだろ? 剣の技と言うのは今後もどんどん失われていく。 それは世の流れだ。 そんな中、普遍な本質を残そうとする思想こそが今の剣道 そして、今の試合は、そういう変遷を経て存在する。 頭をぶん殴れば一本って思想がそもそも届いてないことに何故気づかない。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/235
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