[過去ログ] ■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 (1002レス)
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59: 2008/07/12(土)11:35 ID:whWW7pcj(4/7) AAS
こうしてまた否定派の頭の弱さが露呈されていくのね…w
別に剣道嫌い!っていう価値観は良いんだよ勝手に持ってれば。個人の自由さ。
ろくに議論も出来ない癖にそれを吹っかけてくるのが問題www
60(1): 2008/07/12(土)16:00 ID:IwFXYPoR(1/7) AAS
剣道・剣術なんでもいいけど、変わり者が多いね。
皆さん、くどそー。
61(2): 2008/07/12(土)16:20 ID:k9r0BYiA(10/12) AAS
>>60
たぶんくどいのは俺だけっすw道場の人とかみんなさっぱりしたもんだよ。
もしここと同じ話したら「分かってないなぁって感じだよねあはは」ってなもんだろうなぁ。
良くでる擁護派レスの「やってない奴には分からない」ってのが大勢でしょうね。
62(1): 2008/07/12(土)17:17 ID:IwFXYPoR(2/7) AAS
>>61
でもここの人たちは、剣道も剣術も上手な人はいないのだろうね。
剣道家も剣術家も、一癖2癖ありそうな人ばかりのような気がする。
てゆーか、考え方に柔軟性がないような気がする。
63: 2008/07/12(土)17:43 ID:5NJQU6k3(4/9) AAS
>>57
やっぱ剣道厨だわな。
現実が見れないんだから。それで現実を提示されるとファビョルw
厨が理解できるまで一般的な武道・武術の世界を提示しよう。
大義塾塾長 中村藤雄(剣道日本2008年六月号より抜粋)
中村博道、持田盛二、森寅雄に師事。亀井一郎範師、小林英雄範師、篠塚増穂範師、
宮崎正裕教師に技を伝えた。
中山(博道)先生は父の道場で「おい藤雄君。」と言って、私に足捌き、体捌きを教えた。
〜中略〜相手が打って来る時は、左右いずれかに開いて打つ。〜中略〜
「決して相手の刃の下に立つな。刃の下に立つと、かわしたつもりでも肩を切られる。
省10
64: 2008/07/12(土)17:48 ID:k9r0BYiA(11/12) AAS
>>62
2chには色んな人がいるから十把一絡げには把握出来ないと思うよ。俺はご察しの通り大したもんじゃないけどねw
考え方の柔軟性って具体的にはどんなものなんだろう?
自分と違う意見に対して「それは何故なの?」って聞いて相手の考え方を知ろうという態度は柔軟性ある態度だと思うけど、よく分かりもしないで「そうですね、そうですね」っていうのは柔軟とは言わない気がするよ。
トピックがあくまで「剣道」の話なんだから剣道の情報を基礎として共有するのは当然だし、剣道から離れたものについて語りたいならそれこそトピックの大転換をした方が良いんじゃないかと思うけどね。
ごっちゃに色んな話がでるのは2chの持ち味だけど効率は悪化するよな。だからスレチがたたかれる訳だが。
ところで自分の知ってる剣道剣術の凄い人たちは大抵一癖も二癖もある人なんだけどその意味でも俺なんか大したことないかもしれんw
65(2): 2008/07/12(土)17:49 ID:5NJQU6k3(5/9) AAS
>>57
剣道というものは剣術から生まれたもので、真剣を扱うという「精神」が根底にあるわけだ。
だから件のように、剣道でも実戦を想定しての足捌き、体捌きを教わる。
これがその部分。
>中山(博道)先生は父の道場で「おい藤雄君。」と言って、私に足捌き、体捌きを教えた。
>〜中略〜相手が打って来る時は、左右いずれかに開いて打つ。〜中略〜
>「決して相手の刃の下に立つな。刃の下に立つと、かわしたつもりでも肩を切られる。
>相手の刃は肩の外で空を切るようで無ければいかん。」と言って、
>打って出る私の竹刀を半歩右に開いて私の左半面をポンと叩く。〜中略
ここでは剣道のルールに現れない部分、すなわち「精神」を教えているわけ。
省2
66(2): 2008/07/12(土)17:52 ID:fzjhv3s8(1/9) AAS
現在の剣道が「実戦的か否か」とは異なる独自の価値観を持っていて、
剣道家がそれを大事にしているというのは理解できる。
しかし、例えば空手がそうであるように、もっと色々な流派
(すなわち価値観)が存在するのが自然なのではないかと思う。
もっと言えば、どのような技術を伸ばそうとしているのかが明確に
なっているならば、自然に流派(価値観)は分かれてくるのでは
ないかと思う。
「実戦的か否か」という視点は、どのような状況での戦いを想定し、
そこではどのような技術が必要とされているかを明確にすることへと
連なりうると思う。そういう意味では、精神性を強調するよりも
省1
67: 2008/07/12(土)17:55 ID:5NJQU6k3(6/9) AAS
>>57
剣道が真剣を扱う剣術から派生したことは「一般常識」と言ってよいだろう。
それ以外の答えはないのだから。
剣道厨は厨ゆえにそれがわからない。
だからこういうことを書いてしまう。
>さっさと「実戦を想定すれば」と限定した趣旨の発言指定アンカーと文字通り
>「一般的武道、武術の世界」の説明よろしく。「一般的」って言葉の意味が
>分からないなら辞書引いてこい。
まともな剣士であれば、先生の言わんとすることは理解できるはず。
スポーツ化した剣道をみて「精神がなくなった」と嘆いているわけだ。
省3
68(1): 2008/07/12(土)18:03 ID:fzjhv3s8(2/9) AAS
あと、>>54なんかでも引用されている文章によると、中村藤雄氏は
宮崎正裕氏にも自らの技を伝えた、とある。
「決して相手の刃の下に立つな」という教えを実践していたからこそ、
宮崎氏は試合であれほど勝っていたのではないか?少なくとも、彼の
強さの一因にはなっていただろう。
そのような宮崎氏が、現役時代に「正しい剣道ではない」、すなわち
現代の主流の剣道とは違う、として剣道マスコミその他から
散々叩かれたのは皮肉なものだと思う。
69: 2008/07/12(土)18:05 ID:2uxaL25a(6/7) AAS
>>65
>剣道というものは剣術から生まれたもので、真剣を扱うという「精神」が根底にあるわけだ。
ここからして間違いだから
却下
まず少しは真っ直ぐ進んでくれ、スタートから逸れまくってたら話にならん
70: 2008/07/12(土)18:12 ID:fzjhv3s8(3/9) AAS
>>65
>中山(博道)先生は父の道場で「おい藤雄君。」と言って、私に足捌き、体捌きを教えた。
>〜中略〜相手が打って来る時は、左右いずれかに開いて打つ。〜中略〜
>「決して相手の刃の下に立つな。刃の下に立つと、かわしたつもりでも肩を切られる。
>相手の刃は肩の外で空を切るようで無ければいかん。」と言って、
>打って出る私の竹刀を半歩右に開いて私の左半面をポンと叩く。〜中略
>ここでは剣道のルールに現れない部分、すなわち「精神」を教えているわけ。
それは「精神」というか、どのような状況での技術を学んでいるか、という
状況設定、もっと言えば練習の目的だよね。
その前提が、貴方と貴方が「剣道厨」と呼んでいる人たちの間で異なる
省1
71(3): 2008/07/12(土)18:29 ID:2uxaL25a(7/7) AAS
>>66
流派とか現在はもう殆ど関係ないんだよ
空手は実社会で空手そのままで使う場合があるかもしれない。
たとえば護身とかね
柔道にしてもそうだ
だけど、剣道には真剣を持って殺しあうという、剣術初期の形は残し得ないんだよ
空手は空手道という道を示しているかもしれないが、私は空手に深くかかわっていないので
その深い精神は知らないからここではなんとも答えようがないが、剣道が剣術から発祥した
精神でありながら剣という強大な凶器を封じられたことでその流れが大きく変わったことに
対して、空手は武術武芸としての形を大きく留めているだろう
省16
72(1): 2008/07/12(土)18:31 ID:whWW7pcj(5/7) AAS
>>ID:5NJQU6k3(もう面倒くさいからこれでいいやw)
剣道の成り立ちの最初の一歩もよく分かってない奴が良く言うwww
剣道がどうして剣術から派生したのか、剣術のどの部分から派生したのか知ってるか?
剣道がどうして面を打つことを大切にして首への攻撃を包摂しないのか、それは即ち
中心を攻め、相手の剣を殺し、機先を制して捨て身で打ち込む
そういう一撃を身に付けるための一稽古法が剣道の成り立ちなんだよ。
つまり、相手の中心を割った一本を身に付けるために他の致命傷になり得る攻撃を判定から外すことで相対化してるの。
何でその一撃を目的としたのかには諸説あるが、素肌剣術で相手を崩す最初の一撃として相手の顔面を斬り付ける攻撃が真剣勝負で非常に有効であったから、というのが理由といわれている。
宮本武蔵の60戦無敗の戦法の殆ども相手の眉間を斬り付ける攻撃で崩す戦法だったと言われている。
だから、「頭」じゃなくて「面」なんだよな。
省12
73(3): 2008/07/12(土)18:39 ID:5NJQU6k3(7/9) AAS
>>68
まさにそこなんだよね。
剣の術理とか理合いというのものは、ルーツを同じくする剣道でも多くは通じるのだが
現代剣道は、そういうものを意図的に排除して、内にこもっている面が強い。
排他的なんだな。
歴史も伝統も理合いも関係なく、「ごく一部の人間」の作った価値観を金科玉条の
ごとく信仰している剣道は、中村先生の言を持ち出すまでもなく剣の理合いに触れた
立場からみれば滑稽にしか見えないものなんだが。
74: 2008/07/12(土)18:46 ID:whWW7pcj(6/7) AAS
>>66
>>71
剣道にも多数の流派がありえるのではないか?という可能性の議論については、自分も>>71氏と近い立場。
ただ一方で、多数の流派や形があることによるメリットのようなものも考えられるから、変わった動きに対して「それは邪剣だからダメだ」と一方的に否定してしまうのもいかがなものかとは思う。
ただし、やはり剣道なのだから相手の中心を攻めて勝って打つ面を目指す、という軸はぶれてはいけないんじゃないかと思う。
というか、それ以上に剣道って物凄く動きに個性の出る武道(スポーツ)だと思う。
100人競技者がいても、本当に100パターン動きの個性があると言っても過言ではない。
道場でもそうだよね。袴の名前なくても構えを見ただけで「あ、○○さんだ」って分かっちゃうもんで凄く面白い。
また、道場や学校によって剣風の傾向もはっきりと見て取れる。ただ、そういう微妙な違いってフィクションでは表現しにくいから剣道ものの漫画とかって結構こけるんだけどw
少なくとも、相手の機先を制した正面からの面打ちを打つ、剣道と言えば面、っていうのは剣道が本来持っている価値観なんだからそこは共有していかないと、
省7
75: 2008/07/12(土)18:48 ID:5NJQU6k3(8/9) AAS
>>71
柔道についてはその通りだと思う。
さらに多くの人が剣道に感じている違和感も同じ理屈と思えばいい。
柔道における「死に体」というのは、相手の技が効いた時点で死んでいるのだから
その後の反撃は認めない。
という「精神」なわけだ。
だが、外人にはその「精神」が理解できない。
「死に体」が理解できないから、外人の理屈では、体が動くなら反撃は認められるべきであろう
ということになる。
よって柔道の国際ルールは変わって、どんな状態であろうと最後に背中をついたほうが負け
省5
76: 2008/07/12(土)18:50 ID:whWW7pcj(7/7) AAS
あと、宮崎選手が叩かれた方向性は「現代剣道の主流ではない」という論調ではなくて「剣道本来の動きから外れている」という論調だよ。
どっちかっていうと何度も貼られてる中村先生の「剣道本来の動き」という立場からの批判だ。
相手の剣の下に立たない、とかそういう動きでなくて、実際には相手の隙が生じたとしてもリスクのある技を控えて相手のミスを待つ戦法だったりとか、
一本取った後の試合内容に積極性が欠けている、とかそういう類。
ID:5NJQU6k3はいい加減事実を自分に都合良いように捻じ曲げるのやめたら?www知ってる人から見たら滅茶苦茶恥ずかしいぞ。
77(1): 2008/07/12(土)18:58 ID:fzjhv3s8(4/9) AAS
>>71
>それでは剣道が、本来剣で殺しあうという目的を失ってもまだ残そうとする
>ものはなにか?というところに現在の剣道の本質があるんだよ
>だから、現在の環境で剣道に流派なんていうものは本来存在出来ない
現在の環境で流派が存在できない、なんてそんなことはない。
現実に、中山博道氏の流れを継いだ日本剣道協会や一剣会もある。
全剣連の価値観が圧倒的多数なのは、多分に政治的なものだ。
>歴史や環境によって、剣道はずいぶん見た目の形を変えてきているが、
>それでも先人が残したかったのは何なのか?
>まずそれを理解しなければ現在の剣道は理解できないと思う
省6
78: 2008/07/12(土)19:00 ID:5NJQU6k3(9/9) AAS
>>72
>素肌剣術で相手を崩す最初の一撃として相手の顔面を斬り付ける攻撃が
>真剣勝負で非常に有効であったから、というのが理由といわれている。
↑
ちなみにこの理屈は都市伝説ね。
顔面というのは反射的に防御しやすく、的としても小さく、致命傷になり難い。
また、真剣は折れやすいので崩すなんて手間隙をかけずに、初撃から致命傷を狙う。
よって古流の剣術では、袈裟切りが基本になるわけ。
首筋には頚動脈が走っているから、1センチでも刃先が当たれば致命傷。
また、外れたとしても肩に当たれば相手の戦闘力を削ぐことができる。
省4
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