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■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 (1002レス)
■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/
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54: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/12(土) 04:06:27 ID:5NJQU6k3 >>48-49 これが武術の世界だ。 心して読めよ。 大義塾塾長 中村藤雄(剣道日本2008年六月号より抜粋) 中村博道、持田盛二、森寅雄に師事。亀井一郎範師、小林英雄範師、篠塚増穂範師、 宮崎正裕教師に技を伝えた。 中山(博道)先生は父の道場で「おい藤雄君。」と言って、私に足捌き、体捌きを教えた。 〜中略〜相手が打って来る時は、左右いずれかに開いて打つ。〜中略〜 「決して相手の刃の下に立つな。刃の下に立つと、かわしたつもりでも肩を切られる。 相手の刃は肩の外で空を切るようで無ければいかん。」と言って、 打って出る私の竹刀を半歩右に開いて私の左半面をポンと叩く。〜中略〜 だが現代剣道は竹刀競技であって剣道ではなくなった。ただバカバカと当てるだけである。 全日本選手権大会の選手の剣道たるや、私には見られたもので無い。 聞いた話では五分間の試合で、なんと75回も打ちを出していたというから、 単なるあてっこ競技と言わざるを得ない。〜中略〜 竹刀競技の人は、当たっても怪我をしないから、剣の怖さを知らない。 〜中略〜高野先生も中山先生も、何でもこなせないと本物の剣道家で無いという。 だから私は上段も二刀も、薙刀もやった。上段をやらなくては、 上段の気持ちが分からない。二刀もしかり。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/54
55: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/12(土) 04:27:31 ID:2uxaL25a >>54 前から思っていたが、それは剣術の話だろう 剣道という言葉を指すとき、幾つかの言葉が同時に含まれる 武芸としての剣道、いわゆる剣術 道としての剣道、姿勢や礼とも見られる 勝敗を決める試合としての剣道、スポーツとも見られる どれをとっても剣道というが、現在、剣道は真剣で人を切るものではない しかし、剣術その武芸の流れを汲んだ試合は行われる 剣術に心酔したものなら、凶器としての剣を求める事があっても全く不思議ではない しかし、剣も薙刀も今後、凶器として人を殺害する意図で生み出されることはない もうそういう時代ではない そして、そういう流れを惜しんだ剣の道を行く者も多く居たが、それさえ遠い昔の話だ それはいまさら、ましてや>>1などが騒ぎ立てることではない また試合としての剣道がどう変化しようが変化してはいけない部分がある それこそ剣道が剣道と呼ばれる所以なのだ まあ>>1やらその他のトンマには理解の及ぶ範囲を超えているが、そういうことだ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/55
58: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/12(土) 09:37:44 ID:k9r0BYiA ごめんまたアンカーずれたorz 馬鹿は>>54で補足くれたのが>>55氏でした。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/58
68: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/12(土) 18:03:28 ID:fzjhv3s8 あと、>>54なんかでも引用されている文章によると、中村藤雄氏は 宮崎正裕氏にも自らの技を伝えた、とある。 「決して相手の刃の下に立つな」という教えを実践していたからこそ、 宮崎氏は試合であれほど勝っていたのではないか?少なくとも、彼の 強さの一因にはなっていただろう。 そのような宮崎氏が、現役時代に「正しい剣道ではない」、すなわち 現代の主流の剣道とは違う、として剣道マスコミその他から 散々叩かれたのは皮肉なものだと思う。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/68
81: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/12(土) 19:42:17 ID:fzjhv3s8 >>80 >それなら「宮崎選手の動きは本来の剣道の形に沿ったもので間違いでは >ない」みたいな古流傾向の先生からの擁護があるべきだと思うけど >そういう擁護はつかなかったと記憶しているが。 宮崎氏の当時の動きが古流の立場から見てどうだったか、というのは わからないが、>>54にも引用されている「決して相手の刃の下に立つな」 という教えを、宮崎氏は実践していたように思う。 当時は審判に不利にみられかねない剣風だと認識されていたから、 そうでなければあれほど勝てないと思う。 現に当時宮崎氏と稽古したk八段(例のk本県警の事件の首謀者)が インタビューで宮崎氏について次のように述べていた。 「モノが違う。打っていってもそこにいない。」 これは、上記の教えを実践していた証拠だと思うのだが、どうだろう? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/81
136: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2008/07/16(水) 01:11:06 ID:T5rsAVGK >>133 >考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」と >いう言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。決して「斬られずに斬れ」と >仰っているのではない。 防御偏重で腰のひけた剣がダメなのは当然の前提だろう。 >>54で引用されているそれらの言葉の意味は、真剣を扱うことを前提に するのであれば、相手の竹刀を体に触れさせないようにしなければならない、 としか読めないのだが。 >剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのは >それが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって >当然の反応なのだろう。 >このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられている >ように感じる。 >>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。>>73が指摘して いるように、剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず なのに断絶している部分が大きいから、>>54のような表現になった、と 考えているのだが違うのか? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/136
138: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2008/07/16(水) 01:34:06 ID:JuakNJnj >>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している >ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。 恐らく、その「全否定ではない」という部分が肝なんだと思います。 私が書いたのも、やはり現代剣道の一部分の批判ですね。(現代剣道、は特定の内容ではなく現代行われている剣道、という意味です) 「この発言があるから、剣道なんてやってもダメなんだ」 「つまり剣道の当たり判定で稽古をしてもダメなんだ」 そのように解釈する者がかつていました。(今はどっかいったかと思うと夏蝿のように湧いてきますw) また、「それゆえ剣の理合=攻撃<防御だ。当てっこは理合に適う」という趣旨で捉えるのもやはり間違いだと思います。 「剣道の攻撃偏重の中でも、竹刀は刀であることを忘れてはならない」ということ、即ち私が書いたところの当てっこ批判と同じですが、それを意味する趣旨と解するのが自然ではないでしょうか? また、 >剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず >なのに断絶している という点について、では通じるはずなのに何故断絶していると考えますか? >>73氏は意図的に排除したかのように書いていますが私は違うと考えます。 一つは、「斬られずに斬る」が実戦的であり、実戦では防御と攻撃のバランスも重要視されるところ剣道は攻撃を是とし特化する武道であるため、 攻撃の理合の前に防御の理合が相対化する、ということを>>73氏は理解していないということ、 それに加えて真剣の術理でも攻撃はかなりの重要性を占めていた(というのは文献からしか推察できませんが。)点で、>>73の「剣の術理」に対する理解が不十分であること、 つまり、現代剣道にも剣の術理(特に攻撃面)は充分伝わっていながら>>73氏はそれを理解できていないというのが真相かと思います。 しかし、現代剣道に伝わるべき、伝わってしかるべき術理というか、競技としてのルール上は必要ないがそれでは剣の攻撃の術理を体得するものとして真っ当できない、というのが 中村先生の仰る忘れてはならないこと、現代に於ける相手に打たることを軽視するという捩れへの警鐘なのでしょう。 そのように解することで、全てが論理的に素直に繋がっていくと思います。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1215544526/138
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