中国の伝統武術やカンフーは弱い事がバレた (359レス)
中国の伝統武術やカンフーは弱い事がバレた http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/
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178: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/27(土) 13:01:02.93 ID:nbe4x/wN 411 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/29(土) 09:40:42 ID:S3dQuXxB0 “COMBAT 〇I”はそれこそ何十年も前から『ブラック・ベルト』なんかに通信教育の広告出してるよ(笑 要は台湾や中国なんかでもよくやる硬気功表演の一種やな。バスやトラックを腹の上走らせたりね。 これはこれでひとつの技術であり、熟練するにはそれなりの修練が必要やとは思うが、やっぱ我々の感覚 では正統派の武術とは言えないな。 ただ、この流派に関していえば“DIM MAK”つまり“點穴”をメインに置いてるわけや。 こういうデモをやるのは「我々はこんなに鍛えてる!」ということを誇示するためでは なく、「人体というのは場合によってはこんな衝撃にも耐えられるのだが、しかしそれでも 點穴の方法を用いればいとも簡単に倒されてしまう・・・」ってことを主張したいからやな。 その點穴で確実に相手を倒す技術というのは・・・やはり正統な空手や功夫の稽古をやって るんやろう。 416 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/29(土) 10:01:59 ID:S3dQuXxB0 ほんならフツ〜に空手や功夫の表演をやればよさそうなもんやが・・・ そこはやはり資本主義経済の本場アメリカ・・・人目を引く営業努力をせんと勝ち組にはなれん。 動画に“全米に三千人の弟子”なんて出てたけど、通教や単発セミナーなんか を入れると実際にはもっとおると思う。 さらに本やDVD、関連グッズなんかもあるわけで、この“宗家”の年収は私の数倍 から下手すりゃ十倍以上になりかねん。 これはこれで立派な職業武道家や。 私でも一億円くれるっていうんなら医者なんかさっさとやめて、こういう表演で全米を歩き回るよ(笑 つかこれは最初から“格闘技”ではないんやから、その場合締め落とした グレイシーのほうもちょっと大人げないな(笑 420 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/29(土) 10:12:12 ID:r8uy7IaCO 痛みは耐えれても、締めは無理っしょ。 昔々のインドの苦行に首を締める修行があったらしいが、それでも限界があるよ。 419 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/29(土) 10:10:59 ID:S3dQuXxB0 つか柔術の締め技も點穴の一種なんや。 點穴というとマンガに出てくるみたいに「指先で経絡秘孔を突く!」てな イメージがあるけどなw 要は人体の急所を的確に攻撃して、最小限の力で 最大限の効果(つまり殺傷力)をあげる・・・てのが本来の意味。 中国の“チンナ”というのは以下の技術に分類される。 ?分筋:皮膚や筋肉を捻るようにして制圧する。 ?卸骨:関節・靱帯などを痛めつける。俗に言う“逆手技” ?點穴:当身技のこと。 ?封閉・截脈:脳への血流を遮断し気絶させる方法。締め技はここに含まれる。 拳法やシュワイジャオに優れ、たくさんの技を知ってたとしても、こういう チンナの理論や方法を用法に反映させられないのは“低級な武術”になってしまう。 その反面さほどたくさんのことは知らなくても、実戦でこれらの方法が自然と できる人は高手や。侍衛や軍人、警官なんかが習うのがこれやな? 表演しかする必要のない人はこんなことは知らなくても、できなくても全然問題ない。 そもそも同じ武術でもまったく方向性が異なるんやから・・・ 八極拳は一撃必殺の強大な発勁だ!っていうけど、これはあくまでも“拳児”の 中のおはなしであって、マンガやからやたらド派手に人がフッ飛ぶにすぎない。 前に書いたように李元智→李清漢の“憲兵八極拳”なんかになってくると、 コンクリートの壁に穴が開いた!なんてアホなこと言うてるんやのうて、ひたすら 人体の急所を攻めまくるだけや。 you tubeにある大内八極拳のテレビ特集でやってる用法もそんなんばっかやろ? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/178
179: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/27(土) 13:13:31.09 ID:nbe4x/wN 438 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/29(土) 14:28:44 ID:S3dQuXxB0 私にはわからないけどやっぱなにかコツというか特殊な方法があるんやろうな。 沖縄の空手でもタマキンをどうこうとか聞くけど。 そやけど立って構えた状態ならそういう手品もできても、お互いに動き回って 闘うとなるとそんな方法は役に立たないやろう。 ノドに槍を突き当ててもだいじょ〜ぶ・・・って気功の表演があるけど、ホンマ に殺す気で突っ込んでこられたら逃げなしゃあないで(笑 ただこれは私の経験やが・・・ 学生時代空手の試合に出たんはええが、どうもその日は体調が良くなかった。 ほんでもって動きも悪いし、最初の試合では一方的に惨敗したんかな? 次の試合でも途中まで全然ええとこなくって・・・ ところが私がヨレヨレの突きを出したときに相手の前蹴りが私の 股間をまともに直撃! ふだんなら試合の勝ち負けはともかくこんなカウンターは絶対喰らわ ないんやが、この日は調子狂ってて踏み込みが甘く、下段の守りも なってへんかったわけ・・・ 当然私は倒れ・・・たんやが、急所を蹴られて悶絶っていうんやのうて、 衝撃でビックリしたっていうか、ちょうど後ろから突然「ワッ!」てやられた ような感じやった。 タマキンにまともに蹴りが入ったんは事実やが、別に特に痛いとは思わへんかった。 それどころかいままで気が抜けて全然安定してへんかった下半身が、まるで別人の ようにドッシリと安定するようになり、それまでの不調がウソみたいに身体がよう動くようになった。 結局その試合、ポイントで勝ったんか負けたんかは忘れたが、 あそこを蹴られてからというものは自分でも納得いく動き、試合 ができたのは憶えてる。 試合のあとですぐにトイレに行って見てみたが、確かに蹴られた はずやのに多少赤くなってる程度でまったくなんともなかった。 こういうことも実際あるってことや。 一種のショック療法なんかな? そういえば大兄とかにまともに突きや蹴りを入れられてダウンさせられる のは毎度のことやったが、ときどきその後数日前から具合悪かった胃腸とか 腰とかが良くなってしもたり・・・なんてことも何回かあったな(笑 いずれにせよそういうんはまったくの偶然や。危ないからよい子のみなさん は決してマネしないでね(笑 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/179
180: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2022/08/27(土) 14:21:55.15 ID:AYkHDjlR そういえば、倉井って今どうしてるんだろうな http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/180
181: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2022/08/27(土) 19:18:50.87 ID:EIp9V7MO >>174 これ、何かの歌の歌詞になかった? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/181
182: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 03:37:35.47 ID:SY0PqdVG 323 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/02(日) 13:26:51 ID:bngQxMoj0 「大拿別子」って大外刈りと同じ? 325 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/02(日) 14:55:46 ID:+MX1GFCi0 >323 あのニュースでは腕取って投げてたような記憶が・・・ 本当は腕極めてそのまま投げるんじゃないだろうか? 頭打とうがお構い無しに すごくソフトバージョンで実演してたんじゃないかと。 326 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/02(日) 16:26:48 ID:vp+AjXN2O 掛けた足で犯人の身体支えて、ひっくり反らんよう後頭部を持ってたな。 327 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/02(日) 16:30:15 ID:bngQxMoj0 “別子”という名前が何か気になって調べてみたところ、“別(bie)”には 「ひっかける」という意味があるそうで、“別子”は「ひっかけて倒す技」 というニュアンスらしい。手でひっかけるか足でひっかけるかで“手別子” “腿別子”に大きく分類される。“腿別子”ではまた手で組む位置によって、 例えば“大領”(奥襟)をつかんでかけるのは“大拿別子”、“直門”(右手 なら相手の左前襟、四指が外、親指が内)をつかんでかけるのは“直門別子”、 “偏門”(右手なら相手の右前襟、四指が内、親指が外)をつかんでかける のは“偏門別子”、というようにいろいろ呼び方があるらしい。 違ってたら指摘よろしこ。 329 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/02(日) 17:17:07 ID:XzMo7ECC0 >327 中国語の辞書には“別子=別針”とあって“モノを止めるピン、クリップ”みたいな 説明がある。相手の脚の後ろにひっかけた脚をピンやクリップのように考えてもらえば ええわけですな。 柔道の“刈り”というよりは相撲の“掛け”に近いニュアンスかもね。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/182
183: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 03:40:40.12 ID:SY0PqdVG 698 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/07(金) 09:52:45 ID:Aq2CI+v80 松田本でご存知のように中央國術舘の八極拳は“団体訓練”“一般普及”用の簡易式で 古傳の勁道は失われ、実戦拳法としては役に立たない体操である・・・という認識が日本 ではある。 しかしこのスレでも何回かやったように、それはあくまでも全国に散らばった教官たちが 一般の兵士や学生(職業軍人や武術の専門家ではない)教える際に、やむをえず簡易化した もののことであって、國術のプロを養成する中央國術舘においてプロの中のプロたちに伝授 されたものとは明らかに異なる。 私もそのことは理屈ではわかっておったんやが、昨夜身をもって理解できた。 699 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/07(金) 10:03:21 ID:lRDYTuIq0 松田留置の功罪だな・・・、で、今は呉連枝の八極何ぞにうつつをぬかしてる。 700 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/07(金) 10:07:20 ID:Aq2CI+v80 とくに李元智は台湾において“憲兵八極拳 開山祖師”と称せられている。 大内八極拳ならぬ憲兵八極拳・・・『拳児』ではとりようによっては“劉雲樵>李元智” のような書きかたがされていたが、それは大きな誤解やということ。 ただ大内八極拳もそうやが憲兵八極拳のほうも松田先生が初めて台湾に行かれた1970年頃 には一般にはまったく公開されてなかったということ。 当時の台湾はまだまだ軍事独裁政権やったからな。MPが内部で練習してる格闘技はそれ自体 が軍事機密で、いまみたいに外部に公開するということはまずなかった。 当然松田先生らが目にする八極拳が高校生や一般兵士のやるもので、それで上記のような 誤まった認識をもたれたのではないかと思う。 私も台湾でそういう民間の八極拳を見たが、確かにあれだけ見れば松田先生が そんなふうに考えてもしゃあないと思う。 一方で現代の台湾においても憲兵というのは厳格や。 台北市の中心部にある憲兵総司令部の前をよくクルマで通るが、繁華街などは 東京や大阪と区別がつかないほどモダンになり自由になったこんにちの台湾でも あそこの前だけは非常に場違いな・・・一種異様な雰囲気がしてる。 政府の悪口を言うただけで即タイ〜ホ→収容所送りになってた40年くらい前の 台湾では憲兵隊などというのがいかに一般社会とはかけ離れた世界であったか、 いまの若い人たちにはちと想像するんは難しいかもね。 我々のような民間人は趣味・娯楽で武術を練習してるわけや。 そやから自分の意思で続けることもやめることも可能やし、マイペースで 生涯にわたって修業・・・なんて悠長なことも言うてられる。 ところが軍人や憲兵、あるいは侍衛なんかの場合は職業上の義務というか 任務として武術を学ぶ必要があるわけやな。 教えるほうも「黙って修練してればそのうちわかる」やの、まして「宇宙と 一体化w」なんてことを言うてるバヤイやない。 プロとして結果を出さんとあかんわけで、教えるほうも教わるほうも必死や。 世間一般で言われる“カンフー”とはまったく別の世界がある・・・ということを 昨日李老師にお会いしてあらためて思い知らされた。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/183
184: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:04:43.86 ID:SY0PqdVG 782 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/08(土) 09:08:28 ID:gySIJWi20 道場に入るとシルバーブロンドの李清漢老師のお顔が真っ先に目についた。 ネットで見た写真の通りや。さっそく抱拳禮をして初対面の挨拶。 師匠の『武壇春秋』を見せて、劉雲樵門下の彭武熾の弟子です・・・と自己紹介する。 李老師は持参した多くの資料を見せてくださった。 李元智や常東昇、潘文斗など、中央國術舘の錚錚たる名師といっしょに撮った 写真や、それらの師より授けられた手書きの拳譜などがたくさんあった。 李老師は「私は1949年、20歳くらいのときに台湾に来て、そのあとこれらの老師たちにおよそ30年ほど 師事した。どの老師からも真伝を授かったよ」と言うてはった。 “1949+30=1979”・・・これらの老師たちが亡くなったのはだいたい70年代から80年代にかけてやから 確かに李老師のおっしゃるとおりや。 老師が学ばれたのは“憲兵八極拳”“シュワイジャオ”“チンナ”“八卦掌”などがメインやが、どんな 拳法でもだいたいひととおりはできるらしい。 身長は・・・私と同じくらいやな。165センチ程度で、体重は60キロ。 体重は「50年間変わってない」と言うてはった(笑 お会いするまではさすがに80歳と聞いてたんで、まあやはりもうかなり 衰えてはるんかもなあ・・・と思ってたんやが、実際に見るととてもそんなふうには見えない。 腕も筋金入りでおなかにはわずかな贅肉もなく、触らせてもらったが腹筋は 見事に割れたブルース・リーボディや。 一瞬師匠を思い出したが80歳でこの肉体とは、確かに “超絶老人”や(笑 李老師:「國術を志す者は“酒”“タバコ”“女人”を遠ざけなければならん。 食事も最低限度であるべきだ。 台湾南部の師傅たちは毎晩のように乾杯!をやって、バカみたいに 飲み食いするけど、ああいうことをやっててはトシとってからも功夫を維持することは難しい。 そういう習慣は若い頃から始まるわけで、若い人ほど自制心を強く 持たねばならん」 み、 耳 痛 〜 っ ! ( http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/184
185: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:05:15.09 ID:SY0PqdVG 実際李老師はほとんどメシ食わないみたいや。おトシやからもうそんなに 食べないのかな?とも思ったけど、若い頃からそんな感じらしい。 つかもう24時間國術のことしか考えてはらへんみたいやな(笑 食うにしても寝るにしてもすべては武芸のため・・・であって、武術が本能化してしまってる。 李元智はじめむかしの國術大師というのはみなこんな感じやったらしい。 李老師は廣東生まれ・・・と聞いてたのでこんな質問をしてみた。 劉月侠:「老師は南方のご出身だそうですが、やはり子どもの頃最初は南拳・・・ 洪家拳とか鶴拳とかから始められたのですか? 李老師:「確かに私は南方で生まれ育ったが、祖先は河南省の開封に住んでいた。 知ってるだろ?ここは少林寺のすぐ近くだ。 祖先の住んでた地域では誰もが武芸の修練をしていたので、私も祖父や父から最初に少林拳を学んだ。 いわゆる“北少林”ということになる。もちろん育った地域が地域だから 南方の門派もやるにはやったが、ベースはあくまでも北派だな」 李老師:「河南は自然環境が厳しく、黄河の氾濫による水害、干ばつ、蝗害などが絶えなかった」 劉月侠:「パール・バックの『大地』に出てくるようなおはなしですね?w」 李老師:「そう!よく知ってるね!w」 李老師:「だから生活に困窮した流民が多く発生したのさ。 私の祖先もそうで、故郷を離れて各地を放浪し“打拳”や“売芸”で糊口をしのいだ。 放浪の末に南の廣東にたどり着き、ようやくここで定住するようになった わけだ。私の武芸や医術のルーツというのはそういうところにある。 “走江湖”ってわかるだろ?」 劉月侠:「“走江湖”?!まるで映画や小説みたいなおはなしですね!」 李老師:「いまでこそ映画の世界だけど、私が子どもの頃には当たり前の話でそう珍しいことじゃない。 映画になるというのもモデルがあるからで、しかもそういう話を聞いて共感する人がそれだけ多いということだ」 以前李老師のバイオグラフィーを紹介したけど、李老師は廣東・廣西で育ったのちに 國共内戦を経て台湾・・・さらにシンガポールなどを転々としていまはなんと中南米の エルサルバドル在住という、まさに放浪の拳法家である。 80歳になった現在でも今日は日本、明日はヨーロッパ、さらにその次はアメリカと世界 を休む間もなく飛び回っておられるが、どうもそういう運命というか血というのは祖先 から受け継がれてきた“走江湖”の伝統なのかもしれない・・・ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/185
186: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:07:50.07 ID:SY0PqdVG 798 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/08(土) 15:49:09 ID:WMnZaqt20 竜明宏に何気に似てる(笑 799 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/08(土) 17:01:56 ID:yvmVwVpk0 劉月侠:「ず〜っと軍隊や憲兵隊で教えておられたのですか?」 李老師:「家がお世辞にも裕福とはいえなかったので若くして軍隊に入った。 いま話したように私は江湖の武芸を多少心得ていたので、軍の幹部 が武術教師に適任であると判断し、教官養成班に推薦してくれたのだ。 大陸を去り台湾に来てからも助教をしながら学んだ。 潘文斗には金門島で学んだが、当時(1950年代)金門島は大陸と交戦中で 命がけの毎日だったな」 劉月侠:「内戦もさることながら日中戦争中は大変でしたでしょう?」 李老師:「私は廣東で軍に入ったわけだが、南方はとくに日本軍の攻撃が酷かった。 國民政府は日本軍の攻勢に耐えきれず、本拠地をどんどん内陸に移転して ついには昆明まで来てしまっていた。 米英は日本の進攻を食いとめるためにビルマを経由して蒋介石総統に援助 物資を供給していた(いわゆる“援蒋ルート”)。 その補給路を断つために日本は台湾の基地から飛行機で空爆を繰り返した ため、南方各地は相当甚大な被害を受けたものだ」 劉月侠:「ううっ、私はもちろん本や映画で何度も見てよく知ってるつもりですが、 実際の体験談として聞くとやはり身が引き締まるような思いですね・・・」 李老師:「わはははは・・・もう大むかしのことだよ!w しかも戦争というのは いつの時代であれそういうものだ。 でもやはり歴史というものはよく知っておかないといけないな。 日本でも、中国や台湾でも、最近の若い連中は武術を学ぶのも表面的な 技術のことばかりで、歴史やその背景にある精神なんかを疎かにしやすい。 そういうことはキミたちが伝えていかないとダメだよ」 劉月侠:「李元智や常東昇といった老師たちも同じような目に遭ったわけで、 日本に対しては相当反感を持っていたのでは?」 李老師:「そうでもない。もちろん敵だから好きなわけはないが、でもね、 戦争で無茶苦茶してたのは“偽日本人”なんだよ。 “真日本人”というのはおとなしく、礼儀正しく、たとえ戦争で あっても決して筋の通らないことはやらなかった。 みんなこういう真日本人は嫌うどころかむしろ尊敬してたよ。 私も戦後・・・こうして日本人に教えるようになったりして、先師 たちの言ってたことが実感できるようになった」 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/186
187: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:08:20.23 ID:SY0PqdVG 李元智や劉雲樵など、かつて日本軍と戦った大陸来の老師たちが日本に 対して複雑な感情を抱いていたのは事実のようだが、だいいち蒋介石総統 からしてそうなのである。 ただこういう軍人たちは旧日本軍の軍規の厳しさや勇猛果敢さには非常に 敬意を表していたらしい。 劉雲樵もそういう話をしていた・・・ということを師匠から聞いたことが あるが、現代の我々は果たして胸を張って“真日本人”である!と言える であらうか?(笑 劉月侠:「ところで李老師は鍼灸のほうも大家だそうですね?呉恵平に師事したとか?」 李老師:「おおっ!呉恵平なんてよく知ってるね?キミは西医だけでなく中医も勉強した のか?台湾の鍼灸師で呉恵平を知らなかったらモグリだよw キミも呉恵平に習ったのかい?」 劉月侠:「いや、鍼灸の師は武術同様彭武熾ですが、彭は呉恵平のことは よく知ってると言ってました」 李老師:「そうだろうそうだろう・・・w 台湾の正統派の鍼灸はほとんど 呉恵平の息がかかってるからな。当然のことだw」 李老師:「すでに話したように私の先祖は“走江湖”だったので、生活のために 医術も心得ておく必要があったわけだ。 そういうわけで私も子どもの頃から武芸とあわせて鍼灸を学ばされた。 私も含めて呉恵平の弟子というのは軍人が多かったな。 つまり軍医ということだ」 私が持っている呉恵平の著書(『鍼灸世紀』)には呉恵平が楊森将軍(國府軍元老)や 旧カンボジア共和国大統領ロン・ノルなどと一緒に写ってる写真が載ってる。 呉恵平というのは“鍼灸版李元智”・・・と考えていただければええと思う(笑 ただ私の師匠が言ってたが、こういう立場の鍼灸師たちは教授が非常に厳格で、師匠の 鍼灸の師などは劉雲樵よりも怖かった・・・なんて言うてた(笑 いずれにせよ民間ではない軍界のおはなしや。 國術にせよ鍼灸にせよ、1970年くらいまでの台湾では軍界と一般社会ではまったく異なった 世界があったらしい・・・ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/187
188: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:08:32.80 ID:SY0PqdVG 918 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/10(月) 20:59:31 ID:0VP9+FIG0 すべて学んだわけではないが、中央國術舘〜李元智〜李清漢老師と受け継がれてきた八極拳は たいへん素晴らしいものであった。 もちろん一回や二回習った程度で「ここが優れている!」とか「こういう特長がある!」なんて 論評するのは甚だおこがましいことなのではあるが、まあ2ちゃんねるということで私なりに 気づいたというか感じたことをいくつか書いてみよう・・・ まず李老師ご自身が仰ってたことやが、非常にシンプルである。 シンプル=単純・・・ということで、松田本の影響を受けた人は「やはり古傳の技法を 簡略化したため精密な秘伝の方法が消滅してしまってるんや」なんて思うかもしれんが、 いちがいにそうとばかりは言えない。 むしろ古い套路に見られるような意味不明の(これもマニアによると「深い意味がある」 らしいがw)複雑な動作が省かれ、八極拳の精髄中の精髄というべき動作だけで構成されてる ように思う。 そやから非常に習いやすいんやな? もちろん個々の動作に関してはやはり細々とした要点が多々あり、熟練するには他派の八極拳 同様長い年月と研鑽が必要であるということに変わりはないが、とにかく見てて、やっててわかり やすい。これが第一の特徴や。 みなさん思い出すやろう?中拳界で大むかしから言い伝えられてきた伝説・・・ “高級な武術と低級(単純)な武術”・・・ 「ボクシングにはストレートとフックくらいしか技がない。あとは体力と反射神経と 根性に頼るだけの低級な拳法である!それに対して中国拳法というのは奥が深く、 高級な技法が多々あり・・・云々」 こういうことを言うてる中拳家の実力が実際にはいかなるものであったか?・・・なにも 武壇スレでなくても武道板ではもはやギャグにもならんがな(笑 つまりシンプル=単純だから「たいしたことない」なんていうのはアホらしいこと甚だしい ということや。“シンプル イズ ベスト!”(笑 第二としては・・・ 昨日書いたように李清漢老師は「八極拳は“ボンバー”だ!」と仰ってたし、 事実李老師の発勁はまさに“八極は爆発だぁっ!”というべき凄まじさであったが、 実際の用法では非常に“チンナ”が多かった。 中国拳法の技というのはほとんどが“打”“拿(チンナ)”“シュワイ”“点穴”の 各種用法に応用できる・・・というのはよく聞くと思う。 八極拳においてもこれは例外でなく、どの派でもチンナの用法というのは必ずある。 劉雲樵は“聯合警衛安全指揮部(金立言先生らが所属した統合侍衛隊)”で教えるよう になるまでの旧組織であった侍衛には主にチンナを教授してたそうやし、大陸の呉連枝宗家 のビデオではチンナ用法の解説にかなりの時間が割かれていたのを憶えている人もおるやろう。 そやから八極拳の用法としてチンナがあるのはむしろ当然のことなんやが、李清漢老師の解説は とにかく突出してチンナが多かったように思う。 最初私が思いがけず技を掛けられたのもチンナやったしな。 これは昨日言うたように李元智の八極拳が“憲兵八極拳”であることに 関係が深いと思う。ちなみに“中央國術舘系”“軍隊の”八極拳というのは みなさんよく聞くと思うが、“憲兵八極拳”というのは初耳やろ? 私も今後は民間で教伝されてる一般の八極拳と区別して、李元智の八極拳の ことを憲兵八極拳と呼ぶことにしよう。 金立言先生が自らの八極拳を大内八極拳と称してはるんと同じや。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/188
189: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:23:42.50 ID:RWHpIiCl 927 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/10(月) 21:44:56 ID:0VP9+FIG0 憲兵=MP(ミリタリー・ポリス)・・・読んで字のごとく警察業務がメインやから、 憲兵の行う武術というのは逮捕術の一種がメインであり、憲兵八極拳もその業務上の 必要性からチンナが主体の武術になっていったものと考えられる・・・というのが私の意見や。 それに対してたとえば大内八極拳では相手を突き飛ばしたり、転倒させたりする用法が多い。 同じ軍人であっても憲兵と侍衛ではやはり任務の内容が大きく異なるわけやな。 もちろんいずれにおいてもあらゆる用法はあるわけやが、どこに重点を置くか?ということが やはり違ってくるわけ・・ あとここまで書くと例によって私の妄想なんやけどな(笑 李元智は八極拳で有名やが、もちろんおよそ中華國術であればなんでもできた。 太極拳やシュワイジャオはもちろんのこと、酔八仙拳なんてのまで習得してはったそうな(笑 ではいったい「本門はなに?」ってことになると・・・私は“秘宗門”やと思う。 秘宗門・・・わかるな?『水滸伝』の英雄燕青を開祖とし、弟子たちは政府から追われる 謀反人であった開祖の名を秘して“秘宗門”と称した・・・という伝説のあるあの門派や。 劉雲樵が幼少の頃学んだ燕青拳も、映画で有名な霍元甲の迷蹤藝も秘宗門の分支とされているが、 李元智は中央國術舘に入る前の時点で秘宗本門の陳善の系統を受け継ぐ嫡伝弟子なのである。 陳善は河北滄州における秘宗門の宗家で、金恩忠の『國術名人録』にも記載があり、 幾多の他流試合において無敵を誇ったため“賽勝英”陳善と称せられたという、武芸の郷 滄州においても特筆される武術家であったらしい。 この陳善のまたの綽名が“卸骨王”・・・卸骨というのは別名を“分筋卸骨術”といい、 要は現代でいうところのチンナ術なのである。 つまり陳善はチンナに非常に通じていた・・・ということなんやが、今日においても秘宗門 においてはチンナがたいへん重要視され、秘伝として豊富な技法が伝えられているらしい。 つまりね、憲兵八極拳においてチンナ用法が多いというのは、憲兵の職務上の 必要性に加え、こういう李元智のバックボーンがうまいことからみあった結果では ないか?・・・というんが私の推測や。 もう30年近く前・・・1980年頃やったかな? 当時松田先生や笠尾先生の本以外は中国拳法に関する情報というのは非常に 少なかった。しかも大陸はまだ文革の混乱が完全に収拾しておらず、武術の情報 などはほとんど入ってこなかった。 ところが私はわずかな大陸情報をゲットしようと毎月必ず『人民中国』日本版 を読んでいた。 ある月のベタ記事に“武術協会の重鎮が本を出版”なんてのが載ってた。 スポーツ面にときどきこういう武術や太極拳の記事が載ることがあったんや。 “先ごろ滄州武術協会の李書亭氏は『青秤剣』の一書を上梓した。 李氏の父上である李雨三公は國民党の張学良も教えを請うた武術 の達人であり、李氏も幼いころから武芸を学び・・・” こんな感じのごく短い記事(写真もなかった)やったが、張学良が指導を要請 するほどの達人・・・というのに興味があって、すぐあちこち本をひっくり返して みると・・・ ありましたがな!・・・松田隆智著『中国武術 少林拳と太極拳』の183ページ・・・ “秘宗拳の系統”に陳善の孫である陳玉山の弟子として、“李雨三”“李元智”の名が 並んで書いてある! 「李元智は台湾國術界を代表する名師やそうやから・・・その兄弟弟子ということに なると張学良がわざわざ指導を要請するほどの達人であってもおかしくないか?」と思ったね。 つまりこういう記録からしても李元智が滄州秘宗門を代表する伝人であったというのは確かや。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/189
190: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:26:47.66 ID:RWHpIiCl 115 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/21(火) 16:22:01 ID:wW54s7PI0 中国武術界のことをよく“武林”というが、これは近代の武侠小説作家が学者の“文林”に 対して武術家の社会を呼ぶ名称として発案したもので、それほど長い歴史のある名称ではない らしい。とくに武侠小説中においてはほぼ“江湖”と同義語としてあつかわれている。 “江湖”のほうは『荘子』にも出てくるというから、こっちはかなり古い言葉や。 長い歴史を経てさまざまな意味が込められるようになったが、だいたいは官に対する在野、 つまり民間の社会において、各地を漂泊することを指すようや。 官の庇護を受けない(どころか官から追われる立場の場合も多い)ので生活が安定してへん のやな。それで仲間内で結束して相互扶助の精神が育まれた。 水滸伝の英雄好漢や近世の洪門会、天地会などに代表される秘密結社などがそう。 現代ではチャイニーズマフィアの世界を指すことも多い。 武林と江湖は同義語とされてると言うたが、厳密には同じ武術家つまり 武林の人物であっても、たとえば朝廷に仕える武官などは公務員やから、 この場合は武林の人ではあっても江湖の人ではない。 各地を放浪する武侠は武林でもあり江湖でもあるということや。 武侠小説の主人公というのはほとんどが後者で、官の武芸者というのは ほとんどの場合悪役やから、それで武林=江湖という発想になったんやろう。 ただし水滸伝の林冲の場合、最初は“禁軍総教頭”やから、官の武芸者と しても最高級の地位にあったわけやが、このときにすでに各地の侠客とも親交 を結んでおり、それがのちに奸計に嵌められて官を追放されたあと(つまりこ の段階で完全に江湖になった)もあちこちをさすらいながらも各地で庇護を受 けられた・・・ということにつながっていく。 そやから実際にはここまでが官の武芸者でここからが江湖の武芸者・・・という 区分はむずかしいようや。 林冲の反対に江湖から官にとりたてられた霍殿閣や宮寶田なんかもおるしな。 劉雲樵の場合は職業軍人やから当然官の武芸者ということになるが、劉雲樵の上官は 「あの男は若い頃各地を放浪したので江湖の細々したことにもよく通じている」という ようなことを言うてたそうな(『笑塵武集』より)。 しかし民間の武術学校である武壇を興したとはいえ、ほぼ一生涯大内高手として過ごし たわけやから、この場合はやはり武林の人であって江湖ではないかもな。 むかしの『武術』に劉雲樵が「(掌を突き出すとき)このように親指を折って隠すように するのは“江湖臭”の抜けきらない=低級な拳法で、我々は真似すべきではない」と言うてる 記事が載ってたが、この場合の“江湖”というのは最下層の遊民階級の世界で、旅芸人や行商人、 さらには山賊や馬賊といった連中をも含む世界のことや。 もちろん武侠といえども各地を放浪するからにはこういう連中ともつきあわざるをえないわけやが、 こと武芸に関しては林冲の技量が薬売りのそれとはまったく比較できないのと同様に厳然たる区別が あった。同じ江湖でもいくつもの階級社会になってたわけやな? そやから劉雲樵は江湖やその武術全体を低く見てたわけではないんやが、 江湖のなかにもいろいろある・・・ということを言いたかったんやろうと 思う。反対に官の場合ははじめから“品質保証”されてるってことや。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/190
191: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 06:42:19.48 ID:RWHpIiCl 31 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/19(日) 21:40:06 ID:yKyDvd470 それから李清漢老師はどうも現在はエルサルバドル在住のようや。 別のサイトでこんなんも見つけた・・・ “シュワイ・打・拿三絶 80歳李清漢師傅” 2008.3.15.香港武林報 李清漢師傅、山東人(廣東の誤り?)、廣西にて成長。 後に台湾に移住、さらに晩年になってから中南米に移民す。 中米エルサルバドル共和国公安学院武術総教練を4年間務め、 現在は当地の“太極センター”にて指導にあたっている。 先ごろ李師傅は香港を訪れ、我々はその機会に貴重なおはなしをうかがった。 李師傅は國術の”シュワイ・打・拿”すべての技術を一身に体得した 名人中の名人である。 彼は三名の錚々たる國術大師に師事してこれらの絶技を得た。 それはシュワイジャオの常東昇、八極拳馬英図の弟子李元智、そして チンナの潘文斗の三師である。 さらに北派少林劉木森より丹鼎気功をも伝授されている。 李師へのインタビュー内容は以下のとおり・・・ 國術は中国の伝統技術、武芸である。 國共内戦ののち國民党が台湾に撤退した際、多くの武林高手が 争うように海外に脱出した。 國民党軍内には高手が多くいたため、まずは自然と党とともに 台湾に移住する人が多く、次いで廣東を経由して香港・マカオ、 さらにははるばるシンガポールなどに逃れる人たちもいた。 國民党の台湾移転により、かつての南京中央國術舘も台湾に移転することになった。 張光弟が舘長、陳伴嶺が副舘長を務めた。 中国武術はこうして台湾に流伝し、陳伴嶺は武術教室を開いて一般の指導を開始し、 常東昇は中央警官学校でシュワイジャオを、李元智は陸軍で八極拳を、潘文斗は憲兵部 でチンナを教えた。 八極拳の起源は河北滄州である。 かつては極めて保守的で、容易に外伝されることはなかった。 のちに中央國術舘によって各地に普及、伝習されるようになった。 中央國術舘で教授にあたった馬英図らは、簡化式の套路を編纂した。 というのは八極拳は門派が多く、内容が雑多であったため、簡化式の スタンダードをつくる必要性を痛感していたからである。 すべての技法64式の半分の32式を採用し、16時間で単打(ひとり形)を、 さらに16時間で対拆(対打)を履修できるように工夫してある。 李元智の岳父は(シュワイジャオの大家の)?忠義である。 李元智は台湾において國術舘教務主任となり、この系統の 套路を教授したが、これは民間の八極拳とは大きく異なるものである。 台湾には他に李書文の弟子である劉雲樵がおり、劉雲樵は総統府内 において八極、劈掛を教授した。 北派少林劉木森は少林拳を教授するほかに、道教丹鼎派張天師第64代伝人である。 以下省略・・・ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/191
192: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 07:15:18.13 ID:RWHpIiCl 702 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/05/05(月) 17:39:18 ID:??? 61 名前:劉月侠 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp] 投稿日:2008/05/05(月) 16:29:56 ID:bQ0pa8080 >58 それはちと内容がゴッチャになっとるな。日本の兵士が缶詰くれるきっかけになったのは柔道の試合や(笑 民國29年(1940年)、抗日戦争を戦っていた劉雲樵は日本軍の捕虜となり、山西運城監獄に一ヶ月あまり収容された。 収容所では日本軍の兵士が柔道の稽古をしていたが、よく捕虜の中国兵が実験台 というか稽古相手にされていた。イジメみたいなもんやな。ホンマは捕虜虐待ということになってしまうからあかんのやろうけど。 中国兵はみなロクなものを食ってないから体力も落ちてるし、日本兵相手にマジに なってもかえってイジメられるだけやから、投げられるままやった。 ところが劉雲樵は自分の正体が天字一号ということはもうバレていて、近いうちに 間違いなく処刑されるやろうと思ってたんで、やけくそで日本兵をみな投げ飛ばしてしもうた。 ところが天字一号のことはバレてはおらんかったようでな、劉雲樵は日本軍からも 「なかなか勇気があるし武道の腕前も確かだ!」と一目置かれるようになり、それで缶詰云々・・・というわけや(笑 ちなみにこれで日本軍の劉雲樵に対する監視がちと緩んだらしく、しばらくして 劉雲樵はスキを見て軽功で監獄の塀を飛び越え(“壁虎功”となっとるから、実際 には忍者のように壁を這い上がっていったものと思われる)、脱走に成功したということや。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/192
193: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 07:16:56.06 ID:RWHpIiCl 804 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/03(金) 21:58:37 ID:UZiEeIrR0 >800 これは『笑塵武集』はじめいくつかの劉雲樵の伝記から要約したものです。 『武術』1983年夏号の劉雲樵のインタビュー記事にも同様のことが載ってるよ。 805 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/03(金) 22:17:04 ID:UZiEeIrR0 まるで映画みたいな話やが、現実には劉雲樵がなんとか脱走に成功して生還できたのはまったく の幸運やったようや。いっしょに脱走を図った中国兵のほとんどが途中で射殺されたそうな。 劉雲樵は特別武功に優れていたため・・・となっとるが、そういう問題ではあるまい。 このあと劉雲樵は黄河を泳いで自軍の軍営に命からがら辿り着いたが、当然のことながら身体は ボロボロで、長期入院を余儀なくされた。 ところが同じ病室に有名な劇作家がやはり入院しており、この人が劉雲樵の体験談をいろいろと聞き 出して、それをヒントにスパイ劇“野?瑰(バラ)”を書きあげ、これで“天字一号”というのが 有名になったらしい。 しかし男性を主人公にすると生々しすぎるので、劇中天字一号は女性に設定された。 戦後台湾で劉雲樵が有名になると「現実の天字一号は男だった?!」て大反響がおきたそうな。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/193
194: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 07:55:21.56 ID:RWHpIiCl 874 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/06(月) 15:28:07 ID:blpYPDVg0 そういえばyou tubeに霍慶雲大師が剣をやってはる動画がありますたな。 中華民國八極拳協会の見解によると李書文は大槍術や刀法には精通していたが、 (実戦で役立たせるのは難しい)剣法には興味がなかった・・・ということや。 武壇の昆吾剣も張将軍から伝えられたもんやし、長春派の剣はどういう系統なんかしらん? 930 :S・W ◆hVwSffc8Qg :2008/10/07(火) 08:31:47 ID:h3HeyKLe0 875から877を見落としてましたww >長春派の剣はどういう系統なんかしらん? 純陽剣に関しては存じません。 僕の知っている剣の套路は“青鋒白雲剣(せいほうびゃくうんけん)”または八極剣と言われます。 霍家のビデオに出ているものとは全くの別物ですね。 風格と套路のつくりは剣術らしくないと言っては語弊があるかも知れませんが、 長春らしい剣術だと思います。 これは僕の予想なんですが、 純陽剣は河北省国術館を設立した許蘭州将軍の公館に、 霍慶雲先生が李書文と一緒にいた時期に河北省督弁の李景林に学んだのではと思います。 易筋経も同時期に河北省国術館に来ていた道士から学んだそうです。 青鋒白雲剣(八極剣)の起源は分かりませんが、 霍殿閣の代にはあったものだと思います。 次に老師に連絡をした時に聞いてみる事にします。 875 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/06(月) 15:44:10 ID:blpYPDVg0 つか香港長春八極拳協会のHPで調べてみると・・・“純陽剣”らしいな。 “純陽”というのは“呂純陽”・・・つまり唐代の仙人である呂洞賓のこと。 呂洞賓は全真五祖のひとりにして“八仙”の一でもある非常に有名な仙人ですな。 ジャッキー・チェンの“酔拳”でも出てきたでしょ?(笑 呂洞賓は酒好きで剣を好んだ・・・という言い伝えやが、これはたぶん詩人として あまりに有名な李白のエピソードを基につくられたもんやろうな。 つか呂洞賓のモデルは李白なんやろうと思う。 いずれにせよ純陽剣は中国四大剣法のひとつとされている剣法の代表的流派や。 ちなみに劉雲樵のカンフーブラザー、張詳三老師には『純陽剣』て著書があるぞ。 純陽剣自体は極めて有名な剣法なんで、李書文も興味ないとか言いながら いちおうひととおりはできたんかもしれんが、長春派の各大師がたは李書文 の八極拳を学ぶ以前にすでに他派の武術でも相当な腕前やった人が多いから、 この場合の純陽剣というのは武壇の昆吾剣同様、李書文とは違う他の武術家より 伝承されたもんではなからうか? もちろん最終的には八極門の風格や勁道に合うように変化していってるんやろうが・・・ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/194
195: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 08:01:28.32 ID:RWHpIiCl 934 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/07(火) 09:16:58 ID:v368NAm60 >930 なるほど・・・李景林から学んだとすれば納得いくな。なんせ“神剣”と 謳われた剣法の名手やったそうやからね。 ところが李書文はとにかく剣なんてバカにしてて(笑)、有名な李将軍の 剣法といえどもまったく相手にしてへんかったそうな。 後に劉雲樵が張将軍から昆吾剣を習うようになったときも、別に嫌がりは せんかったようやが、積極的に勧めたってわけでもない。 霍慶雲公も李書文とはまったく別に李景林に師事したんかもね? 中国でも日本でも、あるいは西洋なんかでも、剣(Sword)というのは武器というよりは 宗教的な意味合いの強い神器というようなイメージがある。三種の神器なんていうもんな。 そやから中国では文官でもいちおう帯剣はしてるんやけど、これも武器というよりは身分 や地位を象徴するステータスシンボルみたいな感じやったらしい。 江戸時代、天下泰平の世における侍の刀みたいなもんかな? 936 :S・W ◆hVwSffc8Qg :2008/10/07(火) 09:32:37 ID:h3HeyKLe0 >劉さん 霍慶雲先生は李景林に形式だけ拝師していたと八極拳2に書いてありますよ。 “李景林もまた武当剣術の達人で“剣術泰門”の名を冠せられていたが、 自分の弱点(アヘン中毒)を知っていた為、慶雲を形の上では拝師弟子とし、 自己の門前を飾り、また身辺の護衛とした。 1928年、中央国術館副館長となった李景林は慶雲を南京に帯同しようとするが、 慶雲はその直前に溥儀に招かれていた為辞退する。” と書いてあります。 937 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/07(火) 09:36:06 ID:v368NAm60 そやから剣というのは文・武にかかわらず“官”の象徴といえる。 実際に斬った貼ったをやらんならんかった江湖つまり在野の武侠というのは あくまでも装飾品にすぎない剣よりも、刀や槍、あるいは棍のような武器を重視 してたってわけや。 李書文も最終的にはかなりの有名人になったとはいえ、その生涯はおよそ官とか公 とかからは縁遠い江湖の武芸者やから、「剣なんてお上品なもんで人が殺せるか!」 てな具合に考えてはったんやろうな。 >>936 そ〜いえば・・・(笑 それくらい深い、密接な関係やったなら、李景林から直接剣を習ったりしても全然おかしくないですな。 映画“グリーンデスティニー”にミシェール・ヨー演じる女武芸者が 「私は剣よりも実戦的な刀のほうが得意だ・・・」なんて言うセリフがあったと思う。 とはいえ江湖の武侠というのは要するに日本でいう浪人であって、できれば官にとりたてられることを夢みてた人も多かったようや。 それで官の象徴たる剣には実戦的云々の問題ではなく、精神的な憧れがあったことは全武芸者に共通してたと思う。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/195
196: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 08:03:06.08 ID:RWHpIiCl 940 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/07(火) 10:03:26 ID:v368NAm60 水滸伝の林沖は“禁軍総教頭”・・・つまり近衛軍の総師範で、官の武芸者やったわけやが、 “槍棒師範”となっとるから、実際の軍事教練では槍とか棒とかを兵士に教えておったようや。 悪い大臣の企みにひっかかって流刑に処せられることになる(この行く先が“滄州”)が、 このときのネタが“寶剣”なわけ。 滅多に目にすることができない見事な剣を手に入れることができた(これ自体が敵の罠)林沖は つい有頂天になってしまい、立ち入り禁止の重要施設に思わず足を踏み入れてしまう。 これを問題にされて無実の罪を着せられ・・・てなおはなしです。 944 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/07(火) 11:22:15 ID:v368NAm60 私はもういまとなっては滄州で武術を習いたいとは思わんが(高校生の頃は思うてた)、 それでも一度は鉄獅子ていうのを見てみたいな。このスレROMってる人で誰か実物を見た人 はおるんやろうか? 945 :名無しさん@一本勝ち:2008/10/07(火) 12:04:22 ID:jEAAOdIy0 林沖じゃなくて、林冲。 剣じゃなくて、刀。 950 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/07(火) 15:30:58 ID:v368NAm60 >945 おっと私としたことが・・・“冲”であったな(笑 でもあれは名剣ではなく名刀やったっけ?もう30年も前に読んだ内容やから 忘れたわい(笑 951 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/10/07(火) 15:35:28 ID:v368NAm60 ちなみに滄州の酒は美味いらしい。 有名な美食家袁枚の『随園食単』にも紹介されてるくらいや。 流刑もまた楽しからずやかもな(笑 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/196
197: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 08:06:32.93 ID:RWHpIiCl 971 :名無しさん@一本勝ち:2008/10/07(火) 18:55:54 ID:tBsDYxCl0 ミン皇帝 ◆pAe7pK8jnY さん。 時間と空間について もっと詳しい技術論を頼みます。 973 :名無しさん@一本勝ち:2008/10/07(火) 19:05:18 ID:oGRtM/gJO 時間の流れは相対性理論で語りましょう より早い動きの人の時間はゆっくり流れます 素早く動いている者同士も観察者からはゆっくりに見えます 無理やり合わせて見ました 984 :ミン皇帝 ◆pAe7pK8jnY :2008/10/07(火) 20:03:21 ID:gZ8YJpxGO より速く動くといっても、人間には限界がある。 だから、ひとつの逆説的な方法として慢練がある。 ま、太極拳だな! ただし、あれはただのんべんだらりとゆっくりやればいいというものじゃない。 985 :ミン皇帝 ◆pAe7pK8jnY :2008/10/07(火) 20:07:01 ID:gZ8YJpxGO 簡単に言えば、挙動を何回かに分割するわけだな。 ホウ、リ、セイ、アンを4動作に分けてやる。 そして、ひとつの動作を何呼吸に分割して練習するわけだな。 この呼吸が一つの目安となる。 986 :名無しさん@一本勝ち:2008/10/07(火) 20:10:38 ID:X2WEnSj90 そういう妄想理論はどうでもいいんで、 今どきキックやボクシングでも普段はマスやライトスパーが普通なのに すんどめのような弱い武術に限って 練習で本気で当ててると無意味なアピールをしたがる理由について教えて 987 :ミン皇帝 ◆pAe7pK8jnY :2008/10/07(火) 20:11:41 ID:gZ8YJpxGO 一つの呼吸に一つの意識を十分に注ぐ。 それに習熟すれば反対に単式を一呼吸でやる。 できるだけゆっくりと! 988 :ミン皇帝 ◆pAe7pK8jnY :2008/10/07(火) 20:15:19 ID:gZ8YJpxGO あとは示現流の立木打ちの速さの概念と同じだな! あちらは確か脈拍を分割していくわけだが… 脈拍を意識でコントロールすることは難しいから。 呼吸を利用すれば言い訳だ。 989 :ミン皇帝 ◆pAe7pK8jnY :2008/10/07(火) 20:17:43 ID:gZ8YJpxGO 剣道なら一息三本とか五本とかの打ち込みの練習をやる。 これは一息、つまり一呼吸で三本とか五本を打つ訳。 しかも吐く息でだな! 990 :ミン皇帝 ◆pAe7pK8jnY :2008/10/07(火) 20:26:20 ID:gZ8YJpxGO そして、対戦する時は、呼吸をシンクロさせるんだな! すると相手の時間と自分の時間がシンクロする。 相手が動作するときは呼吸によって時間… リズムが支配されている訳だから… 相手の動きのコマ割りが感知できるわけだ。 991 :ミン皇帝 ◆pAe7pK8jnY :2008/10/07(火) 20:28:53 ID:gZ8YJpxGO しかし、これだと相手とも同じ条件下にあるわけだな! それを如何に外すか、これが拍子外し、とか拍子抜けとかいう技術なんだ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/197
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