中国の伝統武術やカンフーは弱い事がバレた (359レス)
中国の伝統武術やカンフーは弱い事がバレた http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/
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182: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 03:37:35.47 ID:SY0PqdVG 323 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/02(日) 13:26:51 ID:bngQxMoj0 「大拿別子」って大外刈りと同じ? 325 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/02(日) 14:55:46 ID:+MX1GFCi0 >323 あのニュースでは腕取って投げてたような記憶が・・・ 本当は腕極めてそのまま投げるんじゃないだろうか? 頭打とうがお構い無しに すごくソフトバージョンで実演してたんじゃないかと。 326 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/02(日) 16:26:48 ID:vp+AjXN2O 掛けた足で犯人の身体支えて、ひっくり反らんよう後頭部を持ってたな。 327 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/02(日) 16:30:15 ID:bngQxMoj0 “別子”という名前が何か気になって調べてみたところ、“別(bie)”には 「ひっかける」という意味があるそうで、“別子”は「ひっかけて倒す技」 というニュアンスらしい。手でひっかけるか足でひっかけるかで“手別子” “腿別子”に大きく分類される。“腿別子”ではまた手で組む位置によって、 例えば“大領”(奥襟)をつかんでかけるのは“大拿別子”、“直門”(右手 なら相手の左前襟、四指が外、親指が内)をつかんでかけるのは“直門別子”、 “偏門”(右手なら相手の右前襟、四指が内、親指が外)をつかんでかける のは“偏門別子”、というようにいろいろ呼び方があるらしい。 違ってたら指摘よろしこ。 329 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/02(日) 17:17:07 ID:XzMo7ECC0 >327 中国語の辞書には“別子=別針”とあって“モノを止めるピン、クリップ”みたいな 説明がある。相手の脚の後ろにひっかけた脚をピンやクリップのように考えてもらえば ええわけですな。 柔道の“刈り”というよりは相撲の“掛け”に近いニュアンスかもね。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/182
183: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 03:40:40.12 ID:SY0PqdVG 698 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/07(金) 09:52:45 ID:Aq2CI+v80 松田本でご存知のように中央國術舘の八極拳は“団体訓練”“一般普及”用の簡易式で 古傳の勁道は失われ、実戦拳法としては役に立たない体操である・・・という認識が日本 ではある。 しかしこのスレでも何回かやったように、それはあくまでも全国に散らばった教官たちが 一般の兵士や学生(職業軍人や武術の専門家ではない)教える際に、やむをえず簡易化した もののことであって、國術のプロを養成する中央國術舘においてプロの中のプロたちに伝授 されたものとは明らかに異なる。 私もそのことは理屈ではわかっておったんやが、昨夜身をもって理解できた。 699 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/07(金) 10:03:21 ID:lRDYTuIq0 松田留置の功罪だな・・・、で、今は呉連枝の八極何ぞにうつつをぬかしてる。 700 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/07(金) 10:07:20 ID:Aq2CI+v80 とくに李元智は台湾において“憲兵八極拳 開山祖師”と称せられている。 大内八極拳ならぬ憲兵八極拳・・・『拳児』ではとりようによっては“劉雲樵>李元智” のような書きかたがされていたが、それは大きな誤解やということ。 ただ大内八極拳もそうやが憲兵八極拳のほうも松田先生が初めて台湾に行かれた1970年頃 には一般にはまったく公開されてなかったということ。 当時の台湾はまだまだ軍事独裁政権やったからな。MPが内部で練習してる格闘技はそれ自体 が軍事機密で、いまみたいに外部に公開するということはまずなかった。 当然松田先生らが目にする八極拳が高校生や一般兵士のやるもので、それで上記のような 誤まった認識をもたれたのではないかと思う。 私も台湾でそういう民間の八極拳を見たが、確かにあれだけ見れば松田先生が そんなふうに考えてもしゃあないと思う。 一方で現代の台湾においても憲兵というのは厳格や。 台北市の中心部にある憲兵総司令部の前をよくクルマで通るが、繁華街などは 東京や大阪と区別がつかないほどモダンになり自由になったこんにちの台湾でも あそこの前だけは非常に場違いな・・・一種異様な雰囲気がしてる。 政府の悪口を言うただけで即タイ〜ホ→収容所送りになってた40年くらい前の 台湾では憲兵隊などというのがいかに一般社会とはかけ離れた世界であったか、 いまの若い人たちにはちと想像するんは難しいかもね。 我々のような民間人は趣味・娯楽で武術を練習してるわけや。 そやから自分の意思で続けることもやめることも可能やし、マイペースで 生涯にわたって修業・・・なんて悠長なことも言うてられる。 ところが軍人や憲兵、あるいは侍衛なんかの場合は職業上の義務というか 任務として武術を学ぶ必要があるわけやな。 教えるほうも「黙って修練してればそのうちわかる」やの、まして「宇宙と 一体化w」なんてことを言うてるバヤイやない。 プロとして結果を出さんとあかんわけで、教えるほうも教わるほうも必死や。 世間一般で言われる“カンフー”とはまったく別の世界がある・・・ということを 昨日李老師にお会いしてあらためて思い知らされた。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/183
184: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:04:43.86 ID:SY0PqdVG 782 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/08(土) 09:08:28 ID:gySIJWi20 道場に入るとシルバーブロンドの李清漢老師のお顔が真っ先に目についた。 ネットで見た写真の通りや。さっそく抱拳禮をして初対面の挨拶。 師匠の『武壇春秋』を見せて、劉雲樵門下の彭武熾の弟子です・・・と自己紹介する。 李老師は持参した多くの資料を見せてくださった。 李元智や常東昇、潘文斗など、中央國術舘の錚錚たる名師といっしょに撮った 写真や、それらの師より授けられた手書きの拳譜などがたくさんあった。 李老師は「私は1949年、20歳くらいのときに台湾に来て、そのあとこれらの老師たちにおよそ30年ほど 師事した。どの老師からも真伝を授かったよ」と言うてはった。 “1949+30=1979”・・・これらの老師たちが亡くなったのはだいたい70年代から80年代にかけてやから 確かに李老師のおっしゃるとおりや。 老師が学ばれたのは“憲兵八極拳”“シュワイジャオ”“チンナ”“八卦掌”などがメインやが、どんな 拳法でもだいたいひととおりはできるらしい。 身長は・・・私と同じくらいやな。165センチ程度で、体重は60キロ。 体重は「50年間変わってない」と言うてはった(笑 お会いするまではさすがに80歳と聞いてたんで、まあやはりもうかなり 衰えてはるんかもなあ・・・と思ってたんやが、実際に見るととてもそんなふうには見えない。 腕も筋金入りでおなかにはわずかな贅肉もなく、触らせてもらったが腹筋は 見事に割れたブルース・リーボディや。 一瞬師匠を思い出したが80歳でこの肉体とは、確かに “超絶老人”や(笑 李老師:「國術を志す者は“酒”“タバコ”“女人”を遠ざけなければならん。 食事も最低限度であるべきだ。 台湾南部の師傅たちは毎晩のように乾杯!をやって、バカみたいに 飲み食いするけど、ああいうことをやっててはトシとってからも功夫を維持することは難しい。 そういう習慣は若い頃から始まるわけで、若い人ほど自制心を強く 持たねばならん」 み、 耳 痛 〜 っ ! ( http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/184
185: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:05:15.09 ID:SY0PqdVG 実際李老師はほとんどメシ食わないみたいや。おトシやからもうそんなに 食べないのかな?とも思ったけど、若い頃からそんな感じらしい。 つかもう24時間國術のことしか考えてはらへんみたいやな(笑 食うにしても寝るにしてもすべては武芸のため・・・であって、武術が本能化してしまってる。 李元智はじめむかしの國術大師というのはみなこんな感じやったらしい。 李老師は廣東生まれ・・・と聞いてたのでこんな質問をしてみた。 劉月侠:「老師は南方のご出身だそうですが、やはり子どもの頃最初は南拳・・・ 洪家拳とか鶴拳とかから始められたのですか? 李老師:「確かに私は南方で生まれ育ったが、祖先は河南省の開封に住んでいた。 知ってるだろ?ここは少林寺のすぐ近くだ。 祖先の住んでた地域では誰もが武芸の修練をしていたので、私も祖父や父から最初に少林拳を学んだ。 いわゆる“北少林”ということになる。もちろん育った地域が地域だから 南方の門派もやるにはやったが、ベースはあくまでも北派だな」 李老師:「河南は自然環境が厳しく、黄河の氾濫による水害、干ばつ、蝗害などが絶えなかった」 劉月侠:「パール・バックの『大地』に出てくるようなおはなしですね?w」 李老師:「そう!よく知ってるね!w」 李老師:「だから生活に困窮した流民が多く発生したのさ。 私の祖先もそうで、故郷を離れて各地を放浪し“打拳”や“売芸”で糊口をしのいだ。 放浪の末に南の廣東にたどり着き、ようやくここで定住するようになった わけだ。私の武芸や医術のルーツというのはそういうところにある。 “走江湖”ってわかるだろ?」 劉月侠:「“走江湖”?!まるで映画や小説みたいなおはなしですね!」 李老師:「いまでこそ映画の世界だけど、私が子どもの頃には当たり前の話でそう珍しいことじゃない。 映画になるというのもモデルがあるからで、しかもそういう話を聞いて共感する人がそれだけ多いということだ」 以前李老師のバイオグラフィーを紹介したけど、李老師は廣東・廣西で育ったのちに 國共内戦を経て台湾・・・さらにシンガポールなどを転々としていまはなんと中南米の エルサルバドル在住という、まさに放浪の拳法家である。 80歳になった現在でも今日は日本、明日はヨーロッパ、さらにその次はアメリカと世界 を休む間もなく飛び回っておられるが、どうもそういう運命というか血というのは祖先 から受け継がれてきた“走江湖”の伝統なのかもしれない・・・ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/185
186: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:07:50.07 ID:SY0PqdVG 798 :名無しさん@一本勝ち:2008/11/08(土) 15:49:09 ID:WMnZaqt20 竜明宏に何気に似てる(笑 799 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/08(土) 17:01:56 ID:yvmVwVpk0 劉月侠:「ず〜っと軍隊や憲兵隊で教えておられたのですか?」 李老師:「家がお世辞にも裕福とはいえなかったので若くして軍隊に入った。 いま話したように私は江湖の武芸を多少心得ていたので、軍の幹部 が武術教師に適任であると判断し、教官養成班に推薦してくれたのだ。 大陸を去り台湾に来てからも助教をしながら学んだ。 潘文斗には金門島で学んだが、当時(1950年代)金門島は大陸と交戦中で 命がけの毎日だったな」 劉月侠:「内戦もさることながら日中戦争中は大変でしたでしょう?」 李老師:「私は廣東で軍に入ったわけだが、南方はとくに日本軍の攻撃が酷かった。 國民政府は日本軍の攻勢に耐えきれず、本拠地をどんどん内陸に移転して ついには昆明まで来てしまっていた。 米英は日本の進攻を食いとめるためにビルマを経由して蒋介石総統に援助 物資を供給していた(いわゆる“援蒋ルート”)。 その補給路を断つために日本は台湾の基地から飛行機で空爆を繰り返した ため、南方各地は相当甚大な被害を受けたものだ」 劉月侠:「ううっ、私はもちろん本や映画で何度も見てよく知ってるつもりですが、 実際の体験談として聞くとやはり身が引き締まるような思いですね・・・」 李老師:「わはははは・・・もう大むかしのことだよ!w しかも戦争というのは いつの時代であれそういうものだ。 でもやはり歴史というものはよく知っておかないといけないな。 日本でも、中国や台湾でも、最近の若い連中は武術を学ぶのも表面的な 技術のことばかりで、歴史やその背景にある精神なんかを疎かにしやすい。 そういうことはキミたちが伝えていかないとダメだよ」 劉月侠:「李元智や常東昇といった老師たちも同じような目に遭ったわけで、 日本に対しては相当反感を持っていたのでは?」 李老師:「そうでもない。もちろん敵だから好きなわけはないが、でもね、 戦争で無茶苦茶してたのは“偽日本人”なんだよ。 “真日本人”というのはおとなしく、礼儀正しく、たとえ戦争で あっても決して筋の通らないことはやらなかった。 みんなこういう真日本人は嫌うどころかむしろ尊敬してたよ。 私も戦後・・・こうして日本人に教えるようになったりして、先師 たちの言ってたことが実感できるようになった」 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/186
187: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:08:20.23 ID:SY0PqdVG 李元智や劉雲樵など、かつて日本軍と戦った大陸来の老師たちが日本に 対して複雑な感情を抱いていたのは事実のようだが、だいいち蒋介石総統 からしてそうなのである。 ただこういう軍人たちは旧日本軍の軍規の厳しさや勇猛果敢さには非常に 敬意を表していたらしい。 劉雲樵もそういう話をしていた・・・ということを師匠から聞いたことが あるが、現代の我々は果たして胸を張って“真日本人”である!と言える であらうか?(笑 劉月侠:「ところで李老師は鍼灸のほうも大家だそうですね?呉恵平に師事したとか?」 李老師:「おおっ!呉恵平なんてよく知ってるね?キミは西医だけでなく中医も勉強した のか?台湾の鍼灸師で呉恵平を知らなかったらモグリだよw キミも呉恵平に習ったのかい?」 劉月侠:「いや、鍼灸の師は武術同様彭武熾ですが、彭は呉恵平のことは よく知ってると言ってました」 李老師:「そうだろうそうだろう・・・w 台湾の正統派の鍼灸はほとんど 呉恵平の息がかかってるからな。当然のことだw」 李老師:「すでに話したように私の先祖は“走江湖”だったので、生活のために 医術も心得ておく必要があったわけだ。 そういうわけで私も子どもの頃から武芸とあわせて鍼灸を学ばされた。 私も含めて呉恵平の弟子というのは軍人が多かったな。 つまり軍医ということだ」 私が持っている呉恵平の著書(『鍼灸世紀』)には呉恵平が楊森将軍(國府軍元老)や 旧カンボジア共和国大統領ロン・ノルなどと一緒に写ってる写真が載ってる。 呉恵平というのは“鍼灸版李元智”・・・と考えていただければええと思う(笑 ただ私の師匠が言ってたが、こういう立場の鍼灸師たちは教授が非常に厳格で、師匠の 鍼灸の師などは劉雲樵よりも怖かった・・・なんて言うてた(笑 いずれにせよ民間ではない軍界のおはなしや。 國術にせよ鍼灸にせよ、1970年くらいまでの台湾では軍界と一般社会ではまったく異なった 世界があったらしい・・・ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/187
188: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2022/08/28(日) 05:08:32.80 ID:SY0PqdVG 918 :劉月侠 ◆RPLwh/ddCk :2008/11/10(月) 20:59:31 ID:0VP9+FIG0 すべて学んだわけではないが、中央國術舘〜李元智〜李清漢老師と受け継がれてきた八極拳は たいへん素晴らしいものであった。 もちろん一回や二回習った程度で「ここが優れている!」とか「こういう特長がある!」なんて 論評するのは甚だおこがましいことなのではあるが、まあ2ちゃんねるということで私なりに 気づいたというか感じたことをいくつか書いてみよう・・・ まず李老師ご自身が仰ってたことやが、非常にシンプルである。 シンプル=単純・・・ということで、松田本の影響を受けた人は「やはり古傳の技法を 簡略化したため精密な秘伝の方法が消滅してしまってるんや」なんて思うかもしれんが、 いちがいにそうとばかりは言えない。 むしろ古い套路に見られるような意味不明の(これもマニアによると「深い意味がある」 らしいがw)複雑な動作が省かれ、八極拳の精髄中の精髄というべき動作だけで構成されてる ように思う。 そやから非常に習いやすいんやな? もちろん個々の動作に関してはやはり細々とした要点が多々あり、熟練するには他派の八極拳 同様長い年月と研鑽が必要であるということに変わりはないが、とにかく見てて、やっててわかり やすい。これが第一の特徴や。 みなさん思い出すやろう?中拳界で大むかしから言い伝えられてきた伝説・・・ “高級な武術と低級(単純)な武術”・・・ 「ボクシングにはストレートとフックくらいしか技がない。あとは体力と反射神経と 根性に頼るだけの低級な拳法である!それに対して中国拳法というのは奥が深く、 高級な技法が多々あり・・・云々」 こういうことを言うてる中拳家の実力が実際にはいかなるものであったか?・・・なにも 武壇スレでなくても武道板ではもはやギャグにもならんがな(笑 つまりシンプル=単純だから「たいしたことない」なんていうのはアホらしいこと甚だしい ということや。“シンプル イズ ベスト!”(笑 第二としては・・・ 昨日書いたように李清漢老師は「八極拳は“ボンバー”だ!」と仰ってたし、 事実李老師の発勁はまさに“八極は爆発だぁっ!”というべき凄まじさであったが、 実際の用法では非常に“チンナ”が多かった。 中国拳法の技というのはほとんどが“打”“拿(チンナ)”“シュワイ”“点穴”の 各種用法に応用できる・・・というのはよく聞くと思う。 八極拳においてもこれは例外でなく、どの派でもチンナの用法というのは必ずある。 劉雲樵は“聯合警衛安全指揮部(金立言先生らが所属した統合侍衛隊)”で教えるよう になるまでの旧組織であった侍衛には主にチンナを教授してたそうやし、大陸の呉連枝宗家 のビデオではチンナ用法の解説にかなりの時間が割かれていたのを憶えている人もおるやろう。 そやから八極拳の用法としてチンナがあるのはむしろ当然のことなんやが、李清漢老師の解説は とにかく突出してチンナが多かったように思う。 最初私が思いがけず技を掛けられたのもチンナやったしな。 これは昨日言うたように李元智の八極拳が“憲兵八極拳”であることに 関係が深いと思う。ちなみに“中央國術舘系”“軍隊の”八極拳というのは みなさんよく聞くと思うが、“憲兵八極拳”というのは初耳やろ? 私も今後は民間で教伝されてる一般の八極拳と区別して、李元智の八極拳の ことを憲兵八極拳と呼ぶことにしよう。 金立言先生が自らの八極拳を大内八極拳と称してはるんと同じや。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/188
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