[過去ログ] 【スズキ】新型スペーシア【2018年登場】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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973: 2017/11/17(金)06:56 ID:bCIcUeqn(1) AAS
「何でお前がこんな所にいるんだ。出て行け!」――。
昨年12月中旬、静岡県浜松市内にある高級ホテルのパーティー会場に怒号が響いた。
会場は一瞬で静まり返り、居合わせた人々の視線が一斉に1人の老人に集中した。
声の主は、スズキの代表取締役会長・鈴木修氏だった。
2009年に『日本経済新聞出版社』から出した著書『俺は、中小企業のおやじ』のタイトル通り、今や3兆円を超す売り上げ規模を誇るスズキを育て上げたにも拘わらず、
未だにその会社を中小企業と自認する修会長。御年87歳。来年の1月30日にはめでたく米寿を迎える。
しかし今、彼の経営者としての歪みが徐々に明らかになり、その暴走を抑え切れないスズキという会社そのものの行く末に不安を抱く関係者は少なくない。
修会長は岐阜県出身。
旧姓は松田。1953年に中央大学法学部を卒業し、『中央相互銀行』(現在の『愛知銀行』)に入行。
1958年にスズキ(※当時は『鈴木自動車工業』)の2代目社長である鈴木俊三氏の長女と結婚し、婿として姓を鈴木へと改めた。
「それより前、俊三氏は後継とするべく、超一流国立大学の出身者を婿に迎えたが、鈴木家内部のゴタゴタに嫌気が差して出ていった」(スズキ関係者)という情報もある。
スズキには結婚と同年に入社し、1978年に社長に就任した。
2015年に漸く社長を長男の俊宏氏に譲ったが、未だに代表取締役会長職には居座っている。
社長在任期間は名目上で延べ30年だが、実質的な会社支配は現在までの40年近くに達するという“日本の自動車業界の化け物”だ。

ただ、強大な権力は頻繁に暴走し、親しい仲間以外を信用せずに独善的な経営に陥った。
その老害ぶりが顕著になるに至って、“鈴木修=名経営者”の看板は今、地に落ちようとしている。
「昔から平気で他人を怒鳴りつける人だった」(スズキの取引先経営者)が、老害によって発生したのが冒頭の事件。
パーティーはスズキの取引先を集めた忘年会で、スズキとのトラブルに直面した旧来から取引がある経営者を、公衆の面前で罵倒したのだった。
「その場にいた取引先の経営者たちに怯えが広がった」(同)という。
このパーティーには俊宏社長も出席し、最近の自動車業界の情勢等を交えた挨拶をしたが、
その後にステージに立った修会長は戦争に関連した話に終始し、「その場にそぐわないのは明白だった」(同)。
また今年1月、スズキは役員会で『二輪技術センター』の改築を決議して、俊宏社長を含む役員全員が判子を押したが、
修会長は「聞いていない」と激怒して、無理矢理撤回させた。
それだけでは収まらず、「役員全員に反省文を書かせた」(スズキ関係者)というのだ。
売上高3兆円を超す大企業の役員でも、まるで中学生並みの扱いを受けてしまう。
社内では「自分にゴマをする人を能力が低くても重用する」(同前)し、
意に沿わない幹部の考えは否定したり無視したりする。
それどころか、役職の解任もする。
番頭として据えた社長2人が健康上の問題で相次いで辞任したのも、本当は同じ理由だ。
そんな状態なので、「最近では、技術者も含めて有能な人材の流出が著しい」(同)という話も聞こえてくる。
社外では昔も今も、地元・浜松の特定の取り巻き業者と公私に亘り濃密に付き合う一方、
地元経済界の主要人物との交際は殆ど無い。
また、創業者の道雄氏に連なる鈴木一族でも、中小企業から大企業へと成長する中で、
スズキのグループ企業から排斥された人は数知れない。
その一方で、自らの出自である松田家の関係者を手厚く保護する。
国内外のバカンスに連れ立って出掛けるのは、特定の取り巻き業者や、長年に亘り何かと相談をする相手となっている地元の料亭の親しい女将だけで、
「細君を連れていったという話は聞いたことがない」(スズキの取引先経営者)そうだ。
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