[過去ログ] 朝鮮人が嫌いな人いますか?★10 (1002レス)
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180: 2022/09/20(火)09:24 ID:oNOYk5Rc(14/36) AAS
《植民地化推進の経緯》
イギリスのインド進出は、1600年にエリザベス女王の勅許状を下賜された東インド会社が1612年に西海岸のスラートに
最初の商館を開設したことをもって始まった。
それ以降、会社はどんどんとその地盤を拡大強化して行った。

やがてこの会社は、会社とはいえ堅固な要塞を築き、近代的な兵器を備え、
多数のインド人傭兵を擁する強大な貿易軍団となっていった。

イギリスが彼ら一流の「分割統治」の手法を駆使して、狡猾に植民地支配を進めるやり方は、
植民地化にとりかかる当初の段階から如何なく発揮された。

イギリスがインドに触手を伸ばそうとした頃のこの国はムガール帝国末期のことであった。
この帝国はインドの西からやってきて、16世紀前半に支配を確立したイスラム教を奉じる国家である。

「ムガール」とは「モンゴル」の転訛した呼び名であり、
その指導者はティムールの血筋を引くと自称していたが、実はトルコ系の征服王朝であった。

この帝国の繁栄は都市文化に最もよく表れており、その中心地はデリー
(現在のニューデリーは古いデリーの東南にイギリスが開いた都市)であった。

帝国はここを中心にインドの広大な領域に支配を広げていったが、
各地方は旧来のマハラジャ(太守・藩王)やラジャ(小太守・小藩王)が支配しており、
これらの地方勢力の上に、ムガール帝国の威光を行きわたらせるというやり方の支配であった。

天皇の権威の下に、群雄割拠する領主が併存していた戦国時代の日本の様相と似ていたとも言えよう。
ところがイギリスが目をつけた時期はムガール帝国が最盛期を過ぎた時代であり、
地方勢力に対する王朝のグリップは徐々に弱まってきていた。

こうした状況に着目したイギリスは、地盤を強化してきた東インド会社を十二分に機能させ、
地方勢力を各個撃破して切り崩しを図りつつ支配力を広げていく手法を用いた。
まさにディヴァイド・アンド・ルールである。
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