[過去ログ] 朝鮮人が嫌いな人いますか?★10 (1002レス)
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183: 2022/09/20(火)09:26 ID:oNOYk5Rc(17/36) AAS
《セポイの反乱の鎮圧により植民地化は完結》
ムガール帝国が完全に崩壊したのは、1857年に起きたセポイの反乱の時であった。
最後の皇帝バハドゥル・シャー二世は1837年、62歳の時に即位した。
その後在位20年を経過し、反乱が起こった時には82歳の高齢であった。

セポイとは東インド会社に雇われた傭兵のことである。
原語をより正確に表記するならば「シパーヒー」であるが、日本では一般に「セポイ」の反乱で知られているので、
ここでは「セポイ」という呼称を用いる。

彼らは東インド会社に雇われはじめてから、既に100年経っていた。
当時東インド会社の傭兵は大きく分けてベンガル軍、ボンベイ軍、マドラス軍の三軍から構成されていた。
インドの全軍合わせると23万8千人だったが、その内20万人が傭兵であり、ヨーロッパ人は僅か3万8千人に過ぎなかった。

プラッシーの戦い以降100年間、インドの征服に乗り出してきたイギリスの軍事的支柱は、インド人傭兵だったのである。
1857年5月10日、北西部の州のメラート基地で蜂起した2千人の傭兵の反乱は、翌11日にはデリーを占拠し、
ムガール皇帝を擁立することによって、その性格を一変させた。

蜂起の発端となったのは、配布された新しい薬包(火砲に使用する発射用火薬を装填量に分けて包んだもの)
に牛脂と豚脂が塗ってあるという問題であった。

このようなものを使えば、ヒンズー教徒もイスラム教徒も穢される。
そうなればカーストを失い、家にも帰れなくなる。
こう心配した傭兵たちは新薬包に強い拒絶反応を示していた。

こうした事情があったので、反乱勃発直後の時点では、イギリス人は傭兵が宗教上の不満から暴動を起こしたに過ぎないと楽観していた。
ところがムガール皇帝擁立となると、事態は深刻になる。
82歳の老皇帝は、もはやその権力がとるに足らないのは周知の事実であったが、
インドを統一させるシンボルとしては、当時これに優る存在はなかった。

果たして5月末から6月初めにかけて、夥しい蜂起が北ないし中部インドの各地で勃発し、傭兵たちはデリー目指して進軍してきた。
イギリスの重税に喘いできた農民や中小の地主たちも傭兵の反乱に呼応して立ち上がった。
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