創 価 3世だけどなにか質問ある? (42レス)
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41: 03/01(土)08:26 ID:7NHdt0iV(2/3) AAS
宗教がその力を、万人の心を等しく捉える不滅への希求の上にのみ基礎づけようとするとき、それは普遍性を目指しうる。だが宗教が一つの政府と一体化してしまえば、特定の国民にしか適用できない教えを採用しなければならぬ。こうして宗教は、一つの政治権力と結ぶことで、ある人々に対する力を増大させ、万人を支配する望みを失う。
宗教があらゆる不幸を隔てなく慰める感情にのみ支えられる限り、それは人類の心を引きつけうる。宗教が現世の恨みつらみと混じり合うと、愛というより利益で結びついた宗教の同盟者を守るだけのものになってしまうことがある。そしてしばしば、宗教をなお愛しながら宗教の同盟者と激しく戦う人々を、敵に回さねばならなくなる。宗教が為政者の物的なカを分かちもてば、必ずや為政者のかきたてる憎しみの一部をも身に引き受けねばなるまい。
ある宗教がその力の源を、歴史のあらゆる時代に同じように繰り返し現れる感情、本能、情熱に見出している限り、それは時の挑戦をものともしない。少なくとも、別の宗教によってしか滅ぼされぬであろう。だがそれが現世の利益の支持を得ようとすると、地上のあらゆる権力とほとんど同じように脆弱になる。独りでいれば、永遠を期待できるのに、束の間の権力と手を結ぶと、その運命の後を追い、しばしば権力を支える一時の情念とともに滅びる。
だから宗教は種々の政治権力と手を結んでも、厄介な同盟関係に入るだけである。宗教が生きるために政治権力の助けは要らず、政治権力に仕えれば、宗教は死ぬかもしれない。
アメリカの聖職者は他の誰よりも前にこの真理を認識し、行動をこれに一致させた。彼らは、政治的権力を得ようと思うならば、宗教的影響力を放棄しなければならぬことを理解し、政治の有為転変を共にするよりは、その支持を失う方を選んだのである。
省2
42: 03/01(土)08:27 ID:7NHdt0iV(3/3) AAS
彼らは概念をすりかえることばかりするが、彼らの行為の根底にあるのは、もっと基本的なすりかえである。彼らは、個人から集団へ権利の概念をすりかえる。「人間の権利」を「群衆の権利」に取り替える。
個人だけが権利を所有することができるのだから、「個人の権利」という表現は言葉の重複、冗語である。現代知識人は思考が混沌としているので、何かをはっきりさせようと思うと、どうしても冗語を使用しなければならない。それにしても、しかし「集団の権利」というのは言葉の矛盾である。
大小にかかわらず、どんな集団にせよ「共同体」にせよ、多くの個人でしかない。集団は、その集団の構成員の権利以上の権利を持つことはない。自由な社会においては、どんな集団の「権利」も、構成員の権利から生じる。構成員の自主的で個人的な選択と契約された同意を通して生じる。
集団というものに権利はない。人間が、ある集団に属することによって新しい権利を獲得することはないし、その人間が持つ権利を失うこともない。個人の権利という原則が、すべての集団や結社の唯一の道徳的基礎である。
アイン・ランド『利己主義という気概』第10章
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