[過去ログ] 日蓮って? (941レス)
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662(1): 宿命転換 12/22(日)00:22 ID:jrrxHGx7(1/6) AAS
妙心尼御前御返事(病之良薬御書)池田先生講義
外部リンク[html]:blog.livedoor.jp
一人一人の弟子が、信仰を根本に、人間として大成し、大願に生き抜いた大満足の一生を送ってほしい。それが師匠の願いです。そのために大事なことは、その人自身が深い決意をもって立ち上がり、どう困難に挑み続けていけるか、本気で戦うかです。
その峻厳な信心を教えるために師匠はいます。そして、弟子が一人立ち、逆境に雄々しく挑んで勝利する。その凱歌を、師匠に喜び勇んで報告する。師にとって弟子の成長ほど嬉しいものはありません。
>>655
> 病即消滅不老不死
仏と申せし人は、これにはにるべくもなきいみじきくすしなり。この仏、不死の薬をとかせ給えり。今の妙法蓮華経の五字これなり。しかも、この五字をば「閻浮提人病之良薬」とこそとかれて候え。入道殿は、閻浮提の内、日本国の人なり。しかも身に病をうけられて候。「病之良薬」の経文顕然なり。
省6
663(1): 宿命転換 12/22(日)00:28 ID:jrrxHGx7(2/6) AAS
かつて戸田先生は、真の宗教の条件について、次のような基準を示されたことがあります。
「一切衆生の苦悩を、救うべきものでなくてはならない」
「一切衆生に、真の幸福を享受せしむべきものでなくてはならない」
「一切衆生に、生命の真実の姿である永遠の生命を、悟らしむべきものでなくてはならない」と。
本当に一つ一つ、重要な指摘です。現実を幸福と平和の方向へ変革してこそ、力ある宗教です。それとともに、永遠性を示すことこそが、真の宗教たるゆえんです。三世を貫く「大いなる生命」に目覚めた時に、人間は真に深い人生の意味を知ることができる。そのための宗教です。
省1
664: 宿命転換 12/22(日)04:00 ID:jrrxHGx7(3/6) AAS
■ 教学というのは、友を激励するために学ぶんです。自分の趣味のためではない。だからお前たちは
小乗教と言われるんだ!
> 健康に生まれ育ってるなら多少勉強できなくても遊びが好きでもいいじゃんって思う
私たちが障害児の子を持つのは
過去世からのさだめです。
釈迦は
省9
665: 宿命転換 12/22(日)04:01 ID:jrrxHGx7(4/6) AAS
戸田先生は、
御本尊誹謗の罪か?と質問され
------------
〔質問〕 口のきけない者や、目の見えない者は、御本尊様を誹謗し
た者といわれていますが、どうでしょうか。
御本尊様とは断定できませんが、法華経を誹謗した罪であります。
「喘息病は、信心を誹謗した者です。」
省8
666: 12/22(日)04:03 ID:TitHhcod(1/2) AAS
>>663
その戸田曰く、弘安2年10月12日の大御本尊でなければ仏天の加護は無いんだとよ
動画リンク[YouTube]
667: 宿命転換 12/22(日)04:15 ID:jrrxHGx7(5/6) AAS
■ 苦しむ友を激励するための仏法であり学びであり、素材である。
>他人と比べるとやっぱり辛いよね
「人生は強気でいけ」
おれたちがもし末期がんでも、あるいは重度障害児を抱えていても、
病魔・死魔との戦いですから、信心は一歩も後退してはならない。
省6
668(2): 宿命転換 12/22(日)04:17 ID:jrrxHGx7(6/6) AAS
どうですか?
学会員と、バカ丸出しの自称仏教野郎とのちがいがわかりましたかっ?
669: 12/22(日)07:24 ID:TitHhcod(2/2) AAS
>>668
戸田は大石寺の大御本尊信仰で、それゆえに戸田の墓は大石寺にある
「日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を根本とした 教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにないのである」
戸田城聖全集3-83ページ
「本門戒壇の大御本尊を信じ奉らない者は、すべて謗法として禁じなければならない」戸田城聖全集3-156ページ
戸田の指導を扇ぎながら、今さら大御本尊は受持しないという創価信者は、戸田の言った通り謗法であり頭破作七分
670: 12/22(日)08:19 ID:i1/hj6mr(1/3) AAS
不生、不死と申す様にて整う。
何だこれ?つまりね空っぽになった人が言う言葉。
題目も念仏もアビラウンケン、六道輪廻も忘れてる。
問われㇼゃそりゃこういう事と説いて答えるが普段は
全く忘れて生きる。
彼の語る言葉が”真の言”なのは虚空に等しいカラッポ故だ。
671(1): 安倍晋三🏺 12/22(日)09:03 ID:XolLq3k6(1) AAS
>>668
日蓮は仏教をまったく理解できなかったペテン師だという思いが強まりました
672: 12/22(日)09:28 ID:i1/hj6mr(2/3) AAS
>>662 池田さんって人、本山に参拝すると頭を剃って半年の所化にも頭を下げ礼をする。
法主は思う様な、おもてなしをして呉れない。
別室で渋茶を出すだけかよ。
何だこれは!俺がまとめてどれ程のカネをつぎ込んだのを忘れていやがる。
もっと何かないのか!
という様な御心を発したのじゃあるまいか?とケンカ別れをする前の心境を慮る(読み おもんばかる)
そういう苦しい心境を法主は測ったのか知らんが、彼の名前を付けて出版する大著をほぼ容認する。
【御口伝講義】の様な本には少々驚く、この物件てのは僧侶が世に出すのが正解じゃないのか?
一在家の分際で宗旨の口伝を解き明かすのは変じゃな。
それでも不満を解消せず、深い心からの宿命転換を怠る
省1
673: 12/22(日)09:31 ID:yZGDL88u(1) AAS
>>671
座布団一枚
674(2): 12/22(日)10:24 ID:rq2HV52r(1/2) AAS
仏教スレで不生の意味が分からん人がいるのか?
字面だけとらえれば空っぽなんだろうけど、盤珪永琢の意味するところは無明以前だぞ
釈迦が説いたように人間なるものの誕生とは無明の開始であり、12因縁の始まり
つまり、生まれる前って言うのは12因縁の出発点である無明の開始前のこと
無明開始前って言うのは煩悩が発生する前のことで、煩悩と呼ばれる自分を見失う原因が全て取っ払われている状態
それは表現を変えれば、生まれる前の子宮に包まれている胎児みたいなもんだ
我々仏の生命は全て同一であり永遠不滅
例えるならばそれは母胎と統合されている状態であり、父母未生以前本来の面目である自分しか知らない
なぜなら仏教的には生まれること=無明であり幻想なんだから
というか、分離経験がないから分別を知らず母胎と統合されているという感覚さえない
省2
675(1): 12/22(日)10:28 ID:rq2HV52r(2/2) AAS
区分を知らなければ全一とは何かを理解できない
分離を知らなければ無制限の愛という感覚を覚えることは出来ない
なので、生まれることと未生は必ずセット
生まれなければ生まれないという状態を理解することは出来ない
生まれることとは、分離や区分の煩悩世界で生き抜かなければいけない人生に放り出されること
その放出された分離の帝国での過酷なサバイバルゆえに、人間は自分の生まれる前の父母未生以前本来の面目を忘れてしまう
この未生と誕生とは、悟りと無明はセットと同じこと
悟っていない経験をしなければ、悟りという状態がどのようなものか知ることは出来ない
父母未生以前本来の面目を思い出し取り戻すことが無明以前への復帰であり、悟りと同様のこと
まぁ、生きようが死のうが、何をせずとも、人間はずっと父母未生以前のままであり、ただ、それを忘れるということがあるだけなんだけどね
省1
676(1): 12/22(日)10:44 ID:i1/hj6mr(3/3) AAS
AA省
677(1): 12/22(日)17:53 ID:xb0Bot6M(1/4) AAS
>>674
「立正安国論」と私 上原 專禄
外部リンク[htm]:kawasumi.html.xdomain.jp
普通いわれている言葉によると、釈迦自身が四諦十三因縁の法を体得して、
八正道の実践を通して仏陀になった、後輩たるわれわれも及ばずながら釈迦を師正として、
その実践のあとを実行していく、そのなかに仏道修行があリ、悟りがあるというように説かれていると思うのです。
そういう悟りは、なによりも原始仏教のなかではとくに精神的なもの、
内面的なものと考えられていると同時に、悟りというものは、じつに一人一人の悟りであって、
四諦十二因縁の法を悟る、あるいは八正道を実践するその主体は、個人であると考えらていた。
いってみれば個別主義的、理知主義的な世界認識、
省12
678: 12/22(日)17:59 ID:xb0Bot6M(2/4) AAS
日蓮はなにを強調したか
それでは、一切衆生を救うところの、菩薩道を中心とした大乗仏教へと発展していくにはどうすベきか。
この問題は古代インドにもあったわけで、そういう問題とかかわって、
日本に輸入され伝わって来た仏教のなかにも、悟りとはどういうことかという問題が、やはりあったと偲う。
禅宗の悟り、律宗の悟り、そういうものは、個別主義的なインテリの悟りには十分なり得るだろうが、
苦の世界に沈湎している大衆を全体として救う方法ではないのではないか。
こういう問題が鎌倉仏教の場合の問題である。法然や親鸞という方々の考え方のなかにもそれが強いので、
日蓮とは違った仕方で、救われなければならないはずの大衆を
、仏教において救うのにはどうしたらよいのか、という問題があったわけです。
それに対し法然的、親鸞的解決の方法と日蓮的解決の方法とがあったと見なければならないのですが、
省13
679(1): 674 12/22(日)18:00 ID:nAeX7Fcm(1/5) AAS
>>677
意見や反論があるなら、文意に沿って自分の言葉で語ってくれよ
やみくもに他者の文章をコピペするだけでは何が言いたいか分からんぞ
680(1): 12/22(日)18:21 ID:xb0Bot6M(3/4) AAS
>>679
それは、釈迦の説いた教えの段階は、あくまで個別主義的な個人の悟りであって、
さらには出家主義による世俗から完全に切り離された少数者の道だった
家族の縁を切り出家できない世俗で生きるしかない民衆(衆生)を
どうすればいいかという問題が、釈迦入滅後、300年後の上座部と大衆部の根本分裂であり
日本の場合、為政者、貴族階級の所有物であった仏教を
大衆にどう根ずかせるか、仏との縁を結ばせるかが、鎌倉新仏教の問題だった。
だから「もう一度探す旅」などというのは、個別的に個々にやっればいい
そんなものは、あくまで主観的な個人の悟りでしかないのだから。
681: 12/22(日)19:36 ID:nAeX7Fcm(2/5) AAS
>>680
なんか、悟りというものを極めて狭く捉えていない?
つーか、悟りというのはそんな大袈裟なもんではなくて人間の本質そのもの
あるいは人間というよりも、生命の本質そのもの
生命は元々分離もなければゆえに個別性もない
ただ無境界の生命というのがあるばかり
それは空とか陰陽が分裂する前のタオとか全一なるブラフマンとかハイデガーの現存在とか唯一存在のヤハウェみたいなもん
じゃあ、なんでそんな全一生命なる状態に人間などという個別存在が誕生するかと言ったら、それは全一存在の願望
全一存在は全一存在のままでは個別や多様性を経験できない
空っていうのはそれゆえに、自分の内なる無限の可能性を表出表現したい願望に駆られて、複数の自分の分身を色即是空でいえば色として生み出しているわけ
省4
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