【大東亜論】靖国神社 「賊軍」合祀計画に会津出身者 「戊辰戦争の総括が必要」【英霊方】 [無断転載禁止]©2ch.net (568レス)
【大東亜論】靖国神社 「賊軍」合祀計画に会津出身者 「戊辰戦争の総括が必要」【英霊方】 [無断転載禁止]©2ch.net http://egg.5ch.net/test/read.cgi/kova/1475762662/
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14: 名無しかましてよかですか? [] 2016/11/03(木) 14:48:29.74 ID:M9VIYXM1 「御所辺放火」計画については詳細な先行研究がある。 名城大学の原口清氏の成果である (「禁門の変の一考察」『名城商学』46-2〜3、1996年)。 原口氏が使用した史料は、池田屋事件直後の 元治元年(1864)6月7日付京都守護職会津松平家在京老臣の公的書簡である。 (『会津藩庁記録』4巻、664〜668頁) 在京の会津松平家老臣の書簡ならば、新選組ともきわめて近く 最も信用に足る史料の一つである。 原口氏はこの書簡を分析し、池田屋への出兵への経過を次のように述べる。 新選組が古高邸を襲撃したところ、甲冑10組程、鉄砲2〜3挺 長州人との往返の書類があった、そのなかに「機会を失しなわず様」と 記したものがあり、甚だ不審千万、きっと何か計画がある様子に見えた その後何者かによって封印した土蔵が打破られ、甲冑や鉄砲が奪取られたことから 新選組が会津松平家へ「少しの間もそのままにしていてはいけないと思うので すぐさま出動し長州を召捕りたい、そのための人数を拝借し 会津公用人も一人出張して頂きたい」と願ったというのである(意訳)。 原口氏はこの書簡に古高が「御所辺放火」を供述したという 記載が全くないことから、計画の存在を疑問視した。 そして事件から4日過ぎた6月9日付の一橋慶喜書簡(松平慶永宛)に 古高が「風便を待ち、御所を焼払」う計画をもつものだったと 突然「御所放火」が登場することを指摘する。その意味するところは実は御所辺放火計画はなかったのだが 慶喜らが周囲から長州人をはじめとする尊攘志士を弾圧したと 非難を受けることをかわすため(「史料的に確定は困難」とされてはいるが) 一・会・桑権力(慶喜、会津松平家、京都所司代桑名松平家の連立政権)の誰かが 何者からも長州人の弁護ができない取締りの理由として 6月9日ごろから御所辺放火計画が でっちあげられた可能性が高いと結論づけるのである。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/kova/1475762662/14
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