[過去ログ] 平和憲法があるのに何故中国は侵略して来るの? 2 (1002レス)
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246: 2022/10/28(金)13:01 ID:+jWdLdeD(1) AAS
今はどうなのか知らないが、昔の若者を魅了した言葉に「前衛」という言葉がある。自分の生きている時代の普遍的価値観を若者は大人から、社会から押し付けられ息苦しさのあまり
保守的とみる傾向があるようだった。その普遍的価値観に挑戦するような価値観を作り出し、普遍的価値観を変革させることに生きる意味を見出した若者も多かった。
1960年代、70年代という時代は特にいろいろな世界でそういう運動が激しい時代でもあった。フォービートという調整の中で演奏されるジャズの世界でもその運動が起こり、
調整を無視したフリージャズが勃興してきた。コンテンポラリーなジャズを追求するジョン・コルトレーンも調整の音楽とフリーな音楽の狭間で苦悩していた一人だった。
1965年の作品の「トランジョン」は彼の苦悩のドキュメントと言ってもよい。この曲の中で彼は調整内の演奏の中で、調整の壁に全身を打ち付けていることを感じとれる。
何とか壊そうと藻掻いているのを感じ取れる。次の作品の「アセッション」では、とうとう調整の壁をブチ破りフリーの世界に入っていっている。
私はこれ以降の彼の作品に興味を持てなかった。よくコルトレーンの頂点の作品に、より調整の世界で演奏されている「至上の愛」をあげる人が多いが、私は調整の中であっても
前衛に挑戦している「トランジョン」だと思っている。60年代のフリージャズの闘士は、今は何をしているか?その多くは保守的な調整の世界に戻ってきている。
「歳を取ったから」と言う人がいるが、私はそうは思わない。即物的に作り出した無機的前衛のジャズに嫌気がさし、伝統を受け継いだ普遍的価値観を持つジャズに意味を見出したからと思っている。
「保守への回帰」とは、「無機的前衛から伝統的な温もりある人間の暮らしへの回帰」と私は思っている。コルトレーンは1966年に亡くなっている。
省2
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