平和憲法があるのに何故中国は侵略して来るの? 3 (803レス)
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278: 04/08(月)09:58 ID:NLTmZnlZ(1) AAS
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戦国時代に上野(群馬県)に沼田城という城が
ありました。北条氏の家臣で沼田万鬼斎という人の
持ち城だったようです。隣接する東信濃の武田氏に
仕える武将の真田幸隆は、ここを落とす為に何年も
掛けて真田家の忍びをタクサン沼田城に送り込み、
ある日、沼田城が油断した隙に中の者達と
外にいる者達が呼応して沼田城を落としました。
相当、苦労して落とした城なので、真田家は、
この城を大事にしました。時は経て、織田信長が死に、
旧武田領は、徳川家康が継ぎ、真田氏も臣従しました。
隣接するのが北条氏で、沼田城の所有を主張
し始めました。家康は北条氏との諍いが嫌で、
真田氏に沼田領の倍の代替え地を用意しましたが、
沼田城を大事にする真田昌幸は、首を縦に振りません
でした。この時に昌幸が首を縦に振っていれば、
その後の真田家の不幸は、無かったはずだ。
これは、私の想像ですが、徳川家康は、武田信玄が「その器量随一」と褒めた
真田昌幸を大局でものを考える戦略家と考え、代替地の提案をしたのではないかと思う。
大局でものを考える戦略家であれば、北条氏康の器量より数段落ちる北条氏政では
将来的には、豊臣秀吉や徳川家康の敵ではなく必衰の運命と考え、家康の命に従うはずだ。
将来的に沼田城は取り返せる、と読み、代替地とプラスすれば領地は倍増すると
考えるはずだ。ただ、戦術家としての昌幸は、「その器量随一」で、
上田城攻めの時、大軍の徳川軍は、さんざんな目に合う。
果たして、萩生田氏は、戦略家だろうか? 戦術家だろうか?
これからの自民党の凋落を想像すると、真田昌幸の不幸な運命とダブッテ見えてしまう。
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