[過去ログ] 【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン111 (1002レス)
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469: 2023/08/02(水)03:27 ID:LZme7dnO0(4/8) AAS
刹那滅について。再掲みたいになるけど
あるお弟子が釈尊に、死んだ後はどうなりますかと聞いた。釈尊は何もお答えになろうとしなかった。
釈尊は、死後の世界のことを語ろうとしなかった。「無記」、言葉で表せない境地を無言ということによって語った場面として知られてます。釈尊は死後の世界のことを全く語らなかった!と喧伝される時によく引用されてる場面でもあります。
そしてそのお弟子に、
「そういうことより、今どうやって立派に修行し悟りを開くかを考えなさい」と伝えた、といいます。
一方、法句経などでは釈尊は
「悪いことをした人はこの世で憂い、来世でも憂い、二つところで共に憂う」と説いてる。
さらに長阿含、涅槃経の元となる遊行経という釈尊最後の説法の旅を記した経典には、釈尊の語られたこととして「捨命住寿」、「私は命を捨て寿(アーユス、縁起生の命)に住むのだから、心配しなくてよい」という言葉が示されています。
来世について釈尊は語ったり語らなかったり、記せ無い・量れ無い寿(アーユス)の話をしたり、ちょっとクールに無言で返したり、釈尊は相手によって話を変えてるのでは?と言われる理由となる場面です。人によって話を聞ける前提条件、機が違うので、相手の機縁を察し、それに合わせた話をしているのだ、という説明もよくされてきました。この「無記」という言葉も、毎度毎度わりと都合のよい引用のされかたをしてきてますわな
この「来世」や「過去世」という言葉は、インドの言葉では現代日本語や中国語とかなり違う意味の広がり方をしています。真宗というものの立場を頂く上で、大事な鍵となるものです。
これが刹那滅といって、釈尊の言葉を中国人や日本人が読む時に大前提となる重要な時系列の捉え方の話っす
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