@@@ザ・モップスPART3@@@©2ch.net (452レス)
上下前次1-新
373: 2022/06/21(火)17:03 AAS
ヒロミツ誕生日age
374: 2022/07/05(火)06:40 AAS
シングル、たどりついたらいつも雨ふり
アルバム、モップスと16人の仲間
リリースから今日で50年
375: 2022/07/12(火)22:06 AAS
「たどりついたらいつも雨ふり」を提供してくれた
吉田拓郎(76歳)が年内で引退
376: 2022/09/17(土)23:53 AAS
BSプレミアムの浜田省吾ライブのスタッフロールに
サウンドプロデュース・アレンジで星勝の名が!
377: 2022/09/24(土)17:55 AAS
レココレ10月号1972年の音楽地図の113ページで
モップスと16人の仲間が紹介されている
378: 2022/11/15(火)17:12 AAS
白木みのるが2年前に亡くなっていた事が
先週公表されたけど、三幸太朗が亡くなった事も
来年公表されるんだろうか…?
379: 2022/12/14(水)21:37 AAS
ドラゴンズファンのヒロミツさん、燃えよドラゴンズを歌っていた
アニキこと水木一郎さんがそっちに逝きました…
380: 2022/12/31(土)23:31 AAS
デビュー55周年にあたる2022年が
間もなく暮れようとしている…
381(2): 2023/01/21(土)00:49 AAS
フォーク&ポップスVOL10(昭和49年6月15日発行)より
さようなら、栄光のモップス
時は、やっぱり、とめどなく、流れていくもので、
止めることは出来ません。人も、次第にトシをとって、
その生活も、思想も、生き方も、夢も、次第に変化していきます。
いいことのようにみえても、なんて、はかない現象でしょうか?
時が止まって、トシもとらなければ、ほんとうにいいのにと
思うことがしばしば、私にはあります。自分が、充実した中にあるとき、
その充実からのがれることが、非常につらくなるからです
でも、こんなたわごとを言っても仕方のないことなのですから。
省2
382(2): 2023/01/21(土)01:07 AAS
>>381の続き
あんなにがんばり続けてきたのに、とても残念でなりません。
モップスの残したものは、なんだったのか、考えてみるに、ただ、
単なる、G・Sの残がいと、片づけてしまうのには、余りに実力が
ありすぎます。モップスは、誰がみても、きっとわかるように、
日本のポップ界の進展に、大いに影響を及ぼしたのです。
それは、ちょっとの説明では語りきれませんが、おもいだしてみても、
あの昭和42年11月5日、G・Sの世界に、サイケデリック・サウンズと、
マスコミに語られた造語のにない手として華々しく登場したのでした。
歌謡曲の亜流のような存在で、日本を吹きあれていた、スターのいる、
省5
383(2): 2023/01/21(土)01:24 AAS
>>382の続き
まるで乱立していたG・S全盛期、だせばレコードはなん十万枚も
売れる時代でした。歌もひどく、演奏もひどく、それでもキャーキャーと
さわがれるグループのレコードは常に好セールスを記録していたのです。
モップスの存在は、そうした、スター・グループの一群からは一歩しりぞいた
ところに存在し、ひそかに一線の人気を持つべく待期していました。
とうとうそうした意味での成功はかないませんでしたが、それだけに、
このグループの解散はおしまれてなりません。モップスの出現は、日本に、
おける、ロック・ミュージックの向上、そして、ロック・ミュージシャンの
芸能界における社会的地位の向上に寄与したグループとして、高く評価
省5
384(2): 2023/01/21(土)01:45 AAS
>>383の続き
そのいずれもが、当時のレコード界に新鮮な印象を浴びせたのは当然で、更には、
新しい音楽の分野を確立し、音楽層を広げてくれたことは、まぎれもない事実です。
「月光仮面」のあの痛烈な、ユーモアとロックとの融合、そして「たどりついたら、いつも
雨降り」の楽しいロックン・ロール、「朝まで待てない」の気持のいいロック風・流行歌、
「森の石松」のあのさえわたった、センスのよさ、など、数えたらキリがありません。
アルバムでも種々の挑戦をやってのけました。特に印象に残るのは、「モップスと十六人の
仲間」というアルバムです。吉田拓郎の曲、井上陽水の曲、かまやつひろしの曲、などと、
友人たちのつくった曲をモップス流に料理してヒットさせました。こうしたアイデアも、
長いロック生活の中でつちかわれてきた、交友の巾広さと、信頼があればこそのことです。
省4
385(1): 2023/01/21(土)01:58 AAS
>>384の続き
星勝は、作編曲を中心として、巾広い音楽活動をしていくようですし、
鈴木ヒロミツは、役者稼業を中心にやっていくようですし、三幸太郎と
鈴木ミキハルは、又、あたらしい、バンドを結成して活やくするということです。
あのモップスの味わい深いロックは、きっと後進のグループに、ロックの心を教えた
筈ですし、その意味では健在ながらの解散も、カッコよくスマートで、よかったのかも
しれません。
それぞれのメンバーが、それぞれの道で活やくする姿をみていくわけですが、彼らの
前途に拍手をおくりたいのと同時に、今後の日本のロック・ミュージックの前途に、
大いなるものが、生きつづけていくことを祈ってやまないのです。
省2
386(2): 2023/01/21(土)22:33 AAS
モップス7年間の軌跡(>>381-385の続き)
グループ・サウンズ―日本の音楽界でこれほど大規模で熱狂的なブームが
あっただろうか。昭和42年、そのグループ・サウンズの全盛期にあたる。ブルーコメッツ、
スパイダースに続けと各レコード会社は、その大半がグループ・サウンズ中心の方向へと走った。
このブームは、音楽界のみならず、社会的にもいろいろな影響を与え、逆にいろいろな批判あびた。
その全盛期、42年11月5日、モップスという、1グループがデビューした。「朝まで待てない」
(阿久悠作詞、村井邦彦作曲)数限りないグループの中でこのデビュー当時から、何か他の連中と
異質なものを感じさせたモップス。それまでのグループに見られたスター的存在になる
メンバーもいず、ましてやルックスのよさもない。名前もモップス―。
しかし、音楽面に関しては、いち早く、サイケデリック調と呼ばれ、一部に高い評価をえた。
387(2): 2023/01/21(土)22:52 AAS
>>386の続き
「サイケデリック・サウンドはサン・フランシスコ産の前衛ロック。幻覚的な音が
妙味となっているが、モップスのデビュー曲、「朝まで待てない」」にも一応それらしき
ふん囲気はでている。それにしても、変わっているのは彼らの服装、メキシカン・ルックに
インディアンスタイル。まったく国籍不明でそんなところになにか“植民地日本”といわれる
要素が感じられる。」(スポーツ・ニッポン、42.11.5)
「それぞれ、個性的なスタイルだがその内容も個性的だろうか」(報知新聞、42.10:23)
「常に意外性を打ち出しながらやっていこうとする一派のグループであることは確かな
ようだ。しかしこういったサウンドが日本の社会機構の中でどう生きながらえてゆくか
疑問は濃い」(B音楽業界紙42.11.1)
省3
388(2): 2023/01/21(土)23:14 AAS
>>387の続き
といったように、あらゆる意味でそれまでのグループにない要素をもっていると
評価されていた。苦しかったジャズ喫茶時代を乗りこえ、今ここに、モップスが
デビューしたのである。<この時一体誰が、今日のモップスを予期できただろうが。
やがて無数にあった、グループ・サウンズも、2、3年のわずかな間に、次々と、解散して
行った中で、7年間という年月をえて、最後のG・Sと惜しまれることを―>
やがて、スパイダース、ブルーコメッツのグループ・サウンズ時代は、タイガース、
テンプターズといった若いG・Sに変わり、第二期のグループ・サウンズ時代へと
入っていった。そんな時代にも、常にそして着実に伸びていったモップス。43年、
3月「ベラよ急げ」、8月「お前の全てを」、デビュー盤ほどの売り上げはなかったにして
省4
389(2): 2023/01/21(土)23:39 AAS
>>388の続き
<そのころ、(43年、春)岡林、高石友也をはじめとする、フォーク・ブームがまきおこった>
やがて、かつて、G・Sブームの時のように、フォーク、フォークと若者たちの音楽は変わっていった。
そして、46年、夏、吉田拓郎が現れ、ますます、、フォーク一色となっていったのである。
「生き残ってしまったモップス、一体あなた達は誰に向って何を歌うのでしょう」
(スポーツ・ニッポン4、23)
ジャズ喫茶はコンパに変わりあのはなやかなG・S時代は完全に消えてしまった。
しかし彼らは、彼らなりに何にまどわされることなく、音楽を追求していった。
ブームは去っても彼らに終わりはなかった。あの、後楽園球場での“グランド・ファンク・
レイルロード”の前座として堂々と、「御意見無用」をうたった時も、三越の屋上ステージで
省6
390(1): 2023/01/22(日)00:04 AAS
>>389の続き
一方リーダーのヒロミツは、TVドラマ、CMと、幅広く活動。けれど収入はほとんどが
グループの音楽の研究費にしたとか。星勝もアレンジを手がけるなど、地道ながらも
常に前進していった。デビュー当時のあの異様な星勝のヒゲもメガネも、今は珍しくは
ない時代になった。アマチュア時代を入れると8年 今、モップスは完全燃焼した。
リーダーのヒロミツが言う。「ギターの星勝、ドラムスのスズキミキハル、ベースの三幸太郎、
ひとりひとりが全員の目標だった世界に通用するアーティストになったんです。リード・
ヴォーカルの僕だけが世界に通用するまでいたらなかったんです。彼らの出発はこれからだ。
オールラウンドな役者になるというヒロミツ、すでに作曲、アレンヂで高い評価をえている星勝、
日本のアーティストはいつか世界に出るその時は俺が一番ノリと意気込むベースの太郎、
省5
391(1): 2023/01/24(火)20:53 AAS
モップスサヨナラ・コンサートより(>>386-390の続き)
最後のG.S.モップス。去る4月23日のサヨナラ・コンサートを文字通り最後に解散した。
昭和42年、あのG.S.全盛期に“朝まで待てない”でデビュー以来実に7年間、彼らは常に
とどまることなく、自己のペースで、それでいて、日本ロック界のリーダー格の道を
歩いてきた。よくある、サヨナラ、コンサートの一種独特の湿っぽさはまるでなく、むしろ
これからの彼らメンバーの4人の旅立ちを、ゲキレイするかの様な、そんな熱気に包まれた、
コンサートであった。
この日、会場の中野サンプラザ・ホールは超満員。そして普通のコンサートよりは幾分、
20才すぎのファンの多かった様である。これも、一つのモップスの歴史の長さを物語って
いるに他ならない。モップスは消えた―けれど、彼らの残した軌跡はこの日本ロック界、
省6
392(1): 2023/01/24(火)21:12 AAS
>>391の続き
第?部
およそ、30分遅れて、7時過ぎの開演、「これで本日のコンサートは終了しました」という
アナウンサーのモップスにふさわしいあいさつでいよいよ幕開け。いきなり会場
われんばかりのモップス・サウンドがひびく、“スペル・オン・ユー”等、彼らがまだ
デビュー前に唄っていた、ロックナンバーが続く。曲の間、ヒロミツの巧妙な話が
ファンをわかせる。“ラブ・サンバディ”を最後にゲストの陽水にタッチ。
第?部
まだ、お互いプロになれなかった頃から、つきあいの深い井上陽水。モップス、最後の
シングル盤となる“あかずの踏み切り”も彼の作品。この日は、モップス解散の為、本当に
省4
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