[過去ログ] 【九死に】津波のエピソード【一生】 (1001レス)
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(3): 名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区) 2011/05/22(日)19:26 ID:LMX2uzGo0(3/3) AAS
>>57です。
その後何度も押し寄せる津波と余震、火の手で一睡もできませんでした。
翌朝、実家に向かうべく明るくなり始めてから行動を開始しました。
大街道方面は火の手が見えていたので、うつみ橋を渡って行こうと考えました。
遠くから見えるうつみ橋には、橋の上に家が流れ着いているように見え、また、舟も何隻か乗り上げてました。
なんとか瓦礫をかき分け橋に着くと、橋は家や舟や車、瓦礫に埋め尽くされてました。
かき分けながら進むと、ご遺体も複数見えいたたまれない思いでした。
昨日見た時は大渋滞でしたので、このありさまは本当にショックでした。
そのまま398号線を瓦礫をかき分けながら、腰まで海水につかりながら歩いていると、消防車が見えました。
「やっと救助活動が始まっているのか」と少し安堵しました。
が、期待もむなしく、消防車は横転していました。この時に「とんでもないことが起こっている」と
再度思いました。そのまま大門崎に差し掛かったあたりからは、本当に更地に近い風景が
広がっていました。以前は見えなかった所から小学校・中学校、海までもが見える。その怖さが半端なかったです。
途中、何メートルか上にある電線に引っ掛かってるご遺体や、手や頭など遺体の一部も目に入ってきます。
松並町あたりに差し掛かった時、見覚えのある車がありました。親戚の車でした。
しかし、それは大破しており、中に親戚一家5人の遺体がありました。3歳と2歳の子供もです。
涙が止まりませんでした。ふと、いやな思いがよぎります。自分の家族もこうなってしまっている。
寒い思いをしながらこうして放置されてしまっている。はやく暖かいところに移動させてあげないと。
「絶対戻ってくるから、もうすこしここでまってろよ」そう親戚一家に言い残し、その場を
後にしました。398号を渡波方面へ、実家のほうへ進みました。途中泣き崩れる人、呆然とする人、
コンビニやスーパー、リカーショップから商品を持ち出す人等、いろいろな人の行動が垣間見れました。
親戚の車があった所から数十分歩いたでしょうか。自分の実家があった場所に着きました。
案の定、土台しか残ってませんでした。いい年をした大の男が本当に泣き崩れてしまいました。
実家の隣の人も様子を見に来たようで、2人で抱き合って泣いてしまいました。

その後、実家近くをいろいろ探しまわりましたが家族とは誰とも会うことはできませんでした。
夜になり、避難所になっているスーパーの屋上に入れてもらい、一夜を過ごしました。
避難所には怪我をして痛みでうなされている人もいまして一睡もできませんでした。

翌朝、実家の場所に行ってみると、仙台にいる筈の弟と再会。
その足で親戚一家が眠る場所へ案内し、また、自衛隊に遺体の搬出もお願いしました。
次の日幼稚園で嫁子供と再会、その次の日避難所で母と再会。
父とは3月の17日に親戚宅で再会しました。
みんながみんなバラバラに探しあっていたため、再会するのに時間がかかりました。

>>69
棺というか、ブルーシートを被せロープで縛り、一回の移動で
7から8体の遺体を自衛隊のトラックで運んでました。
道が悪いので凹みを通りすぎる瞬間遺体が一斉に跳ね上がるんですが
そのさまが本当にもう・・・ブルーシートに包まれた遺体の動きが
丸太でも包んで運んでるかのように見えました。

実は今でもあまり現実味がありません。
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