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(4): (和歌山県) 2011/10/09(日)20:04 ID:Jqg6F2bv0(46/60) AAS
田中三彦講演会「データは地震による破壊の疑いを示している」愛媛県松山市

「伊方原発をとめる会」草薙純一氏あいさつ。「私は神様をおそれ、命を大事に思うキリ
スト者。原発の火は地獄の火。放射能は人間の力では消せない。自然と共存できない。人
間とも共生できない。命を奪うものだから。この原子力によって豊かになるものは、原子
力によって必ず滅ぶ」
草薙氏「伊方原発をとめるために、@国策を自然エネルギーに転換。A愛媛県知事が原発
稼動に賛成しないこと。B裁判所が稼動停止の判決をすること。C四国電力が株主総会で
原発停止の決議をすること。みなさんの中でお金があり余っている人は、四電の株を買っ
て意見を言おう」
草薙氏「福島の人は、地獄の中にある。避難すれば生活が根底から崩壊する。避難しなけ
れば被爆の日々。今日の少数者が明日の多数者となることを期待して、主催者のあいさつ
とします」
特別報告。福島県南相馬市から避難してきた農業従事者、渡部寛志さん。「体験したくな
かった体験の報告を。私は福島第一原発から20kmの所に住んでいた。海岸線から約4kmが平
地。米、大豆などを作っていた。私と妻で託児所も営んでいた。3月11日、私は自宅から3
km離れた所にいた」
渡部氏「妻は託児所にいた。私は用事で市役所にいて、出たところで、アスファルトの地
面が波打ち、しばらくはいつくばるしかなかった。津波で一面が水浸し。多くの命が失わ
れたが、悲しみに沈む間もなく、生き残るための戦いが始まった。唯一の情報源はラジオ
だけ。11日晩は避難した高台で」
渡部氏「翌日、バスにのった人たちがきた。名乗ることもなく、避難の指示を繰り返して
いた。郡山市の姉の家へ。水素爆発の後、15日からは姉の家族とともに、母の実家・会津
若松市に避難。原発は悪化の一途。4月1日、福島を出て、愛媛県に避難。新たな分野の農
業を学びたい。子供も安全に」
渡部氏「1ヶ月程度の避難だと思っていた。4月中旬、東電の工程表。政府、来年1月以降に
見通し発表という、困った発表が。福島への早期帰宅をあきらめた。7月上旬、伊予市に家
を決めた。7月31日、一時帰省。近所の水田、塩水をかぶったせいか、キレイな地割れ。鶏
470羽が全滅」
渡部氏「季節が夏に変わっていることに、正直驚いた。自分の中の時間が、3月で止まって
いることに気がついた。たった2時間の一時帰宅だったが、やっと戻れた、友人たちとも会
えたのでうれしかった。未だに海から3kmの所は水没したまま。そこから集められた瓦礫の
山」
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