[過去ログ] 【原発】原発情報4024【放射能】 (1002レス)
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699: (北海道) 2018/03/14(水)21:01 ID:/Rl78pGS(1/2) AAS
論考2018 岡田憲治
東日本大震災から7年 われわれを分断させるもの
連帯なしに生は享受できぬ
 各種世論調査によると、われわれは総じて原子力発電の未来を信じていない。
震災以来7年間、多少の変動はあっても、7割以上の人々が少なくとも「将来的には廃炉にするべき」と考えている。
数万年先まで無害化しない放射性廃棄物を管理する見通しが、数年先までしかたっていないという根源的反道徳性を、多くの人が発見したということだ。
 あの3月、東日本の大気を覆った大量の放射性物質が、山を下り川底に堆積している以上、東京在住の私は、
水道の水を直接、幼いわが子に飲ませることを躊躇する。
このようなパパやママの数は膨大である。
食の安全を願う気持ちは広範に共有されてる。
 巨大なダメージを受けた東北の復興を願わない人はいない。
多数の大学の教え子たちが震災以来ボランティアに出かけ、私も大量の読了書籍を岩手県陸前高田市の図書館の再興のために寄付した。
「東北はもうダメだ」などと言う者は一人もいない。
 われわれはこうして21世紀の試練に立ち向かい、心を通わせている。
 だが同時に、こんなに心を寄せているはずのわれわれは分断されている。
 長期低線量被ばくが人体に与える影響について、科学はいまだに結論を出せていない。
科学者は「福島の子どもの甲状腺がんと原発事故との因果関係は立証できない」と言う。
「科学的には」因果関係があるとは断定できないと。
 政府は、外部被ばくの安全基準を20_シーベルトであるとして、政策や法の執行の前提としている。
10年前なら「原発作業員向け」の基準(50_シーベルト)と大差のない数値だ。
かつての尺度、年間1_シーベルトは消滅した。
「政治的」にはそうなるということだ。
 そして生活者圏では、北関東で取れたキノコ類や葉物野菜を躊躇なく買い物カゴに入れる者もいれば、忌避する者もいる。
暮らしの中で大中小の気がかりと心配を生き、マンションの管理組合総会で「子どもがたくさんいるのだから、管理組合費で線量計を購入してほしい」と提案して、
エリート会社員の居住者に嘲笑される。
疲れた友は「知らぬが仏作戦だ」と自嘲気味に降参する。
 科学者は「科学的判断」に固執する。
政治家は「政治的判断」に落とし込む。
われわれは「生活者判断」によって右往左往する。
そして、圧倒的多数のはずの生活者が、これほど心を通わせているはずなのに、
原発と放射性物質を恐れる人々を「放射脳」「無知なデマ拡散者」などと笑うものがいる。
 通常の20倍から50倍に上る、福島県の子どもの甲状腺がん発生率(津田敏秀・岡山大教授らの研究チームの発表)は尋常じゃないと言えば、
「科学がわかっていない」と返される。
子どもたちをかつての基準値の20倍も被ばくさせて平気なのか問う声をよそに、政治家は「電力会社をつぶすわけにいかん」と公的資金を投入する。
 この世界を生きるための判断基準は複数あるのに、「科学に依拠するのが前提」と説かれ、「産業なくして日本なし」と押し込まれ、
生活者判断は「過度な不安を煽る」とはじかれる。
 専門知を持たない私は、科学的判断を検証できない。
政治学徒だが政治家ではない自分は、電力会社の虚言を憎む。
そして日々子どもを心配し、体調を気にする弱き人間である。
だからわからない。
何を基準にすれば、自分と愛する者たちの生を守れるのか、それがわからない。
そうやって、わからないと悩み暮らしている者たちが分断されている。
 しかし、何によってわれわれが分断されているのかを、私はどうしても見据えておきたい。
なぜならば、わが隣人たちと愛し共有しているものを、簡単には手放すことができないからだ。
われわれはいがみ合う必要のない者たち同士で分断させられている。
その切なさを、科学は検証できない。
政治家はカウントしない。
でもわれわれは、他者との連帯なしには生を享受することができない。
 あの日以来、私はここから少しも離れることができない。
時間などたってはいない。
われわれは、今もずっとあの3月を生きているのだから。
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