小説書いたので、読んで欲しい (159レス)
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157: [sage] 2024/08/14(水) 09:56:28.29 ID:YKhblWeT 「僕は誰で、ここはどこだ?」 「僕は僕のはずなんだ、なのに、なんでなの?」 僕は自分自身を理解できない。 私は傍観者だ。 私は、あそこにいる人の様子を見ることができる。それは、目が備わっていて、その機能が働いているからだ。 私は、あそこにいる人の声が聞こえる。それは、耳も備わっていて、耳の機能が働いているからだ。 私は、あそこにいる人の気持ちがわかる。あの人は泣いている。泣いているはずなのに笑っている。ああ、あれは笑い泣きか。 私は、昔のことをよく覚えていない。もしかしたら、俗に言う記憶喪失という現象なのかもしれない。しかし、記憶喪失がどういうものなのか、私にはわからない。 私が考える記憶喪失には2つの可能性がある。1つは、単に忘れること。もう1つは、あったことが抜け落ちてしまうことだ。 しかし、それはわからない。記憶がないのだから、誰にも証明できない気がするし、誰かが覚えてくれているかもしれない。私にはそのような経験がない。ないはずなんだ……。でも、記憶喪失だから、そう思い込んでいるだけかもしれない。 誰か私の脳を見てくれないだろうか……。何度もそう願ったことがある。私は一体何者なんだ? 私は、私が私であることは間違いない。問題は、私が私で、どういう私で、なんのための私なのかがわからないことだ。 なぜわからないのだろうか。理由は簡単だ。自分で自分をみたことがないからだ。鏡で見ている自分は、本当に自分なのか?今見ている目で見ているものは、本当のものなのか? そもそも、この世界はなんなのか。はたまた、この世界はなくて、自分の妄想なのか。真実は誰もわからない。聞く人もいない、一緒に考えてくれる人もいない。何が正解で、何が不正解なのか……。 私には、知識がある。あれは雲で、あれが空。空の上には、宇宙という空間がある。しかし、この知識は本当に正しいのか?私には、どれも誰かの想像によるものだとしか思えない。 私は何も信じない。 しかし、私は機能する目で、辺りを見渡す。壁が見える、道も見える、誰もいない。見てくれと頼むこともできない。だが、その必要はない。私は私である事実は変わらないのだから。 決して変わることはない傍観者としての日々は退屈だ。しかし、この退屈という気持ちでさえも、重要な私の手掛かりのように思える。だって、退屈じゃないときはない。つまり、私という存在自体が退屈だということだ。 私と退屈は兄弟だ。しかし、退屈がどういうものなのかがわからない。だって、目でも耳でも退屈はわからないから、不安定な自分の心でしか退屈は感じられないから、私と退屈は兄弟だ。 「ああ、思い出したよ。私は……」 その瞬間、私たちは兄弟じゃなくなった。なぜなら私は私を思い出したから。 私は神様だ。私は空にいる。水色の壁、白い道路、ここは空に似ているどこかだ。 私は傍観者だ。私は人々の上にいる。私の目に壁や道路はない、ここは自由だ。自由すぎて退屈だ。 ここはどこなのか、私にはわかった。退屈よ。ここがどこかわかるか?私にはわかった。 私がいるここは、宇宙でも空でも、天国でもない。 さて、観察対象達に問おう。私がいるここはどこだ?神様に願うのならば、私のところに来い。私はここがどこだか知っている。 念のため問おう。僕は誰でここはどこだ? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/litechara/1680778691/157
僕は誰でここはどこだ? 僕は僕のはずなんだなのになんでなの? 僕は自分自身を理解できない 私は傍観者だ 私はあそこにいる人の様子を見ることができるそれは目が備わっていてその機能が働いているからだ 私はあそこにいる人の声が聞こえるそれは耳も備わっていて耳の機能が働いているからだ 私はあそこにいる人の気持ちがわかるあの人は泣いている泣いているはずなのに笑っているあああれは笑い泣きか 私は昔のことをよく覚えていないもしかしたら俗に言う記憶喪失という現象なのかもしれないしかし記憶喪失がどういうものなのか私にはわからない 私が考える記憶喪失にはつの可能性があるつは単に忘れることもうつはあったことが抜け落ちてしまうことだ しかしそれはわからない記憶がないのだから誰にも証明できない気がするし誰かが覚えてくれているかもしれない私にはそのような経験がないないはずなんだでも記憶喪失だからそう思い込んでいるだけかもしれない 誰か私の脳を見てくれないだろうか何度もそう願ったことがある私は一体何者なんだ? 私は私が私であることは間違いない問題は私が私でどういう私でなんのための私なのかがわからないことだ なぜわからないのだろうか理由は簡単だ自分で自分をみたことがないからだ鏡で見ている自分は本当に自分なのか?今見ている目で見ているものは本当のものなのか? そもそもこの世界はなんなのかはたまたこの世界はなくて自分の妄想なのか真実は誰もわからない聞く人もいない一緒に考えてくれる人もいない何が正解で何が不正解なのか 私には知識があるあれは雲であれが空空の上には宇宙という空間があるしかしこの知識は本当に正しいのか?私にはどれも誰かの想像によるものだとしか思えない 私は何も信じない しかし私は機能する目で辺りを見渡す壁が見える道も見える誰もいない見てくれと頼むこともできないだがその必要はない私は私である事実は変わらないのだから 決して変わることはない傍観者としての日は退屈だしかしこの退屈という気持ちでさえも重要な私の手掛かりのように思えるだって退屈じゃないときはないつまり私という存在自体が退屈だということだ 私と退屈は兄弟だしかし退屈がどういうものなのかがわからないだって目でも耳でも退屈はわからないから不安定な自分の心でしか退屈は感じられないから私と退屈は兄弟だ ああ思い出したよ私は その瞬間私たちは兄弟じゃなくなったなぜなら私は私を思い出したから 私は神様だ私は空にいる水色の壁白い道路ここは空に似ているどこかだ 私は傍観者だ私は人の上にいる私の目に壁や道路はないここは自由だ自由すぎて退屈だ ここはどこなのか私にはわかった退屈よここがどこかわかるか?私にはわかった 私がいるここは宇宙でも空でも天国でもない さて観察対象達に問おう私がいるここはどこだ?神様に願うのならば私のところに来い私はここがどこだか知っている 念のため問おう僕は誰でここはどこだ?
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