[過去ログ] NHK BS1 10296 (1002レス)
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226(3): 様々な事情の複合相乗で名乗れぬ古参コテ(鳥を忘れたカナリア) [体調絶不調で超絶遅レス] 2020/11/29(日)22:53 ID:pES8Bkr9KNIKU(1/4) AAS
BSでの本放送も見逃し再放送も見逃し「どうせ韓国関係だから地上波で放送するだろ」と想定していたら全く放送されず…今回も放送終了後に気付いたので放送内容に関しては一切無知を前提としてレスするが
2chスレ:livebs
他2つはともかくとして【つんく♂】に関してはハロプロ総合Pとして作品&舞台の実権を掌握し本人の意向が反映された2007〜2013年と前後では全く別物で当該時期だけは韓流アイドルなぞ相手にならぬほど欧米や中東で絶大な支持と評価を受けていたのだが…日本人だけが全く知らないだけで
その証左として当の韓国芸能記事が現在韓流アイドルの成功について分析考察した際に「鍛練システムは沖縄アクターズスクールを海外進出モデルはモーニング娘。を模倣したことが主因」という結論を出している…それくらい2007〜2013年のハロプロの欧米や中東での人気や評価は凄まじく欧米でライヴを開催すれば1人最低約5000円のチケット代を払い常に黒人や白人が会場限界を越えるほど集まった
その詳細は2015年末に泥酔に因る線路転落で急逝した(小生は櫻井氏を邪魔者とする国内外勢力に暗殺されたと推察する)櫻井孝昌氏の記事を通読すれば自明だ…小生がYouTubeの動画を貼れれば2007〜2013年ハロプロの尋常ではない海外人気と卓越した舞台芸能の実力の証拠となるライヴ映像を貼るがガラケーでは不可能なので関連記事を貼るのが精一杯(次レスに続く)
289(2): 様々な事情の複合相乗で名乗れぬ古参コテ(鳥を忘れたカナリア) [体調絶不調で超絶遅レス] 2020/11/29(日)22:58 ID:pES8Bkr9KNIKU(2/4) AAS
>>226の追記補足?
外部リンク[html]:asianbeat.com より抜粋↓
K-POPの世界への急激な進出を見つつも、海外を周りながら、日本アイドルの潜在的な力を強く感じてきた。日本のアイドルは世界に進出できるし、世界に攻めていくべきである。
これが私の世界20カ国を周ったうえでの結論だ。ファッション誌の読者モデルのように、けっして遠い存在ではない日本のアイドル。だが、モーニング娘。に代表されるように、ライブのクオリティは驚くほど高い。
この日本では当たり前だが、世界では当たり前でない要素こそ、世界が日本に感じるオリジナリティなのだ。
354(1): 様々な事情の複合相乗で名乗れぬ古参コテ(鳥を忘れたカナリア) [体調絶不調で超絶遅レス] 2020/11/29(日)23:20 ID:pES8Bkr9KNIKU(3/4) AAS
>>226の追記補足?>>289の続き
外部リンク[html]:asianbeat.com より抜粋↓
高橋自身も、「女に幸あれ」の人気の高さに驚いたという。「女に幸あれ」は、高橋がリーダーを務めたプラチナ期と言われる時期の楽曲だ。この時期の楽曲は、海外のファンにとても人気が高い。
社会現象だったモーニング娘。初期のすさまじい人気以降、私の視界にもモーニング娘。がまったく見えていなかった時期である。そのころモーニング娘。のライブ力に一足先に気づき、ライブに通い詰めていた友人の話を聞くと、いまではうらやましく思う。
だが、当時やっている本人たちにしてみたら、先の見えない道を暗中模索しながら進んでいるようなものだったのだろう。(中略)だが、海外のファンたちは、高橋愛率いるモーニング娘。の素晴らしさに多くの日本人より前にとうに気づいていたのだ。
2008年ごろから本格的に始まった私の文化外交活動のなかでも、モーニング娘。の名前はしばしば海外の若者から出ていた。当時の私は、それを流行が遅れて伝わっているぐらいに思っていたのだが、それはまったく逆で、彼らのほうが現在を、そして未来を見ていたのである。
362: 様々な事情の複合相乗で名乗れぬ古参コテ(鳥を忘れたカナリア) [体調絶不調で超絶遅レス] 2020/11/29(日)23:27 ID:pES8Bkr9KNIKU(4/4) AAS
>>226の追記補足?>>289>>354の続き
外部リンク[html]:asianbeat.com より抜粋↓
私自身のことでいえば、ライフワークと考えている文化外交活動で世界を周っているなかで、いくつかの大きなターニングポイントがあった。たとえば、それは2008年3月サウジアラビアでの講演だったり、7月パリ・ジャパンエキスポで「カワイイ」という日本語に心から喜ぶ女子たちの出会いだったりする。
2010年7月パリのモーニング娘。のライブも間違いなくそのひとつだ。この日がなければ、私にとってアイドルはいまでも関係ないものだったかもしれない。30ユーロというけっして安い値段でないチケット代にも関わらず約4000名の動員を記録したという数字以上に、そのライブのクオリティの高さに人生観が変わる思いだったからである。
彼女たちを知れば知るほど、いかに彼女たちがライブという存在に真摯にのぞんできたかがわかり、頭を垂れる思いだった。パリのライブは、そんなメンバーが異国で、オーバーでなくすべてをかけて世界を取りにいったライブだったと私は思っている。
そして、その一夜の出来事は、観た人はもちろん、それを観なかった世界の人にも伝説としてちゃんと届いたのだ。モーニング娘。の世界での圧倒的な支持の根本にあるのが、このときのライブだったことは間違いない事実だろう。パリの8人を、名前さえほぼ知らなかったのだと思うと感慨深い
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