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■■■明日の日経平均を予想するスレ24435■■■ [転載禁止]©2ch.net http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/
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893: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/15(日) 21:46:50.60 ID:IH3b3eVa キタ━━━━━━ヽ(≧∇≦)ノ━━━━━━!!!!! http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/893
894: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/15(日) 21:46:54.91 ID:xpC4UiQQ キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/894
895: ミリンダ=ブランティーニ中尉 [sage] 2015/11/15(日) 21:46:55.56 ID:ToGCqIQb ぎゃあああああああああああああ http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/895
896: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/15(日) 21:46:56.68 ID:csy8qpGM >>886 なにより、総務省とか市役所とか行政側もよくわかってないのが怖ろしい、てか、まぬけ http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/896
897: 幸ちゃん ◆CHXfX7dmeM [] 2015/11/15(日) 21:46:58.63 ID:yPU1Ec8h いろいろな宗教は、民衆がそれだけではどうにも把握できない真理をつかんで心のなかに描きだすための、 いろいろな図式といってよく、民衆にとっては、真理はこういう図式と不可分に癒着しているんだ。だから、 きみ、わるくとってもらっては困るが、きみが宗教を馬鹿にするのは、偏狭であると同時に不公正なんだ。 フィラレーテス 偏狭で不公正といえば、民衆の欲求や理解力にあわせて仕立てあげられた形而上学 以外に、どんな形而上学もあってはいけないと望むことだって、まったく同断じゃないか? 民衆形而 上学の説くところが人間の研究心の境界石であり、あらゆる思惟の基準であるべきであり、したがって きみのいう少数の例外者のための形而上学も、民衆形而上学を確証し、確立し、解明することに落ち着 くべきだと注文をつけること、つまり人間精神の最高の力を利用せず伸ばさないで抑えておくばかり か、芽生えのうちにつみ取って、この力の活動が例の民衆形而上学と衝突することがないようにしなく てはいけないなどという言い分は、やはり偏狭で不公正じゃないか? そして宗教はいろんな要求を かかげているが、結局はこれと変わらないではないか? 自分では不寛容・無慈悲そのものであるくせ に、ひとさまに寛容や、やさしい慈悲を説くなんて、おかしいではないか? ぼくはその証拠に、宗教 裁判や異端糾問、宗教戦争や十字軍、ソクラテスの毒杯やブルーノやヴァニーニの火刑をあげる! な るほど今日こういうことは過去の話になったとはいえ、ほんとうの哲学的努力、誠実な真理探究という う、最も高貴な人類のこの最も高貴な仕事を邪魔だてしているのは、国家から独占権をあたえられてい る例の因襲的形而上学で、その命題はだれの頭にもきわめて若い時代に焼きつけられる。それが真剣 に、深く、しっかり刻みこまれるため、奇蹟的な弾力性をもった頭でもないかぎり、どうにも消せな いほどにこびりつき、健全な理性はこれを限りに調子っぱずれになってしまう。つまり、自分で考えて 偏見のない判断をくだすという、もともと薄弱な能力が、嗜好や判断に関連するすべての点で永遠に働 かなくなって台なしになるというわけなんだ。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/897
898: 山師さん@トレード中 [] 2015/11/15(日) 21:47:06.88 ID:5IxBkjnU 逆転きたこれwww http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/898
899: 幸ちゃん ◆CHXfX7dmeM [] 2015/11/15(日) 21:47:11.44 ID:yPU1Ec8h デモフェーレス それはこういうことだろう。ともかくそれでいったん信念ができた以上、世間の連 中はそれを捨てて、いまさらきみの考えを受けいれる気にならないだけの話さ。 フィラレーテス ああ、その信念とやらが、認識にもとづいているなら文句はないんだけどね! そうなれば根拠をあげて迫ることもできるし、双方、同じ武器で戦える場がひらかれるわけだ。ところ が宗教というのは、はっきり言って、根拠をあげて信念に対するのでなく、啓示をもちだして信仰に頼 るのだ。ところで、あたまから信じこむ力というのは、子供時代がいちばん強い。だからこの気持ちの やわらかい子供時代をねらうことがまっさきに考えられる。そのほうが、あとから威嚇したり奇蹟を教 えたりするより、はるかに強く教義が根をおろす。つまり、ごく若い時代に、ある種の根本的見解や教 説を、それこそ並々ならぬいかめしさで、その子供がはじめてお目にかかるような厳粛きわまりない表 情で、くりかえしたたきこむ。それに対して疑問がきざすかもしれぬなどということは、完全に素通り だ。あるいはそれに触れるにしても、疑いをいだくことこそ永遠に堕落する第一歩だというふうにほの めかすといったぐあいにやれば、その人の受ける印象は深刻で、普通は、ということは十中八九、その 人間が例の教説を疑うことができなくなることは、ほとんど自分自身の存在を疑いえないのと同じこと になるだろう。そうなれば、「それがはたしてほんとうなのか?」と、まじめに率直に問うだけの精神 の堅固さをもつ者は、何千人中に、ほとんどひとりもないことになろう。それにもかかわらずあえて問 うことのできる人たちを「強い精神」(esprits forts)と呼びならわしてきたのは、だから普通に考え られている以上に適切な言い方なんだ。ところが、それ以外の人びとにとっては、例の方法で注入され たのに、いっこうゆるぎない信仰が根をはらぬということぐらい、理屈に合わぬ腹立たしいことはな い、ということになる。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/899
900: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/15(日) 21:47:11.79 ID:aIjC0vlf きいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい たああああああああああああああああああああああああああああああああああ http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/900
901: 幸ちゃん ◆CHXfX7dmeM [] 2015/11/15(日) 21:47:23.65 ID:yPU1Ec8h たとえば、異端者や無信仰者を殺すと、それがあの世で魂が救われるたいせつ な所業だということにでもなれば、ほとんどだれもかれもがそれを人生の一大事と心得て、往生ぎわ に、人殺しがうまくいったことを思い出して、そこに慰めと安心を見いだすということになろう。現に 昔はほとんどすべてのスペイン人が異教徒火刑を最も信仰のあつい、最も神意にかなった所業とみてい たし、インドでこれと好一対をなすのはサグという宗教の秘密結社だ。これは最近やっと大量処刑に よってイギリス人が弾圧したが、それというのも、この結社の仲間は、女神カーリーに対する彼らの信 心と尊崇をを示すために、機会さえあれば、友だちでも旅の道づれでも暗殺してその所持品を奪うという ありさまで、しかもなにか大いに賞賛すべきこと、自分たちの永遠の救いのたしになることをやった と、それこそ本気に盲信していたからだ。こういうふうに、若いときに焼きつけられた宗教上の教義は じつにすさまじい威力を発揮するもので、その力は良心を眠らせ、はてはあらゆる同情や人情の息の根 をとめることさえできるのだ。ところできみが、信仰を若い時代に植えつける行き方の結果を自分の目 でまぢかに見たければ、イギリス人を見ればいいのだ。世の中のあらゆる国民より自然に恵まれ、悟性や精 神や判断力はゆたかにそなえ、節操もかたいこの国民が、彼らの愚昧な教会的迷信のために、他のあら ゆる国民のはるか下位に蹴落とされ、いや、まさに天下の笑いものになっていることを見てほしいの だ。その教会的迷信は、彼らのほかのいろいろな能力のなかにあって、まさに一種の固定妄想、偏執狂 と思われるのだが、それはただただ教育が僧侶の手に握られているせいなのだ。僧侶たちはありとあら ゆる信仰箇条を、ごく若い時期に彼らの頭にたたきこむように心がける、それは一種の局部的な脳髄麻 痺を引き起こす。この脳髄麻痺は生涯、あの愚鈍な頑信となってあらわれる。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/901
902: 山師さん@トレード中 [] 2015/11/15(日) 21:47:28.48 ID:rXwB5LRQ 翔△ http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/902
903: 幸ちゃん ◆CHXfX7dmeM [] 2015/11/15(日) 21:47:35.36 ID:yPU1Ec8h 彼らのなかで、ほかの点 ではたいへん分別もあり才気も、ある連中でさえこの頑信のために退化し、われわれを途方に暮れさせ るというわけだ。こういう傑作にお目にかかれるというのも、要は心のやわらかい幼年期に信仰を植え つけるからだということを考えてみると、布教事業などというのも、現に成果をあげているのが、 ホッテントット族とかカフェル族、南洋諸島の住民とかその他、まだ幼年期の状態にある民族に限られ ているのもうなずけるが、しかしそれ以上に出ると、もはやたんに人間の厚かましさ・出しゃばり・無 恥の骨頂と思われるだけでなく、馬鹿げたことに見えてくるのだ。インドあたりでも、キリスト教の布 教者の講話となると、バラモンの僧侶たちはうなずくように愛想笑いをしたり、あるいは肩をすぼめて みせるだけで、概してこの民族のあいだでは、絶好の機会があったにもかかわらず、布教者たちの改宗 の試みはまったく失敗したのだ。『アジア雑誌』第二一巻におさめられている一八二六年の信ずべき報 告によると、布教者たちが多年にわたって活動したあえく、インド全土で(そのうちイギリスの領土だ けで、一八五二年四月の「タイムズ誌」によれば、人口は一億五千万だ)、現に生きている改宗者は三 百に満たないそうで、しかもその内情は、こういうキリスト教に改宗した者にかぎって品行がきわめて わるいということだ。つまり億をかぞえる住民のうちで、わずか三百の魂が売りに出され、買い取られた ということだろう。その後、インドのキリスト教の事情が好転したようすは、どこにも認められない。 もっとも布教者たちは、いまのところ宗教教育でなく、もっぱら世俗的なイギリス式教育をやる学校で、 協定に反して、彼らの精神を子供たちに及ぼそうとつとめており、いわばキリスト教の密輸をはかって いるが、これに対しては、インド人は非常な猜疑心をいだいて警戒している。なぜかというと、まえに も言ったとおり、信仰の種をまくには幼年期にかぎるので、おとなになってからでは手遅れであり、と りわけまえの信仰がすでに根をはっている場合はだめだからだ。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/903
904: 終了山師 ◆owatanayH8HB [原油安がテロを蔓延させる] 2015/11/15(日) 21:47:46.82 ID:H7uJEUlJ >>886 どういう弊害が出るかは、やってみなけりゃ分からないww http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/904
905: 幸ちゃん ◆CHXfX7dmeM [] 2015/11/15(日) 21:47:50.04 ID:yPU1Ec8h ところで、おとなになって改宗した連 中が新しい信念を得たと称するのは、普通は、なんらかの個人的利害の仮面にすぎないのだ。それ以外 の理由はほとんどありえないということが、だれにでも一見してわかるものだから、いい年をして宗旨 がえするような人は、どこでもみんなから馬鹿にされるのだが、しかしこのことで何か明るみに出て いるかといえば、たいがいの人が、宗教を理性的な信念の問題とは考えておらず、ただ若い時期に、な んの検討も加えないで植えつけられた信仰の問題だとみなしていることなんだ。だが、それも無理から ぬことは、盲目的に信仰している大衆のみならず、どの宗教の僧侶も、その身分上、宗教教典や論拠、 教義や論点まで研究しつくしているにもかかわらず、あげて自分の生まれた祖国の宗教を熱烈・忠実に 信奉しているという事実からも判明する。だから、ある宗教もしくは宗派の僧侶が他の宗教に移るなど ということは、世にもまれなことなのだ。たとえば、われわれは、カトリックの僧侶が彼らの教会のあ らゆる教条の真理性をかたく信じているのにお目にかかる。だがプロテスタントの僧侶も新教の真理性 にはゆるぎない確信をもっているんだ。そして双方、たがいに劣らぬ熱意で彼らの宗派の教条を弁護し ている。だがこの確信は、めいめいが生まれた国しだいにすぎない。つまり南ドイツの僧侶には、カト リックの教義の真理が完全にのみこめるし、北ドイツの僧侶には新教の教義がよくわかるというわけ であるに相違なく、植物と同じように、一方の信念はこの土地でだけ、他方の信念はあの土地でだけ栄 えるにきまっているわけだ。ところで民衆は、どこでも、こういう地方的信念居士の確信を、そのま ま、まともに頂戴するものなのだ。 デモフェーレス 同じキリスト教である以上、本質的に差があるわけでもないんだから、それはそれ でもかまわないんじゃないか。そのうえ、たとえば現に新教は北に適しているし、旧教は南にうってつけ だよ。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/905
906: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/15(日) 21:47:52.49 ID:cpkgg6pd 中田神がかっているなあw http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/906
907: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/15(日) 21:48:01.97 ID:znslsweq ('A`)スポンサーどこや http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/907
908: 幸ちゃん ◆CHXfX7dmeM [] 2015/11/15(日) 21:48:02.96 ID:yPU1Ec8h フィラレーテス そういうふうに見えるね。しかし、ぼくはもっと高い立場から、もっと重要な問題 に目をつけているんだ。すなわち人類における真理の認識の進歩ということだ。この進歩にとってじつ におそるべき事柄は、ある種の主張が、だれかれかまわず、その出生地がどこであろうと、すでにごく 若い時期に焼きつけられるということだ。しかも、疑えば永遠の救いもふいになる危険があるから、疑 うことは絶対まかりならぬなどと駄目押しまでついているんだから、これはまったくゆゆしい問題なん だ。つまり、ここで主張といったのは、われわれの他のあらゆる認識の基礎に関係しているような主 張、したがって認識の観点を永久に確定し、もしこの主張自体がまちがっている場合には、認識の観点 をも永久に狂わせてしまうような主張のことだ。さらにその結論はいたるところでわれわれの認識の全 体系に食いこんでくる関係上、人間の知識全体がこの主張のために徹頭徹尾まがいものになってしまう のだ。これはすべての文献の証明するところだ。とりわけ中世の文献が最も顕著な証明材料だが、十六 世紀および十七世紀の文献だってこれに劣らない。だって、これらのどの時代においても、一流の精神 人までが、例の誤った根本観念のために、まるで麻痺したようになっており、とりわけ自然の真の本質 や活動を見ぬくことになると、目隠し同然であることが見られるではないか。それというのも、キリス ト教が勢力をもった全期間をつうじて、有神論は、あらゆる精神的努力、とりわけ哲学のうえに、重苦 しい夢魔のようにのしかかり、あらゆる進歩を妨害し、あるいは萎縮させてきたからだ。神・悪魔・天 使・悪霊といったものが、あの時代の学者たちの目から、自然をすっかりおおい隠していた。どういう 研究もとことんまで押し進められることはなかったし、どういう問題もその根本まで掘りさげられるこ とはなく、明らかな因果関係をこえるものはすべて、神や悪魔といった例の人格をもちだしてきて、た だちに葬り去られてしまったのだ。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/908
909: 幸ちゃん ◆CHXfX7dmeM [] 2015/11/15(日) 21:48:16.58 ID:yPU1Ec8h そういう場合に、ポンポナッツィ(『魔法について』第七章)の言 うせりふは、この男の皮肉じゃないかと疑えないわけではない。なにぶんこの男の陰険ぶりは、この場 合にかぎらず、世間周知のことだからね。だがじつは、彼はこの言葉で、当時の一般的な考え方を言っ たまでなのだ。もし実際に、いろいろな鎖を断ち切る唯一の力である珍しい精神の弾力性でももってい た日には、その著作どころか、おそらく彼自身が、ブルーノやヴァニーニと同じように、火あぶりの刑 にあっただろうからね。―ところで、若い時代に例の形而上学的手ほどきを受けたりすると、凡庸な 頭がどれくらい麻痺するものか。これがいちばんはっきりわかり、しかも滑稽な側面から見られるの は、そういう頭脳の持ち主が自分とは無縁な、ほかの教義を批評しようとくわだてる場合なんだ。そう いう場合にふつう見られる図は、ほかの宗教の教義が自分の信じている宗教の教義と合わないというこ とを、やっきになって証明しようとかかることだ。すなわち、ほかの宗教の教義には、自分の信奉して いる宗教の教義に説かれていることと同じことが言われていないばかりか、その意味するところもたし かに違っているということを、苦労して証明するだけなんだ。まことに素朴きわまる話だが、これで本 人はほかの教義のまちがいを論証したつもりなのさ。どちらかが正しいのだろうか、といった疑問を提出 することなどまったく念頭になく、自分自身の信仰箇条はア・プリオリな原理として動かないわけだ。 『アジア雑誌』第二〇巻でモリソン師は、シナ人の宗教と哲学を批評した一文で、この種の愉快な実例 を提供してくれているが、―まったく楽しくなってくるよ。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/909
910: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/15(日) 21:48:17.17 ID:Mmsu1KAJ 中田大明神w http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/910
911: 終了山師 ◆owatanayH8HB [原油安がテロを蔓延させる] 2015/11/15(日) 21:48:22.45 ID:H7uJEUlJ 幸いちゃんも認知症だな 書き込んだことをすぐ忘れる http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/911
912: 幸ちゃん ◆CHXfX7dmeM [] 2015/11/15(日) 21:48:28.66 ID:yPU1Ec8h デモフェーレス じゃ、それがきみのいちだんと高い立場だというわけだね。。だが、もっと高い立場 があると、ぼくは断言する。「まず生活し、つぎに哲学する」という格言があるが、この言葉は、すぐ のみこめる意味よりも、もっと広い意味をもっているのだ。―とりわけ肝心なことは、大衆の粗暴で 低劣な気持ちを抑制して、彼らを極端な不正や残虐から遠ざけ、暴力ざたや醜行に近づけないようにし なければならない。大衆に真理がのみこめるまで待っていた日には、後手になることは必至だ。だっ て、真理がすでに発見されていると仮定したところで、それは大衆の理解力に余るだろうからね。大衆 に役立つのは、いつでも真理を比喩の衣にくるんだもの、つまり寓話とか神話だけだ。カントも言って いることだが、法と徳の公的な旗じるしがなくちゃいけない、いや、その旗をしょっちゅう空高くひる がえしておく必要があるんだ。その旗にどんな紋章が描かれていようと、意図するところをあらわして さえいれば、どんな紋章だってかまわないのだ。真理のこういう寓話は、時と場所のいかんを問わず、 大衆には、けっこう役立つ代用品の一種で、けっきょく彼らには永遠に近づけない真理そのものや、絶 対彼らにはわかりっこない哲学のかわりをつとめるものなんだ。といっても、哲学は毎日すがた形を変え ているし、どんなすがた形にせよ、まだ一般の承認を得るまでにはなっていないが、それはここでは別 問題としての話だ。そういうわけで、フィラレーテス君、実践的目的のほうがあらゆる点で理論的目的 より優先するわけだよ。 フィラレーテス むかし、ピュタゴラス学派のロクリスのティマイオスが、「ほんとうのことを言っ ても実効があがらない場合は、いつわりの話で人びとの心を御してゆく」と言っているが、きみの立場 というのも、ほぼそれに近いね。かんぐるわけじゃないが、きみは、近ごろの流行で、 でもね、きみ、ゆっくり落ち着いてなにかうまいものでも食べたいと 思うときが、またやってきますぜ ということをぼくに説きつけようというんじゃないかな。つまりきみの勧めることは、不平から乱暴を しでかす大衆にぼくたちの食卓を荒らされないように、いまのうちに気をくばっておけ、ということに 帰着するわけだろう。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447577953/912
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