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504: 幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB [age] 2015/11/16(月) 21:04:13.15 ID:T9M70So/ いつか将来、インドの宗教に精通した聖書研究家があらわれて、キリスト教がインドの諸宗教と親縁 関係にあることをその特色をつうじて証明してくれるだろうという期待をさえいだいているわたしだ が、さしあたって次のような点を注意しておこう。ヤコブの手紙(三の六)に見られる「生存の車輪」 (逐語的には「発生の輪」)という表現は、昔から「解釈者にとっての十字架」つまり難問のひとつだっ た。ところが仏教では輪廻の車輪はきわめてありふれた概念である。アベル・レミュザの『仏国記』訳 二八頁には、「車輪は輪廻の象徴である。輪廻には円と同じように始めも終わりもないからである」と 書かれており、一七九頁には「車輪は仏教徒にはなじみの象徴である。その意味するところは、魂がさ まざまな形をとる生存の円のなかで、次から次へと移ってゆくということである」と見える。二八二頁 には、仏陀自身が「真理を悟らぬ者は、車輪の回転によって、生と死におちいるであろう」と述べてい る。われわれはビュルヌフの『仏教史序論』第一巻四三四頁に、次のような重要な個所を見いだす。 「彼は輪廻の車輪がどういう点にあるかを悟った。この車輪は動くと同時に動かないものであり、それ には五つの目じるしがあるのである。彼は世人がこの世にはいって行くあらゆる道を破壊することによ り、この道に対して勝利をおさめたのであった」と。スペンス・ハーディの『東洋の修道生活』(ロン ドン、一八五〇年)六頁には次のように読まれる。「車輪の回転のように、そこには死と生誕の規則正 しい継起がある。その道徳的原因は物への執着であるが、それをひき起こす原因は業なのである」と。 同書一九三頁および二三三頁参照。また『プラボード・チャンドロー・ダヤ』(第四幕・第三場)には、 「無知は、この死すべき存在の車輪をまわしている情念の源泉である」と見える。継起する諸世界が不 断に生じては消えてゆくことについて、ビルマ原典によるビュナカンの仏教の説明(『アジア研究』第 肋間一八一頁)には、『世界の連続的破壊と再生は、大きな車輪に似ている。この車輪においては、わ れわれは始めも終わりも認めることはできない」と言われている。(これより長い文章ではあるが、同 じ個所はサンジェルマーノの『ビルマ帝国解説』ローマ、一八三三年、七頁にもる。) グラウル専門語辞典によると、Hansa とは Saniassi の同義語である。――Johannes (これからドイ ツ語では Hans がつくられる)という名前は Hansa という語(およびその砂漠における隠遁生活)と 奸計が或るのではあるまいか。―― 仏教が外面的に、たまたまキリスト教と類似しているひとつの点は、仏教がその発生地では優勢では ないことで、つまりどちらも「予言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言わざるをえないことだ。 キリスト教がインドのいろいろな教えと一致していることを説明するために、あらゆる推測をほしい ままにするなら、エジプトへの逃避という福音書の覚え書の根底にはなにか史実があって、イエスがイ ンド起源の宗教をもつエジプトの僧侶たちによって教育され、彼らからインド的倫理と降化の概念を受 けいれ、のちに故国に帰ってからこれをユダヤの教義に適合させ、古い幹に接木しようと努めたのだ、 と仮定できるかもしれない。イエスは、自分が道徳的にも知的にもすぐれているという気持ちに駆られ て、ついに自分自身を一個の降化者と見るようになり、したがって自分を「人の子」とよび、ただの人 間以上の存在であることを暗示しようとしたのではあるまいか。一般に物それ自体としての意志には全 能の力があり、それはわれわれも動物磁気やこれに類する魔術的作用などから知っているところだが、 イエスもその意志が強固で純粋であったために、この全能の力によって、いわゆる奇蹟を行なうこと、 つまり意志の形而上学的感化を使って働きかけることができたのだとさえ考えられるであろう。この場 合にもやはりエジプトの僧侶たちの教育が役に立ったのであろう。そしてこうした奇蹟のかずかずを、 のちに伝説が拡大・増大したわけであろう。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/504
505: 幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB [age] 2015/11/16(月) 21:04:37.23 ID:T9M70So/ というのは、本来の奇蹟というものは、どんな場合も、自然が自分自身にあたえる一種の否認であるは ずだからだ。ところで、パウロの主要な手紙はなんといってもほんとうのものであるにちがいないが、 そのパウロがしばらくまえに死んだばかりの人を、したがってその同時代者がたくさんまだ生きている という状況下で、どうして大まじめに受肉して人間となった神であり、世界創造者と同じものであると 説明できたかは、そういう前提のもとで、はじめていくらかのみこめるものになる。普通ならば、この 種の、またこの程度の、まじめに考えられた神化が徐々に熟してゆくには、何世紀もかかるはずだから だ。しかし他方ではパウロの手紙一般の真正さに対する反証を、ここから引き出してくることもできよう。 一般にわれわれの福音書の根底には、なんらかの原典、あるいはすくなくともイエス自身の時代と環 境に由来する断片ぐらいはあったと思われる。わたしがこういうことを推定するのは、世界の終末がお とずれて、主なる神が雲のなかに輝かしく再臨されるという、はなはだ不快な予言が行なわれており、 しかもそれは、この約束に立ち会った二、三の人びとがまだ生きているうちに実現するはずになってい た点からなのだ。ところがこの約束がいつまでたっても果たされなかったことは、じつに困った事情 で、後世になって物議をかもしただけでなく、すでにパウロやペテロも困りぬいていたのだ。このこと はライマールスのすぐれた著書『イエスとその使徒たちの目的について』第四二節から第四四節にかけ て詳論されているところである。さてもし福音書が約百年もたってから、当時存した記録もなしに著作 されたとしたら、それが実現しないことが不快にもすでに明白になっていたこの種の予言を福音書のな かにもちこまないような作者たちは気をつけただろうと推定されるのである。同様に、ライマールスが明 敏にも使徒たちの最初の体系と名づけているものにあたるあの個所を福音書に挿入することもなかった であろう。この体系に従えば、イエスは彼ら使徒たちにとって、ただ俗世における一介のユダヤ人解放 者にすぎなかったのだ。 こういう挿入がなされたというのも、福音書の起草者たちが、こうした個所をふくむ同時代のいろいろな 記録ををもとにして仕事をしたからだと思われるのだ。というのは、信者たちのあいだで口伝えにつたえら れていた伝説でさえも、信仰に不都合をきたすようなことは落としてしまったと想定されるからだ。ついで ながら、ライマールスが彼の仮設にとくに好都合な個所をいろいろ見落としているのは不可解だ。たとえば ヨハネ一一の四八(この個所を一の五〇、六の一五と比較すること)、マタイ二七の二八ー三〇、ルカ二三 の一ー四、三七、三八、ヨハネ一九ー二二である。しかし、この仮説を真剣に妥当・貫徹させようと思うな らば、次のような想定が必要となるだろう。すなわち、キリスト教の宗教的・道徳的内容は、ヒンドゥー教 や仏教の教義に精通したアレクサンドレイアのユダヤ人たちによってつくりあげられたのではないか、そこ へひとりの政治的英雄が悲しい運命を背負って現われたので、もともと後世のメシアであったものを天上的 な救世主につくりかえることによって、これらの教義の結び目にされたという想定である。もちろんこの想 定は矛盾する点が非常に多い。しかし福音書の物語を解明するためにシュトラウスが提示した神話の原理は、 すくなくともその細部に対しては、たしかに正しい。それにしても、この原理がどこまで及ぶかをきめるこ とは、むつかしいであろう。一般に神話的物語がどういう事情にあるかは、もう少し手近な疑義の少ない実 例について明らかにしなければならない。たとえば中世全般にわたって、フランスでもイギリスでも、アー サー王はきわめて事蹟の多い、驚くべき人物ではあるが、輪郭ははっきりしており、いつも同じ性格をもっ て、同一の従者を伴って登場する。王の円卓やそれを囲む騎士たち、王のかずかずの前代未聞の英雄的行為、 その風変わりな執事、その不貞な妃、妃の愛人ランスローなどといったお膳立てで、この王は何世紀もの詩 人たちや物語作者のおきまりの主題になっているが、これらの作者たちはすべて同じ性格をもったもろもろ の同一人物を登場させており、事件の点でもかなり一致しているのである。ただ服装や習慣の点では、作者 自身のそのつどの時代に応じて、相互にひどく違っているだけの話だ。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/505
506: 幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB [age] 2015/11/16(月) 21:04:59.78 ID:T9M70So/ ところで数年前、フランスの内閣は、アーサー王の伝説の起源をしらべるために、ド・ラ・ヴィルマルク氏 をイギリスへ派遣した。そのときの結果は、伝説の根底にある事実については、次のようなことであった。す なわち、六世紀の始め、ウェールズにアーサーという名の小領主がいて、侵入してきたサクソン人と根気よく 戦ったけれども、そのささいな事蹟は忘れられてしまった、というのである。してみると、この男が、どうし てだかわからないが、幾世紀もつうじて無数の歌謡・物語詩・物語のうちに讃えられてきたあの輝かしい人物 になったわけなのだ。ヴィルマルケ著『古代ブルターニュの民話。アーサー王の円卓にまつわる叙事詩の起源 についての試論付』(二巻、一八四二年)を見られたい。この『アーサー王伝』では、アーサーは霧のなかの 人物のようにぼんやりとした遠くはるかな存在としてあらわれているが、それでも現実的な核心がないわけで はない。――中世紀全体をつうじての英雄であるロランについても、事情はほとんど同じである。ロランも無 数の歌謡・叙事詩・物語で讃えられ、さらにロランの甲冑騎士柱像によって称揚され、ついにアリオストにま でもその素材を提供して、この作品から変容して復活するようになったのである。ところでロランについては、 歴史はたった一回、たまたま、しかも三語をもって言及しているにすぎない。すなわち、アインハルトが彼ロ ランをロンセスヴァリエスに滞在した名士のなかに「ブリテン王辺疆伯」(Britannici limitis praefectus) たるロードランドゥスとして数えあげているのだ。そしてこれがわれわれのロランについて知っているすべて であることは、ちょうどイエス・キリストについてほんとうにわれわれの知っていることが、タキトゥス (『年代記』第一五巻・第四四章)の一個所につきるのと同様なのだ。別の例を示すものに、世界的に有名な スペイン人シッドがある。 多くの伝説や年代記、とりわけあの有名なすばらしい『ロマンツェーロ』におさめられている民謡、はて はコルネイユの最上の悲劇までが彼を讃美しており、しかも主要事件については、とくに妻になったシメ ーネのことではだいたいにおいて一致している。ところがわずかな歴史的資料が彼について伝えているこ とは、彼はなるほど勇敢な騎士、すぐれた将軍ではあったが、非常に残酷・不実な性格の持ち主であり、 それどころか、ときによって仕える党派を変え、キリスト教徒に奉仕するよりもむしろサラセン人に味方 するほうが多かったような節操のない人物であり、それはまるで一介の傭兵隊長に類するが、シメーネの ひとりと結婚している、といったこと以上に出ないのである。こうしたことの詳細は、はじめて正しい 典拠に行きついたと思われるドージの『スペイン史研究』(一八四九年)第一巻から知ることができる。 ――イリアスの歴史的根拠ははたして何であろうか?――じっさい、こうした問題の実態につきあた るには、ニュートンのりんごの逸話を念願におくがよいのだ。この話に根拠がないことについては、わ たしはすでに第八六節で説明したとおりなのだが、それでも何千という本でくりかえされているところ で、現にオイラーさえも、『皇女あての書簡』の第一巻で、麗々しく述べたてているのだ。――およそ歴 史的事実はたいせつにすべきものである以上、残念ながら現状に見られるように、われわれは大嘘つき であってはなるまい。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/506
507: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/16(月) 21:05:01.49 ID:3Z8BTbwS イオン系のお見合い紹介所に登録して下さらないと運命の出逢いが実現しませんわ!! http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/507
508: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/16(月) 21:05:05.86 ID:xjjrpdBR 小学生を亜光速で投げて、数年後キャッチしたら、合法ロリが誕生するやん http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/508
509: 幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB [age] 2015/11/16(月) 21:05:33.13 ID:T9M70So/ 第一八〇節 宗派 原罪ならびにこれと結びつく点を教義にかかげているアウグスティヌス主義は、すでに述べたよう に、理解のゆきとどいた本来のキリスト教である。これに反してペラギウス主義は、キリスト教を粗 野・平板なユダヤ教とその楽天観に逆転させようとする努力である。 教会をたえず二分してきたアウグスティヌス主義とペラギウス主義の対立は、その究極の根源までお しつめれば、前者は事物の本質そのものを論じているのに対して、後者は自分では本質と思いながら現 象を問題にしているにすぎない、というふうに還元できよう。たとえばペラギウス派は、まだなんにも していない子供には罪がないにきまっているという理由から、原罪を否定する。――こういうことを言 いだすのは、なるほど子供は現象としては存在しはじめたばかりではあるけれども、物それ自体として はそうでないことを、彼らが見ぬいていないからなのだ。意志の自由についても、救世主の贖罪の死に ついても、恩寵についても、要するにすべての点について、同じことが言える。――それがわかりやす く平板であるために、ペラギウス主義はいつでも優勢であるが、現代ではとりわけ合理主義として幅を きかせている。ギリシア正教教会はペラギウス主義をやわらげたものである。トリエント公会議いらい カトリック教会もこれと同様で、そのためカトリック教会は、アウグスティヌス的立場に立つがゆえに 神秘的な思想をもったルターや、さらにまたカルヴァンに対抗しようとしたのだ。同様にイエズス派も 半ばペラギウス主義的である。これに反してヤンセン派はアウグスティヌス主義を奉じており、彼らの 見解がおそらくキリスト教の最も純正な形であろう。というのは新教は、独身や一般に本来の禁欲を否 定し、禁欲の代表者である聖者を否認したことによって、すりきれた、あるいはむしろ画龍点晴を欠い た腰くだけのキリスト教になってしまったからだ。こうなってはどうにもならない。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/509
510: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/16(月) 21:05:52.68 ID:XLmBpGn3 JEJU(済州)島ルーツ・アベリカ傀儡犬 パリ自作自演偽旗テロを理由に、 次々、悪法を繰り出して来ますね〜 日本・九州の人工災害テロは失敗 パリと日本が同時に選ばれた理由 表エルサレム+裏エルサレムは、 ユダヤ教第三神殿建設+平城京遷都 パリは、テンプル騎士団が13日の金曜日に、取り押さえられ、殺害された場所だったのです。そして、700年後の、2015年11月13日に、パリで、偽旗テロ事件が発生しました。 つまり13日の金曜日とは、パリのテンプル騎士団という意味があります。 http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51973876.html 聖地エルサレムを、奪還するという、 大義名分で、実際は略奪集団であり、 虐殺レイプ集団であり、十字軍の中心であり、一方で現在の金融システムの基礎となった、テンプル騎士団。 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=288622 フランスのテンプル騎士団の、財産を受け継いだ、現在のマルタ騎士団の本部は、バチカンに在ります。 テンプル騎士団→マルタ騎士団→イエズス会・バチカン http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=288624 マフィア一族 エルサレム王 http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-205.html http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/510
511: 幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB [age] 2015/11/16(月) 21:05:59.52 ID:T9M70So/ 第一八一章 合理主義 キリスト教の真髄は、アダムとイヴの堕落・原罪の教えである。すなわち、われわれの自然の状態は 度しがたく、自然的人間は堕落しているという教えであり、これに救世主による代理と贖罪が結びつ き、われわれはこの救世主に対する信仰によって贖罪にあずかるというのである。このためキリスト教 は厭世観とみられるのであって、したがってユダヤ教の楽天観や、またユダヤ教の正統の子供である回 教の楽天観にはまさに対立するが、バラモン教や仏教とは類似するものとなるのである。――すべての 人はアダムにおいて罪を犯し、永劫に罰せられているが、救世主において救われるということには、人 間の本来の本質と真の根源が個人にあるのではなくて、人間の(プラントン的な)イデアである種にあ るということ、個人は時間のうちにくりひろげられるイデアの現象にすぎないということも、表現され ているのである。 もろもろの宗教の根本的差異は、それが楽天観であるか厭世観であるかという点にあるのであって、 一神論であるか多神論であるか、三神一体であるか三位一体であるか、汎神論であるか、それとも(仏 教のように)無神論であるかといった点にあるのではない。だからこそ、旧約聖書と新約聖書はたがい に正反対なのであって、これを結びあわせると一個奇怪な半人半馬ができあがるのだ。つまり旧約聖書 は楽天観、新約聖書は厭世観だからだ。旧約聖書はたしかにオルムズド教に由来するが、新約聖書はそ の内面的精神からいえば、バラモン教や仏教に親縁で、たぶん歴史的にもなんとかこれらの宗教から導 きだすことができよう。音楽にたとえれば旧約は長調、新約は短調だ。ただ人類堕落論だけは旧約聖書 のなかでひとつの例外をなしており、キリスト教が唯一の接点としてふたたびとりあげるまでは、利用 されないままに一種の前菜にとどまったのである。 右に述べたキリスト教の根本性格は、アウグスティヌス、ルター、メランヒトンがきわめて正しく把 握しており、これを最大限に体系化しているのであるが、われわれの現代の合理主義者たちは、ペラギ ウス派の亜流として、この根本性格をできるだけ抹消し、あらぬ解釈をほどこして、キリスト教を味気 ない、利己主義的・楽天観的なユダヤ教に還元しようとしている。そこへ彼らはよりよき道徳をつけ加 え、論理的に徹底した楽天観が要求するものとして来世を説くのだ。つまりこのすばらしい人生があま りに早く終わらないようにというわけだ。つまり彼らの楽天観的見解を大声で打ち消すやつ、しかし結 局は石の客として陽気なドン・ファンをおとずれるあの死神を片づけたいわけなのだ。―― こうした合理主義者たちは誠実な人種ではあるが、平板な頭しかもっていない連中だ。彼らには新約 聖書の神話の深い意味など、見当もつかない。彼らは自分たちの把握できる、また彼らにふさわしいユ ダヤ的楽天観を超えられないのである。その欲するところは、歴史的な面でも、教義的な面でも、むきだ しの無味乾燥な真実で、われわれは彼らを古代のエウヘメロス主義に比較することができる。もちろん 超自然主義者の唱えるところは、本質的には一個の神話である。しかしこれは重要で深遠な真理をはこ ぶ車なのであって、真理を大衆の理解に近づけるには、他の方法では不可能であろう。ところでこれら 合理主義者たちが、キリスト教の意味と精神を認識するどころか、その見当もついていないことは、た とえば彼らの偉大な使徒ヴェークシャイダーがその素朴な教義論で示しているところだ。すなわち彼は その『教義論』(第一一五節および注)で、原罪ならびに自然的人間の本質的堕落についてのアウグス ティヌスや宗教改革者たちの深い発言に対して、『義務について』の諸巻に見られるキケロの気のぬけ たおしゃべりを対置してはばからないのである。彼にはこのおしゃべりのほうがずっと気にいるから だ。われわれはじっさい、この男がなんのこだわりもなく自分の無味乾燥ぶりと平板さをさらけだし、 それどころかキリスト教の精神に対する理解が皆無であることを見せびらかすのを見て驚かざるをえな い。しかし彼はたんに「多くのなかのひとり」にすぎない。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/511
512: (へーへ; ◆wmVcretqzE [sage] 2015/11/16(月) 21:06:02.56 ID:J5FZZfLW >>502 探したのだけど、それに関しては全く報道がなかった 南朝鮮での報道はしらんけど。ハングル読めないんで http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/512
513: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/16(月) 21:06:14.76 ID:pvGlXIaZ >>497 その まちまち加減は 軍人の数が多すぎる国とそうでない国の違いと相関するのかしら 位が足りなくなるっていうか http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/513
514: 幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB [age] 2015/11/16(月) 21:06:22.92 ID:T9M70So/ 現にブレトシュナイダーは、原罪と救済がキリスト教の精髄であるのに、原罪を聖書からしめだすよう な解釈をほどこしているではないか。―― 他方、超自然主義者はときとして、もっと始末のわるい存在、すなわち言葉の最もわるい意味での坊 主であることは否定できないことだ。そこでキリスト教はまるでスキュラとカリュブディスのあいだを どうしたらきりぬけるかという羽目になるのだ。両派の共通の誤謬は、ともに宗教のなかに、ヴェール をかぶらない。無味乾燥な、文字どおりの真理を求めていることだ。しかし真理は哲学においてのみ追 究されるもので、宗教の有する真理は、民衆に適合した、間接的・象徴的・比喩的真理にすぎない。キ リスト教は、ある真実な思想を模写しているひとつの比喩である。しかし比喩そのものは真理ではな い。にもかかわらずそれを仮定することが、超自然主義者と合理主義者に共通する誤謬なのだ。超自然 主義者は比喩をそれ自身真実であると主張する。合理主義者はひねくった解釈をこねまわしたすえ、彼 らの尺度なりに比喩がそれ自体として真実たりうるようにしようとする。こうしておいてから両派はた がいに適切・強力な論拠をひっさげて論争する。合理主義者は超自然主義者にむかって、「きみたちの 教説は真実じゃない」と言い、これに対して超自然主義者は、「きみたちの教説はキリスト教じゃない よ」と合理主義者にやりかえすのだ。両者ともその言いぶんにまちがいはない。合理主義者は理性を尺 度としていると信じているが、じつは有神論と楽天観の前提にとらわれた理性を尺度としているにすぎ ない。それはちょうどあらゆる合理主義の原型であるルソーの『サヴォワ副牧師の信仰告白』のような ものだ。それゆえ合理主義者がキリスト教の教義のなかで残しておこうとするのは、彼らが本来的意味 で真とみなすもの、すなわち有神論と霊魂の不滅以外にはない。もし彼らがこの場合、無知の厚かまし さで純粋理性に訴えるならば、われわれは彼らに純粋理性批判をお見舞いしなければならない。 それは彼らに否も応もなく次のことをわからせるためだ。すなわち、彼らが理性にかなったものとして選 びだして保持している教義は、内在的原理を超越の世界に適用しているにすぎないということ、したがっ て彼らのその教義は、カントが『純粋理性批判』の各ページで叩き、まったく無価値なものと立証してい る、あの無批判的な、支持できない哲学的独断論にすぎないということである。こういう不合理を犯し ている以上、合理主義者という彼らの名前からして、じつは彼らが合理主義に敵対するものであること を示しているのだ。したがって、超自然主義にはそれなりの比喩的真理があるけれども、合理主義には どのような真理も認めることはできない。合理主義者の言いぶんはまったく筋が通っていないのだ。合 理主義者を志す者は、哲学者にならなければならない。哲学者である以上は、あらゆる権威から解放さ れなければならず、なにものにもひるむことなく前進しなければならない。しかし神学者を志す者は、 その一筋を通すべきで、権威の基礎を見捨ててはならない。たとえ権威が不可解なことを信じよと命令 する場合でも、うしろを見せてはならないのだ。ひとは二君に仕えることはできぬ。理性に仕えるか、 聖書に仕えるか、あれかこれかである。この場合、中庸とは二つの椅子のあいだにすわること、不可能 事を意味する。信仰するか、哲学するか! どちらでも選んだほうに徹底すべきだ。ところが、ある点 までは信仰してそれ以上に進まず、同じように、ある点までは哲学してそれ以上に進まぬということ、 ――これこそ合理主義の根本性格をなす中途半端というものだ。ところで合理主義者は、彼らがまった く誠実に仕事にあたり、だますといっても自分自身に限られている点では、道徳的に是認できるけれど も、超自然主義者のほうは、単なる比喩にすぎないものを本来的意味の真理だと言いはることによっ て、たいがい故意に他人をだまそうとするのである。とはいえ、超自然主義者の努力によって、比喩の なかにふくまれている真理は救われるのだ。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/514
515: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/16(月) 21:06:28.55 ID:XLmBpGn3 Jew度の戦争紛争革命欠乏症候群発症中、王侯貴族火事場泥棒財閥傀儡犬が、 エルサレム第三神殿建設に向けた、秘密マフィア怪談を、イタリア近海マルタで? http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000062338.html 裏エルサレム・平城京遷都で、 日本人奴隷化計画。表エルサレム ユダヤ教第三神殿建設の為に、 モリヤ山にある、イスラム教聖地を、 奪還する戦争に巻き込む為の徴兵制。 移民受入れ+NWO独裁支配拠点化 参照動画:第3神殿予告編日本版 https://www.youtube.com/watch?v=31ZEKpRvasE http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/515
516: 幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB [age] 2015/11/16(月) 21:06:55.05 ID:T9M70So/ ところが合理主義者は、その北方的冷静さと平板さから、比喩に含まれた真理を投げだすと同時に、 キリスト教の全真髄をも惜しげもなく捨ててしまい、それどころか、八十年まえにヴォルテールが一 気に行きついたところへ、一歩一歩と進みながらも結局は行ってしまうのである。彼らが神の特性 (通性原理)を定めるにあたっては、いわゆる「神」という単なる言葉・標語ではとうていまにあわ ないのだが、それが人間でもなく自然力でもないという、ちょうどその中間を射当てようと慎重にね らっている彼らの様子を見るのは、ときとして愉快な見ものだ。だが、そういうことはもちろん困難 なことである。ところで合理主義者と超自然主義者がそうして戦っているうちに、ちょうどカドモス がまいた龍の歯のたねから生まれた甲冑の勇士たちのように、両派ともたがいに疲れはててしまう。 そのうえ、ある側面から活動を開始する似非信心が、この事態にとどめを刺す。イタリアの諸都市の 謝肉祭で、冷静に、まじめにそれぞれの仕事にはげんでいる人々のあいだを気ちがいじみた仮面が走 りまわっているのが見られるように、今日のドイツでは、哲学者・自然科学者・歴史家・批評家・合 理主義者のあいだを、もう何世紀もまえの衣裳を身につけた似非信心の徒が騒ぎまわっているのが見 うけられる。その効果は、とくに彼らが熱弁をふるうときには滑稽だ。 信仰は愛情のようなものだ。強制できないのであるだから、国家的手段で信仰を採用したり固定し たりしようとするのは、不都合な試みである。というのは、愛情を強いようとする試みが憎しみを生む ように、信仰を強いようとする試みこそ、かえってほんとうの不信仰を生みだすからだ。信仰をおし進 めるには、あらかじめ周到な用意をととのえて、間接的にやらねばだめだ。つまり信仰が伸びるような いい土壌をととのえる必要があるのだ。この土壌がすなわち無知なのである。だからイギリスでは昔か ら現代にいたるまで無知に気をくばって育ててきたので、国民の三分の二は文盲というありさまだ。 だから今日でもイギリスでは、ほかの国でさがしても見つからぬような盲信がのさばっている。しかし 政府はいまや国民教育を僧侶の手から取りあげつつあるから、やがて信仰も下り坂になるだろう。―― そういうわけで全体としてはキリスト教は、たえず科学によって足もとをくずされながら、しだいにそ の終末にむかって進んでゆくのだ。それにしても、原典をもたぬ宗教だけが滅びるという考察からキ リスト教にも脈はあると見ていいかもしれない。ギリシア人やローマ人、これら世界を支配した民族の 宗教は滅びた。これに反して軽蔑されたユダヤ民族の宗教は残った。同様にゼンド民族の宗教も拝火教 徒のあいだで維持された。だが、ガリア人、スカンジナヴィア人、ゲルマン人の宗教は滅亡した。しか しバラモン教や仏教は存続して栄えている。この二つの宗教は、あらゆる宗教の中で最古のものであ り、詳細な原典をもっているのである。 ※宗教にうしろめたいところがあるにちがいないことは、宗教を馬鹿にすることがじつに重い刑罰で 禁止されていることからも推しはかられる。ヨーロッパの諸政府は国教を攻撃することを禁じている。 ところがこの政府自体は宣教師をバラモン教や仏教の諸国に派遣しており、彼ら宣教師はその国々の宗教 をさかんに徹底的に攻撃している、――彼らの輸入した宗教が割りこめるようにと。それでいて、ひとた びシナの皇帝やトンキンの大官がこういう人たちの首をはねたりすると、政府筋は悲鳴をあげるのだ。―― http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/516
517: 幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB [age] 2015/11/16(月) 21:07:13.75 ID:T9M70So/ 第一二八節 一つの個別的出来事を基礎とする宗教、しかも、これこれの場所、これこれの時に起こった事件を世 界ならびに生存の転回点にしようとする宗教は、基礎そのものが薄弱だから、人びとがいくらか反省す るようになると、たちまち存立することができなくなる。これにひきくらべ仏教で何千という仏陀を想 定しているのは、まことに賢明ではないか! これはキリスト教の二の舞を演じないためだ。キリスト 教では、イエス・キリストがこの世を救済したことになっていて、キリスト以外に救いはありえない、 ――だが、エジプト、アジア、ヨーロッパにその堂々たる記念碑を残している四千年の歳月は、キリス トのことなんか知るはずもなく、このキリスト以前の諸時代が、あらゆるその壮麗さとともに、とつぜ ん悪魔にくわれてしまったとは! たくさんの仏陀が必要なわけは、ひとつひとつのカルパを終わるご とに世界は滅び、そしてこの世界とともに教えも滅びるので、新しい世界ごとに新しい仏陀が求められ るからなのだ。救いはつねにあるわけなのだ。―― 文明がキリスト教的諸国民において最も高いということは、キリスト教が文明に幸いするせいではな くて、キリスト教が死滅していて、ほとんど影響力をもっていないためなのだ。キリスト教が影響力を もっていたあいだは、文明はおくれていた。すなわち中世がそうだ。これに反し、回教、バラモン教お よび仏教は、いまでも人生に対して徹底的影響力をもっている。影響力がいちばん少ないのはシナで、 だから文明もその高さにおいてヨーロッパにほとんど比肩する。すべての宗教は文化と敵対関係にある。―― 宗教は昔は軍隊でもその背後に駐留して隠れることのできた森であった。現代で同じことをやろう としても、うまくいかない。というのは、さんざん伐採したから、この森も藪になってしまって、たま にぺてん師が身をひそめるくらいになってしまったからだ。だからわれわれはなんにでも宗教を引き入 れようとする連中を警戒しなければならない。そしてこういう連中には、さきに引用した格言「十字架 のうしろには悪魔がいる」で対抗すべきだ。 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/517
518: 山師さん@トレード中 [] 2015/11/16(月) 21:07:47.22 ID:pDSD54kq 幸ちゃん絶好調 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/518
519: じぇじぇ [] 2015/11/16(月) 21:07:48.61 ID:BAnnKGhE また基地外のスイッチ入れたんかよ、、 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/519
520: モフモフ山師さんS1 ◆Louise3eGs [sage (Xperia Z1 compact)] 2015/11/16(月) 21:07:52.04 ID:IJ+cmF6l >>445 なんでやねん >>467 背が低ければ見ちゃうよぬ http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/520
521: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/16(月) 21:07:53.18 ID:mrAstcb0 http://blog-imgs-68.fc2.com/w/o/r/workingnews/o1zigvf.jpg http://blog-imgs-68.fc2.com/w/o/r/workingnews/eNxKi6Bs.jpg http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/521
522: 山師さん@トレード中 [sage] 2015/11/16(月) 21:08:03.70 ID:xjjrpdBR 大将軍 驃騎将軍 車騎将軍 衛将軍 http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/522
523: ミリンダ=ブランティーニ中尉 [sage] 2015/11/16(月) 21:08:05.16 ID:nsC54fB9 下らん試合見てて時間を無駄にし輝樹がしてきた http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1447649673/523
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