[過去ログ] 報道特集★4 (657レス)
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621: 2021/04/24(土)19:27 ID:wo9V5fjM(7/30) AAS
>>507
うらやましい? 驚き? 意外すぎる江戸時代のマナー「通り名」「銭湯の混浴」
外部リンク:woman.mynavi.jp
622: [age] 2021/04/24(土)19:33 ID:29rz4hK8(1) AAS
金平茂紀はいつまで報道特集のキャスターの座に居座って番組私物化しようとさるのか? まさかこんな歳になるまでやる気?
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
623: 2021/04/24(土)20:07 ID:wo9V5fjM(8/30) AAS
江戸時代では庶民も武士も、本名以外に多くの通り名をもっていました。時代劇などに出てくる、武士が呼び合っている名前は基本的に諱(いみな)で、普段はクチにすることを家族でも遠慮しました。武家など支配階級の人々には基本的に公式文書のサインなどにしか使わない諱(いみな)という名前があったんですね。いわば実印に相当するような名前があったのです。
また、庶民でも各人がその時どきの己のステイタスや、希望に応じて、インターネット社会のハンドルネームに相当するような「通り名」を(自分で勝手に決めて)いくつかもち、TPOで名乗り分けていたのです。
人情に厚い暮らしを営む中には「見て見ぬフリ」をときにはする、ということも入っていました。さらに江戸市中は土地の狭さの問題で(とくに下町の)銭湯は混浴なので、他人のヌードに対しても「見て見ぬフリ」が大事でした。銭湯といえば庶民の交流スペースというイメージがありますが、防火目的から武士の屋敷にも風呂がない場合も多く、身分を超えて人々が出入りしました。
624: 2021/04/24(土)20:07 ID:wo9V5fjM(9/30) AAS
このため、武士といえども威張ってはいられず、大勢の人でごった返す時間帯の銭湯ではしきりに「声がけ」が行われました。「冷えものでござい〜(浴槽に浸かる前の身体です。ぶつかったらごめんなさい!)」という、決まり文句などがそれ。
幕末以降に日本に来た外国人は、これらの習慣に心底たまげたようです。たとえば黒船とともに横浜近辺の下田に来港したことで有名な、アメリカのペリー総督。彼は下田の銭湯が男女混浴であり、なおかつ若い女性も平気で裸になることを知って、驚愕しています。『ペリー総督日本遠征記』に掲載された、男女が混浴しているさし絵は「日本人はいやらしい!」との誤解を、当時の欧米人に植えつけてしまったそうです(苦笑)。それも裸や裸の見せ方に対するマナーの違いに過ぎなかったのですが。
625: 2021/04/24(土)20:09 ID:wo9V5fjM(10/30) AAS
ちなみに、肌を見せることに対して、江戸時代の日本人全体がおおらかだったのだ……と考えるのは間違いでして、こんなエピソードも存在しています。
17世紀中盤のお話ですが、三代将軍・家光が亡くなった際、彼と衆道の関係だった(つまり今でいえば、同性婚のパートナーのような存在だった)堀田正盛という武士が、殉死をしているんですね。その時、堀田は「家光様に寵愛された私の肌を、アカの他人に見せたくない」といって、着衣のまま、みごとに腹をかっさばいて果てた……という色んな意味ですごい話が、武士道のバイブル『葉隠』の中には出てきます。もちろん『葉隠』では、それを褒め称えているわけですが、男性であっても肌をみだりに見せないことが、亡き愛するパートナーにして主君への義理立てであり、マナーでもあったんですね。
なんだか裸の話ばかりになってしまいましたが、マナーとモラルは密接な関係があるものです。そしてモラルとは、時代によって恐ろしいほど変化してしまうものなんですねぇ。
ゆるいんだか、ストイックなのか、現代人にはよくわからない。だけどおもしろい、お江戸のマナーのお話でした。
626: 2021/04/24(土)20:11 ID:wo9V5fjM(11/30) AAS
江戸時代は男尊女卑だったと思っていませんか?
とんでもない誤解です。むしろ、江戸期の方が男女平等意識が強かった。
日本人は、もともとおおらかな性や柔軟な結婚観を持ち、多様な価値観を受容する民族でした。日本だけ一神教ではなく、八百万の神による宗教が生まれているのも、まさに多様性を認められるからです。特に江戸期の日本の庶民は、自由で自立していた人たちだったわけです。
外部リンク:note.com
627: 2021/04/24(土)20:35 ID:wo9V5fjM(12/30) AAS
【遊女】共働きは当たり前!江戸時代の女性の職業はバラエティ豊か【三味線の先生】
外部リンク:edo-g.com
628: 2021/04/24(土)20:38 ID:wo9V5fjM(13/30) AAS
「昔の女性」というとなんとなく専業主婦が多かったというイメージが持たれがち。ところが江戸時代には「専業主婦」という概念すらなかったともいわれており、女性たちもバリバリ働いていました。今回は江戸時代の女性の職業に注目!
川辺で働く女性たち。江戸時代、女性も大事な労働力でした(『花容女職人鑑』より)
都市部でも農村でもバリバリ働いていた女性たち
629: 2021/04/24(土)20:40 ID:wo9V5fjM(14/30) AAS
昨今、「女性の社会進出」という言葉が声高に叫ばれるようになってきました。逆にいえばそれまでは「女性は結婚したら家庭に入る」という考えが根強くありました。しかし「専業主婦」という考えが生まれたのはごく近年のことだそう。江戸時代というとどうも男尊女卑、封建社会というイメージが強く、女性が活躍する場などなかったと思われがち。
ところが、人口比率的にも“男社会”だった大都市・江戸であっても、地方の農村や漁村であっても女性は男性に負けず劣らずバリバリに働いていました。
女性の仕事をテーマにした双六。ふりだしは「おどり子娘」で、「手習師匠」「飯盛女」などを通過しながら目指すゴールは「極楽隠居」(『新板娘庭訓出世双六』)
では、江戸時代の女性たちはどんな仕事をしていたのかジャンル別にご紹介していきます。
630: 2021/04/24(土)20:47 ID:wo9V5fjM(15/30) AAS
ほぼ全家庭が共働き・子どもの有無が問われない時代があった?!江戸時代から見る、令和の女性の働き方
外部リンク:part.shufu-job.jp
631: 2021/04/24(土)20:49 ID:wo9V5fjM(16/30) AAS
意外に高かった女性の地位
武家・商家にかかわらず、妻が結婚時に持ち込んだ持参金はずっと妻のもので、夫が勝手に使うことは許されませんでした。
もし使ったとしても、離縁になったら全額返さなければなりません。
現在の法律でも、妻が持ち込んだ財産を離婚時に明確に保持するのは難しいときがあります。
しかし当時は、どの身分にあっても、女性の持参金は女性のものでした。
632: 2021/04/24(土)20:50 ID:wo9V5fjM(17/30) AAS
庶民は性的にも解放されていた
庶民にとって、結婚はしてもしなくてもいいものでした。
当時はキリスト教を主体とした西欧文化の影響が薄かったので、女性の処女性はあまり価値を重視されず、従って性的にも自由。
農村部では夜這いとして自由な性交渉が一般的だったのもその現れのひとつです。
全員が働き、自分の食べるもの、着るものをまかなっていたので結婚しないと生活ができない、ということもありません。
633: 2021/04/24(土)20:50 ID:wo9V5fjM(18/30) AAS
離婚時に夫から妻に与える三行半(みくだりはん。離縁状・離婚届のこと)は『再婚許可証』でもありました。
これが法制化された理由は、離婚後の女性の多くが、再婚を含め、自由な男女関係を結んでいたからだと考えられます。
恋愛は自由
恋愛は自由でした。それは例え武家のように結婚が必須であっても、男性は婚外で恋愛ができました。
またその相手は、異性でも同性でも構いません日本には同性愛をタブー視する習慣はなく、それが起こったのは西洋文化が浸透する明治期以降です。
634: 2021/04/24(土)20:51 ID:wo9V5fjM(19/30) AAS
もうひとつ興味深いのは、遊女との結婚について。
身請け、もしくは年季明けの遊女を妻にする例は少なくなかったと言います。
それなりの遊女には高い教養があり、妻としての資質があると見なされていましたので、結婚後に差別を受けることもなかったようです。
こうした女性は職業柄子どもに恵まれないと言われていましたので、これは当時、子を産むことが妻の必須条件ではなかったことの例でもあります。
635: 2021/04/24(土)20:52 ID:wo9V5fjM(20/30) AAS
現代との共通点、そしてヒント
当時の庶民は、男女共にほとんどが非正規雇用か、自営でした。
つまり男女の別による職業的待遇の違いというものは、現在より小さかったと推察できます。
一方、女中などの女性の仕事は、中間(武家に仕え、警固、供回りなどをする)などの男性の仕事と比べ、給金が良かったという記録があります。
当時も、社会は女性の労働力を必要としていました。
636: 2021/04/24(土)20:53 ID:wo9V5fjM(21/30) AAS
また、経済的にも男性から自立し得た当時の女性は、その気になれば、一人で生きていく事もできました。
現在では女性が働くためのネックになっている子育ても、家族や近隣のつながりの強い当時では、祖父母や、近隣の住人、さらには大きい子どもが小さい子供の面倒をみるなど、様々な手代わりがありました。
こうしてみると、豊かになった現在の方がとても窮屈に思えます。
637: 2021/04/24(土)20:54 ID:wo9V5fjM(22/30) AAS
現代は、子どものいない女性、子育てを人に託さなければならない女性が、圧力を感じる社会になっていないでしょうか。
でもこの考えは、決して日本古来のものではありません。むしろ日本は古来、女性が自分の器量で生きて行けた社会だったよう。
女性にとっての自由や平等は、西欧から来ると思っている人が多いとしたら、それは間違っているかもしれません。明治以降、西欧文化が入ってきてから作られた考えです。
638: 2021/04/24(土)20:59 ID:wo9V5fjM(23/30) AAS
また江戸時代の離婚といえば「女性がお寺に駆け込む…」なんて場面を想像しがちですが、実際はもっと現代的な制度がありました。仲介人が夫婦の間に入り、協議したうえで離婚することが多く、女性から男性に離婚を申し込むこともあったんだそうです。
外部リンク:intojapanwaraku.com
639: 2021/04/24(土)21:01 ID:wo9V5fjM(24/30) AAS
戦国時代もカカア天下
外部リンク:dokusoumura.jp
画像リンク[jpg]:cdn-ak.f.st-hatena.com
640: 2021/04/24(土)21:03 ID:wo9V5fjM(25/30) AAS
ところがです。カカア天下は江戸時代からじゃなかったんです。
すこし古い本ですが、2003年NHK人間講座テキスト『「男らしさ」という神話』 (大阪大学大学院教授(当時)伊藤公雄著)に引用されていたフロイスの書いたものを知って、新たな知識を得ました。
参勤交代もまだない戦国時代、織田信長の厚遇を受けたポルトガル人宣教師フロイスはこのようなことを書いていたのです。
日本では妻が前で夫が後ろを歩く
フロイスは文化の違いを語るなかで男女関係についてもかなり触れている。しかも、ヨーロッパと日本の男女関係を比較してみると、明らかに日本の女性のほうがヨーロッパと比べれば発言権も強いし、社会参加の度合いも高いということが、はっきりと書かれているのである。たとえば、夫婦で町を歩くときに、ヨーロッパでは夫が前で妻が後ろに付き従うというパターンが非常に多い。しかし、日本に来て驚いたことに、日本では妻が前で夫が後ろを歩くという(いわば「レディファースト型」といってもいいだろう)文化になっている。
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