○四国地方の地名しりとりPART1○ (959レス)
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616: お遍路さん 2019/01/25(金)14:14 ID:Gjoha+7A(1) HOST:p784b53c4.ehimnt01.ap.so-net.ne.jp AAS
菊間町(きくま-ちょう)
松山市と今治市の中間、今治市の最西端に位置。
松山藩に属す。宿場町として発展。
17世紀半ばには既に浜村に商工業が盛んに営まれていた。
1777年浜村の製瓦業者により株仲間が結成された。
当地の製瓦は、河野氏の統治した時代から営まれていたものとみられるが、松山藩の保護を得て盛んになった。
1863年松山藩は幕府に命ぜられ諸外国に備え沿岸防衛のため砲台の設置を命ぜられ、当村を含む村から村人が徴用され10月着工。
長州征討に際して舟と郷人が徴用された。
菊万荘(きくま-の-しょう)
伊予国野間郡にあった京都上賀茂社(賀茂別雷神社)領の荘園。
現在の愛媛県菊間町(現・今治市)内に比定される。
1090年に堀河天皇が賀茂上下社へそれぞれ不輸租田600余町を寄進し供料田としており、このとき菊万荘が上賀茂社領となったとみられる。
1184年の源頼朝下文に荘名がみえる。
1226年当荘は後嵯峨上皇から別納地として賀茂社神主氏久にあてがわれ、1310年以後、預所職は賀茂社神主家が代々相伝知行した。
鎌倉末期頃の当荘の耕地面積は130町。
1440年当荘の所務職は河野氏の一族得居氏が請け負っており、以後当荘は得居氏の請所となった。
1585年伊予国は小早川隆景の支配下に置かれ、上賀茂社領菊万荘は消滅したと思われるが、天正14年(1586年)10月正親町天皇は隆景に段銭を従来どおり社納するよう命じており、12月隆景は競馬料送進を約している。
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