[過去ログ] 雑談 襟裳岬 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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609: 2017/06/20(火)22:18 AAS
「安楽死」(文字どおり「安らかな死」)という言葉は通常、そうしなければ苦しむことになる慢性的なまたは末期症状の疾患を持つ個人に、苦痛のない死へ誘導することを意味します。
しかし、ナチスにとって「安楽死」とは、ドイツおよびドイツに併合された領土内の療養施設に収容されている心身障害患者の組織的な殺害を目的とした秘密の殺人プログラムを意味する婉曲的な言葉でした。

この「安楽死」プログラムは、ホロコーストと呼ばれるヨーロッパのユダヤ人の大虐殺よりも約2年前に遡る国家社会主義ドイツ最初の大量殺戮プログラムでした。
その取り組みは、ドイツ国家の人種的な「完全性」を取り戻すための数多くの過激な優生政策の一つでした。
それは優生学者とその支持者が「生きるに値しない命」と考えた、 重度の精神、神経、または身体の障害を持つために、ドイツの社会と国家に即時に遺伝子的かつ経済的に負担となる個人を排除する試みでした。

子供の「安楽死」プログラム
1939年の春と夏、ヒトラーの官邸長官であったフィリップ・ボウラーと、ヒトラーの主治医カール・ブラントが率いる多くの立案者が、障害を持つ子供を対象とする秘密の虐殺作戦の準備を開始しました。
1939年8月18日、第三帝国内務省は、すべての医師、看護婦、助産婦に対し、重度の精神的または身体的障害の兆候がある新生児および3歳未満の子供の報告を強制する布告を出しました。
1939年10月からは、公衆衛生当局は障害を持つ子供たちの保護者に対し、ドイツとオーストリア国内に特別指定された小児診療所に子供を入院させることを奨励し始めました。
実際には、これらの診療所は特別に採用された医療担当員が子供たちに致死量の薬剤を過剰投与したり、子供たちを餓死させたりした子供の虐殺病棟でした。
省2
610: 2017/06/20(火)22:18 AAS
>>608
すまん
611: 2017/06/20(火)22:18 AAS
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
612: 2017/06/20(火)22:18 AAS
「安楽死」プログラムの拡大
安楽死立案者は、殺戮プログラムを施設に入所している成人障害患者まで拡大する構想を短期間のうちに立てました。
1939年秋、アドルフ・ヒトラーは、このプログラムに参加する医師、医療担当者、および管理者を起訴から保護するための秘密の権限付与に署名しました。
この権限付与は、1939年9月1日に遡って発効され、同プログラムの取り組みは戦時中の政策に関連するものだと示唆しました。
総統官邸は外部から孤立していて規模が小さく、国家組織、政府組織、またはナチ党組織とは分離しているため、ヒトラーは総統官邸を「安楽死」作戦の原動力としました。
官邸職員はその秘密の企てを「T4」と呼びました。 この名称は、ベルリンにあった同プログラム本部の所在地住所、 Tiergartenstrasse 4(ティーアガルテン通り4番地)から付けられました。
ヒトラーの指示に従い、総統官邸長官のフィリップ・ボウラーと医師のカール・ブラントが虐殺作戦の指揮官を務めました。
彼らの指揮下で、T4作戦員は「安楽死」作戦の一環として、 ベルリン近郊ハーフェル川沿いのブランデンブルク、ドイツ南西部のグラーフェネック、
サクソニーにあるベルンブルクとゾネンシュタイン、オーストリアのドナウ川沿いリンツ近郊ハルトハイム、およびヘッセンのハーダマーに、6つのガス施設を設置しました。

子供の「安楽死」プログラムで開発された方法を使って、T4立案者は1939年秋から、すべての公衆衛生担当官、公立および私立病院、精神科病院、および慢性患者や高齢者向けの養護施設に注意深く定式化された質問票を配布し始めました。
省13
613: 2017/06/20(火)22:18 AAS
>>608
ブサメンは家からでないで一人でチンコしごいてろよ
614: 2017/06/20(火)22:19 AAS
第2段階
ヒトラーによるT4作戦の中止命令は、「安楽死」虐殺作戦の終わりを意味したわけではありません。
子供の「安楽死」プログラムはそれまでどおり継続されました。
さらに1942年8月には、ドイツの医療専門家や従事者は以前よりもさらに注意深く秘密裏に殺害を再開しました。
ガス室を使った初期段階よりも、新しい作戦ではより地方の緊急要件に依存し、地方自治体が殺害のペースを決定しました。

第2段階では、既に子供の安楽死に使用されていた薬剤の過剰投与や致死量注射がより秘密の殺害手段として採用され、「安楽死」作戦は第三帝国全体の広範な保護施設で再開されました。
また、これらの施設の多くでは成人や子供の犠牲者を餓死させました。
「安楽死」プログラムは第二次世界大戦末期まで続き、高齢患者、爆撃犠牲者、および外国人強制労働者などさらに幅広い犠牲者にまで拡大されました。
歴史家のは、「安楽死」プログラムの全段階にわたり、20万人の命が奪われましたものと推定しています。

ドイツ占領下の東ヨーロッパ
省19
615: 2017/06/20(火)22:19 AAS
「安楽死」プログラムの拡大
安楽死立案者は、殺戮プログラムを施設に入所している成人障害患者まで拡大する構想を短期間のうちに立てました。
1939年秋、アドルフ・ヒトラーは、このプログラムに参加する医師、医療担当者、および管理者を起訴から保護するための秘密の権限付与に署名しました。
この権限付与は、1939年9月1日に遡って発効され、同プログラムの取り組みは戦時中の政策に関連するものだと示唆しました。
総統官邸は外部から孤立していて規模が小さく、国家組織、政府組織、またはナチ党組織とは分離しているため、ヒトラーは総統官邸を「安楽死」作戦の原動力としました。
官邸職員はその秘密の企てを「T4」と呼びました。 この名称は、ベルリンにあった同プログラム本部の所在地住所、 Tiergartenstrasse 4(ティーアガルテン通り4番地)から付けられました。
ヒトラーの指示に従い、総統官邸長官のフィリップ・ボウラーと医師のカール・ブラントが虐殺作戦の指揮官を務めました。
彼らの指揮下で、T4作戦員は「安楽死」作戦の一環として、 ベルリン近郊ハーフェル川沿いのブランデンブルク、ドイツ南西部のグラーフェネック、
サクソニーにあるベルンブルクとゾネンシュタイン、オーストリアのドナウ川沿いリンツ近郊ハルトハイム、およびヘッセンのハーダマーに、6つのガス施設を設置しました。

子供の「安楽死」プログラムで開発された方法を使って、T4立案者は1939年秋から、すべての公衆衛生担当官、公立および私立病院、精神科病院、および慢性患者や高齢者向けの養護施設に注意深く定式化された質問票を配布し始めました。
省13
616: 2017/06/20(火)22:19 AAS
「安楽死」プログラムの拡大
安楽死立案者は、殺戮プログラムを施設に入所している成人障害患者まで拡大する構想を短期間のうちに立てました。
1939年秋、アドルフ・ヒトラーは、このプログラムに参加する医師、医療担当者、および管理者を起訴から保護するための秘密の権限付与に署名しました。
この権限付与は、1939年9月1日に遡って発効され、同プログラムの取り組みは戦時中の政策に関連するものだと示唆しました。
総統官邸は外部から孤立していて規模が小さく、国家組織、政府組織、またはナチ党組織とは分離しているため、ヒトラーは総統官邸を「安楽死」作戦の原動力としました。
官邸職員はその秘密の企てを「T4」と呼びました。 この名称は、ベルリンにあった同プログラム本部の所在地住所、 Tiergartenstrasse 4(ティーアガルテン通り4番地)から付けられました。
ヒトラーの指示に従い、総統官邸長官のフィリップ・ボウラーと医師のカール・ブラントが虐殺作戦の指揮官を務めました。
彼らの指揮下で、T4作戦員は「安楽死」作戦の一環として、 ベルリン近郊ハーフェル川沿いのブランデンブルク、ドイツ南西部のグラーフェネック、
サクソニーにあるベルンブルクとゾネンシュタイン、オーストリアのドナウ川沿いリンツ近郊ハルトハイム、およびヘッセンのハーダマーに、6つのガス施設を設置しました。

子供の「安楽死」プログラムで開発された方法を使って、T4立案者は1939年秋から、すべての公衆衛生担当官、公立および私立病院、精神科病院、および慢性患者や高齢者向けの養護施設に注意深く定式化された質問票を配布し始めました。
省13
617: 2017/06/20(火)22:19 AAS
BiSHの新曲がメタルだわ
動画リンク[YouTube]
618: 2017/06/20(火)22:19 AAS
「安楽死」プログラムの拡大
安楽死立案者は、殺戮プログラムを施設に入所している成人障害患者まで拡大する構想を短期間のうちに立てました。
1939年秋、アドルフ・ヒトラーは、このプログラムに参加する医師、医療担当者、および管理者を起訴から保護するための秘密の権限付与に署名しました。
この権限付与は、1939年9月1日に遡って発効され、同プログラムの取り組みは戦時中の政策に関連するものだと示唆しました。
総統官邸は外部から孤立していて規模が小さく、国家組織、政府組織、またはナチ党組織とは分離しているため、ヒトラーは総統官邸を「安楽死」作戦の原動力としました。
官邸職員はその秘密の企てを「T4」と呼びました。 この名称は、ベルリンにあった同プログラム本部の所在地住所、 Tiergartenstrasse 4(ティーアガルテン通り4番地)から付けられました。
ヒトラーの指示に従い、総統官邸長官のフィリップ・ボウラーと医師のカール・ブラントが虐殺作戦の指揮官を務めました。
彼らの指揮下で、T4作戦員は「安楽死」作戦の一環として、 ベルリン近郊ハーフェル川沿いのブランデンブルク、ドイツ南西部のグラーフェネック、
サクソニーにあるベルンブルクとゾネンシュタイン、オーストリアのドナウ川沿いリンツ近郊ハルトハイム、およびヘッセンのハーダマーに、6つのガス施設を設置しました。

子供の「安楽死」プログラムで開発された方法を使って、T4立案者は1939年秋から、すべての公衆衛生担当官、公立および私立病院、精神科病院、および慢性患者や高齢者向けの養護施設に注意深く定式化された質問票を配布し始めました。
省13
619
(1): 2017/06/20(火)22:20 AAS
>>445
あ 過去のレスをはる人だ
ばれた
無欲んなのに
逃げないと
620: 2017/06/20(火)22:20 AAS
一気に3レス飛んだわ
なんだ?
621: 2017/06/20(火)22:20 AAS
安倍改造内閣に入閣した高市早苗総務大臣や、稲田朋美政調会長ら自民党議員3名が、ネオナチ団体代表とツーショット写真を撮っていたことが国内外で波紋を呼んでいる。
団体の名称は「国家社会主義日本労働者党」。
公式サイトに国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の「かぎ十字」(ハーケンクロイツ)を掲げ、「日本民族の優秀性を確認し血の純潔を保持」
「民族浄化を推進せよ!国家社会主義闘争に立ち上がれ!」などと主張する組織である。

 高市総務大臣は12日の会見で、「不可抗力だった」「思想信条が分かっていたら、会いもしなかったし、写真も撮らなかった」などと釈明した。
しかし、本当にそうだろうか。少なくとも高市はナチスになんら拒否感や批判的視点をもっておらず、それどころか学ぶべきものがあるとさえ考えていたのではないか。

 というのも、一部で報道されているように、高市は過去にナチス礼賛本に推薦文を寄せていたことがあるからだ。
この本は『HITLER ヒトラー選挙戦略』(小粥義雄/永田書房)。ヒトラーの選挙戦略を学ぼうという本で、94年4月に出版されたが、
米ニューヨーク・タイムズ紙などから「ヒトラー称賛」と批判をうけ、ユダヤ人団体も抗議。わずか2ヶ月後に絶版回収となった“発禁本”である。
ところが、この本の広告に、高市早苗がこんな推薦文を寄せていたことが判明している。
省11
622: 2017/06/20(火)22:20 AAS
いきなりの“かぎ十字の肯定”。こんなことを語っている「ヒトラー政治戦略研究会」というのはなんだろうと思って、奥付をみると「編集 ヒトラー政治戦略研究会」とある。どうも、同書は自民党広報部とこの団体の合作らしい。

 本文を読み進めていくと、各章の頭に『わが闘争』など、ヒトラーやヒトラー側近の著作からの引用文を掲げ、それをフックに、著者の自民党広報部長が「現代選挙の必勝法」を述べていくという構成になっているのだが、この本文もすごい。
 
 たとえば、「勝利に一直線」という項目の冒頭には、ヒトラーの側近であったへルマン・ラシュニングの著書『永遠なるヒトラー』から、まず、こんな文章が引用されている。

《私はいかなる手段もためらいはしない。私はあらゆる手段が、正当なものとなる。私のスローガンは“敵を挑発するな!”ではなく、“非常手段に訴えて敵を殲滅せよ!”である。戦争を遂行するのは私なのだ。》

「敵を殲滅せよ!」「戦争を遂行するのは私なのだ」とか、物騒きわまりない引用だが、その引用を批判するような記述は一切ない。それどころか、著者の自民党広報部長はこれを受けて、人間全てを納得させることは不可能だから、
一人が反対したら三人の賛成者を生むことが大事だと説いた後、こう檄を飛ばすのだ。

「そして、説得できない有権者は抹殺するべきです」
省5
623: 2017/06/20(火)22:20 AAS
あいつなんで規制されないの?
●もち?
624: 2017/06/20(火)22:20 AAS
ボンビーガール見てる
625: 2017/06/20(火)22:21 AAS
TEMAN
626: 2017/06/20(火)22:21 AAS
>>462
おちかれさま
細かい暗記しないとだめだよね
がむばって
627: 2017/06/20(火)22:21 AAS
不倫&ストーカー問題で、経済産業政務官を辞任した中川俊直衆院議員。
野党は議員辞職を求めているが、当サイトが予測した通り、安倍政権は政務官辞職と離党だけでことをすませようとしているらしい。
だが、その中川議員に今度は不倫どころではないスキャンダルがもちあがった。
なんと秘書時代に「集団レイプ」まがいの行為をして事件になりそうになったのをもみ消していたというのだ。
今週発売の『フライデー』(講談社)5/12・19号が報じている。
『フライデー』が根拠にしているのは、熊本県在住の会社経営者・津山浩氏の実名告発。
津山氏は中川議員の父親である中川秀直元官房長官の後援会「明秀会」を立ち上げ、会長をつとめたのだが、
その津山氏は、俊直氏がすでにテレビ東京を退社し、父親・秀直氏の秘書になって7年がすぎた2008年11月頃、中川事務所でこんな光景を目撃したのだという。

「東広島市の中川事務所には道場のような集会スペースがあるんですが、そこから秀直の怒号が聞こえてきたので、
気になって見に行くと、俊直ら5人が横並びに整列していたんです」
省5
628: 2017/06/20(火)22:21 AAS
「安楽死」プログラムの拡大
安楽死立案者は、殺戮プログラムを施設に入所している成人障害患者まで拡大する構想を短期間のうちに立てました。
1939年秋、アドルフ・ヒトラーは、このプログラムに参加する医師、医療担当者、および管理者を起訴から保護するための秘密の権限付与に署名しました。
この権限付与は、1939年9月1日に遡って発効され、同プログラムの取り組みは戦時中の政策に関連するものだと示唆しました。
総統官邸は外部から孤立していて規模が小さく、国家組織、政府組織、またはナチ党組織とは分離しているため、ヒトラーは総統官邸を「安楽死」作戦の原動力としました。
官邸職員はその秘密の企てを「T4」と呼びました。 この名称は、ベルリンにあった同プログラム本部の所在地住所、 Tiergartenstrasse 4(ティーアガルテン通り4番地)から付けられました。
ヒトラーの指示に従い、総統官邸長官のフィリップ・ボウラーと医師のカール・ブラントが虐殺作戦の指揮官を務めました。
彼らの指揮下で、T4作戦員は「安楽死」作戦の一環として、 ベルリン近郊ハーフェル川沿いのブランデンブルク、ドイツ南西部のグラーフェネック、
サクソニーにあるベルンブルクとゾネンシュタイン、オーストリアのドナウ川沿いリンツ近郊ハルトハイム、およびヘッセンのハーダマーに、6つのガス施設を設置しました。

子供の「安楽死」プログラムで開発された方法を使って、T4立案者は1939年秋から、すべての公衆衛生担当官、公立および私立病院、精神科病院、および慢性患者や高齢者向けの養護施設に注意深く定式化された質問票を配布し始めました。
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