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雑談 襟裳岬 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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633
: 2017/06/20(火)22:22
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633: [] 2017/06/20(火) 22:22:05.10 「これでいいじゃないか」――。日本国憲法起草のもとになった連合国軍総司令部 (GHQ)草案の受け入れをめぐり、1946年2月22日に昭和天皇が幣原(しではら) 喜重郎首相(当時)と面談した際の天皇の発言を示すメモが、憲法学者の 故宮沢俊義・東大教授のノートに記されていたことがわかった。 「安心して、これで行くことに腹をきめた」という幣原氏の心情も記載されている。 ノートには、46年9月ごろ、宮沢氏ら貴族院特別委員会のメンバーが幣原氏から 首相官邸に呼ばれ、「内話を聞かされた」なかでの、幣原氏と昭和天皇のやりとりが 備忘録的に記されていた。高見勝利・上智大名誉教授(憲法)がメモの記述を見つけた。 ノートの原本は立教大学図書館に所蔵されている。 幣原氏と面談した際の昭和天皇の発言に関しては、GHQ作成の資料に、天皇自身が 徹底的な改革を望み、草案を「全面的に支持する」と述べたとの記載があり、様々な 文献にも引用されているが、「発言が積極的過ぎる」などと疑問視する声もあった。 高見氏は、「メモからは、日本や天皇制を取り巻く厳しい国際情勢を考え、草案の受け入れ しかないという現実的判断をしたことがうかがえる。GHQの資料よりもメモの方が実態に 近いのではないか」と話す。 調査委員会でまとめた憲法改正案が明治憲法の微修正にとどまったため、GHQの 同意を得られなかった。46年2月13日、GHQ側から渡された草案では天皇の地位が 「象徴」となるなど、政府内では受け入れをめぐり賛否が割れたが、22日午前の閣議で 事実上の受け入れを決定。同日午後、首相だった幣原氏が天皇を訪ね、経緯を報告した ――ここまではすでに明らかになっている。 宮沢ノートのメモは、この時の様子をこう記す。 「陛下に拝謁(はいえつ)して、憲法草案(先方から示されたもの)を御目(おめ)にかけた。 すると陛下は『これでいいじゃないか』と仰せられた。自分はこの御一言で、安心して、 これで行くことに腹をきめた」 また、幣原氏は2月21日、マッカーサー司令官と面会。そこでのマッカーサー氏の発言に ついて「元帥曰(いわ)く。『天皇の問題については、自分は諒承(りょうしょう)しているが、 南と北とから、反対がある。天皇を象徴とする憲法を承認するということは、日本の為に のぞましいと思う』。〔南とは濠州、ニュージイランド、北とはソ聯(れん)だろう〕」。 草案に沿って憲法改正案作りをすることを決定した日本政府は、3月4日から5日にかけて GHQ側との徹夜の協議で案を確定。6日、「憲法改正草案要綱」として発表した。 帝国議会の審議を経て、46年11月3日に日本国憲法を公布。475月3日に施行した。 http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170502003336_comm.jpg 昭和天皇と幣原喜重郎とのやりとりが書かれた宮沢俊義のノート=立教大学図書館所蔵 http://mint.5ch.net/test/read.cgi/male/1497334233/633
これでいいじゃないか日本国憲法起草のもとになった連合国軍総司令部 草案の受け入れをめぐり1946年2月22日に昭和天皇が幣原しではら 喜重郎首相当時と面談した際の天皇の発言を示すメモが憲法学者の 故宮沢俊義東大教授のノートに記されていたことがわかった 安心してこれで行くことに腹をきめたという幣原氏の心情も記載されている ノートには46年9月ごろ宮沢氏ら貴族院特別委員会のメンバーが幣原氏から 首相官邸に呼ばれ内話を聞かされたなかでの幣原氏と昭和天皇のやりとりが 備忘録的に記されていた高見勝利上智大名誉教授憲法がメモの記述を見つけた ノートの原本は立教大学図書館に所蔵されている 幣原氏と面談した際の昭和天皇の発言に関しては作成の資料に天皇自身が 徹底的な改革を望み草案を全面的に支持すると述べたとの記載があり様な 文献にも引用されているが発言が積極的過ぎるなどと疑問視する声もあった 高見氏はメモからは日本や天皇制を取り巻く厳しい国際情勢を考え草案の受け入れ しかないという現実的判断をしたことがうかがえるの資料よりもメモの方が実態に 近いのではないかと話す 調査委員会でまとめた憲法改正案が明治憲法の微修正にとどまったための 同意を得られなかった46年2月13日側から渡された草案では天皇の地位が 象徴となるなど政府内では受け入れをめぐり賛否が割れたが22日午前の閣議で 事実上の受け入れを決定同日午後首相だった幣原氏が天皇を訪ね経緯を報告した ここまではすでに明らかになっている 宮沢ノートのメモはこの時の様子をこう記す 陛下に拝謁はいえつして憲法草案先方から示されたものを御目おめにかけた すると陛下はこれでいいじゃないかと仰せられた自分はこの御一言で安心して これで行くことに腹をきめた また幣原氏は2月21日マッカーサー司令官と面会そこでのマッカーサー氏の発言に ついて元帥いわく天皇の問題については自分は諒承りょうしょうしているが 南と北とから反対がある天皇を象徴とする憲法を承認するということは日本の為に のぞましいと思う南とは濠州ニュージイランド北とはソ聯れんだろう 草案に沿って憲法改正案作りをすることを決定した日本政府は3月4日から5日にかけて 側との徹夜の協議で案を確定6日憲法改正草案要綱として発表した 帝国議会の審議を経て46年11月3日に日本国憲法を公布475月3日に施行した 昭和天皇と幣原喜重郎とのやりとりが書かれた宮沢俊義のノート立教大学図書館所蔵
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