[過去ログ] ★◆従軍慰安婦を捏造した朝日新聞7◆★ (648レス)
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607: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(4/8) AAS
大正中期から昭和前期のボルネオでは、一人2円のうち娼婦の取り分は1/2、その内で借金返済分が1/4、残り1/4から
着物・衣装などの雑費10円を出すのに、月20人の客を取る必要があった。「返す気になってせっせと働けば、そっでも
毎月百円ぐらいずつは返せた」 といい、それは最少で月110人に相当する。(なお、フィリピン政府衛生
局での検査の場合、週一回の淋病検査、月1回の梅毒検査を合わせると、その雑費の二倍が娼婦負担にさせられていた。)
料金は泊まり無しで2円。客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金の規定だった(接待時間
ではなく、性交労働時間だったと思われる)。港に船が入ったときは娼館は満員となり、一晩に30人の客を取った時もあった。
現地人を客にすることは一般に好まれず、ある程度接客拒否ができたようである。しかし、月に一度は死にたくなると感想を
語り、休みたくても休みはなかったという。日本軍を相手とした場合は兵士が支払った料金の半分以上が女性の手取りとなり、
残りが業者のものとなった[7]。
慰安婦の貯金
元慰安婦の文玉珠は、1992年に日本を訪れ、慰安婦時代の1942年から1944年まで2年半の間にビルマで貯めた郵便貯金
の払い戻し請求訴訟「軍事郵便貯金訴訟」を行った[676]。文玉珠は6?7千円の残高があるはずだと主張し、その後郵便局
の調査で1943年6月から1945年9月までの12回の貯金の記録があり、残高が2万6145円であることが判明した[677][678]。
当時は5000円で東京で一軒家が購入でき、また千円で故郷の大邱に家が一軒買えたといわれ[679]、この貯金だと東京で
家5軒が購入できるほどのものだった[677]。朝日新聞はこの残高について報道しなかった[677]。また文は5,000円を朝鮮の
実家に送っており[678][11][680]、現在では1億円ほどの価値となる(秦郁彦の計算[680])。また、1942年当時の賄い婦の
給与はひと月11円ほどであり、慰安婦の報酬や貯金総額は平均よりもはるかに高額であった[681]。上野千鶴子は、文玉珠
の貯金は性交労働の代償でなく、軍人からのお駄賃をため込んだものであり、この訴訟は「名目的な額にしかならない」金銭
を要求したものではなく、「道理を求める象徴的な裁判であり、支援者たちにとってもそうであった」と主張している[676]。
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