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産経抄ファンクラブ第292集 (1002レス)
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700: 文責・名無しさん [sage] 2022/08/16(火) 19:32:38.08 ID:6oHc+qKl0 誰もアップしないんだな 8月16日 大学で医学部を選んだのは、サラリーマンを続ける自信がない、という消極的な理由だった。仕事といえば、誰にも頭を下げることのない開業医の父親の姿が浮かんだ。 ▼慶応大学医学部では、ボート部と茶道部の活動に打ち込んだ。卒業前にすでに医学部の同級生と学生結婚して子供もいた。子供の世話を考えると、当直が少ない方がいい。こんな経緯で放射線科医になった近藤誠さんの名前が知られるようになるのは昭和63年、月刊「文芸春秋」に寄稿してからだ。 ▼「乳ガンは切らずに治る」と題して、すでに海外で普及していた乳房温存療法を紹介する内容だった。温存療法と治癒率が同じなのに勝手に切り取るのは外科医の犯罪行為と指摘した。当然、乳がんの外科医は猛反発した。 ▼平成8年に出した『患者よ、がんと闘うな』をはじめとする著作の数々は、さらに大きな騒ぎを引き起こした。「患者は抗がん剤の副作用や余計な手術で、無駄な苦しみと闘っている」「がん検診での早期発見にも有効性はない」。つまり日本のがん医療の根幹を否定していた。 ▼これに対して現場の医師は、「本を読んでがんを放置した結果、進行がんになって命を落とした患者がいる」などと反論する。「反近藤本」の出版も相次ぎ、論争は現在も続いている。 ▼9年前に設立した「近藤誠がん研究所セカンドオピニオン外来」で、がん患者の相談に乗ってきた。本人も病院での検査や診療、薬とは無縁の生活を送ってきた。仕事を病欠したことがないのが自慢だったが今月13日、出勤途中に体調を崩し、搬送された病院で死亡した。73歳だった。今月に刊行された著作の題名は『どうせ死ぬなら自宅がいい』である。これだけは実現できなかった。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/mass/1659100911/700
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