[過去ログ] 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む37 [無断転載禁止]©2ch.net (681レス)
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516(1): 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/08(火)22:18 ID:dwNxNtRp(15/27) AAS
>>515 つづき
アンリ・カルタン教授の思い出
2010年8月 小林 昭七
(抜粋)
1953年に私は東京大学を卒業し、フランス政府の給費生として一年をフランスで過ごす幸運を得た。観測上最も暑い8月のある日、私は横浜からMessageries海運会社の"ベトナム"に乗船し4週間かけてマルセイユへと旅立った。
私は21歳で自信が無かった。微分幾何と多複素変数に興味を持っていた。矢野教授のセミナーのメンバーだった最終学年の間に、調和積分の話をした。同時に私は多複素変数に関するカルタンセミナーのノート1951/1952に魅了された。
禰永教授が私のことをカルタン教授に手紙で書いたので、私はパリに到着の際にカルタン教授を表敬訪問する予定だった。残念ながら国際大学都市の日本館に居を定めるやいなや、私は腸チフス(予防接種したのにもかかわらずパリへの道中で拾ってしまった)を患った。
都市病院での5週間の後、日本館へ戻りカルタン教授に会いに行った。彼は同じ病気を何年か前に患い、経験によれば病気を患う前よりもずっと健康になるだろうと励ましの言葉を述べた。
1953/1954のカルタンセミナーは幸いにも再び多複素変数についてだった。私はその講義のいくつかに、例えば保型函数の講義にはついて行けなかったが、真面目にセミナーに出席した。これは、一週間以内に話が完全な形に書き上げられ、次回のセミナーの時に配布されたことも部分的な理由だった。
パリ滞在中、私は名前だけを知っていたKarl Steinの話を聞く機会があった。3月の彼の2つの講義は私が出席した最後のセミナーだった。
省3
517(1): 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/08(火)22:19 ID:dwNxNtRp(16/27) AAS
>>516 つづき
1967年頃、私は微分幾何学から焦点を多複素変数に移した。1960年代終わりにバークレーで(私の記憶が正しければ)カルタン教授に会った時、当時新しく発見された不変擬距離を彼に話した。
彼はすぐさま新しい距離で定義された位相は多様体に位相を与えるのかと聞き、それは当然の質問だと私は認識した(この事実は後にT. Barthによって証明された)。彼のCaratheodory距離(これを彼は有界領域の変換に関する研究で使用した。
標準位相がCaratheodory距離で与えられない有界領域をVigueが構築したのが1984年のように最近である)での経験からこの質問を出したのに違いないと私は思う。
1960年代の終わりに私は高次元でのピカールの定理、従って双曲型性において超平面の補完に対する問題に興味を持った。これは私をEmile BorelとAndre Blochの古い論文、そしてカルタンの学位論文へと導いた。
1953年私がパリへ行った時、1928年のカルタン学位論文を読む日を夢想だにしなかった。1973年、私の元学生の一人Peter Kiernanと私はカルタンの主要結果を不変擬距離の言葉で再解釈する論文を書いた。カルタン全集の中で、彼は自身の学位論文の簡単な分析と親切にも私達の論文に言及した。私達は非常に光栄だった。
私にとって1950年代は昨日のことのように思える。しかし、ここで私が言及した人々の大半、Ambrose、禰永、Libermann、Lichnerowicz、野水、矢野が逝き、そして今カルタン教授である。パリでの私の日々は実際に遠くなったと認めなければならない。
(引用終わり)
つづく
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