[過去ログ] 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む38 [無断転載禁止]©2ch.net (772レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
50(1): 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/11(金)22:53 ID:BePOAppZ(16/17) AAS
>>49 つづき
東大物理ポスドク
外部リンク:www.s.u-tokyo.ac.jp
「博士になる」ということ。長谷川修司教授に聞く、大学院進学後のキャリアパス 東京大学 リガクル03 2012
(抜粋)
博士は人間としての迫力が違う
? 博士課程を卒業した学生たちの進路についてですが、例年、多くの学生がポスドクとなるのでしょうか。
そうですね。平成22年度の場合は57%、110人の学生が博士研究員、いわゆるポスドクとして働くことを選択しています。ただし、各専攻によってかなりバラツキはあるようです。
? 一方では博士課程卒業者の3分の1強がポスドクにならずに民間企業などに就職しているわけですね。
博士の就職は難しいなどという偏見があるようですが、就職口がなくて困るということはまずありません。私の所属する物理学専攻でも、メーカーやIT企業、コンサルタント会社など、多様な分野に就職して活躍しています。
省6
51: 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/11(金)22:54 ID:BePOAppZ(17/17) AAS
>>50 つづき
- 博士課程で学ぶうえで必要なことはなんでしょうか。
これは、学者の道を歩もうと考えている学生にも、就職を選択する学生のどちらにも言えることですが、流行や情報に惑わされないということです。
時代のせいか、研究においても世界の流行に乗らないとダメだと思い込んでいる学生が多いようです。でも、研究一筋に取り組むには周囲の情報に振りまわされていてはダメなんです。流されないことが大事なんです。
だからといって、視野が狭くてもいけません。一つのことを突き詰めることと、視野が広いことは矛盾しません。広い視野の中で自分の研究を位置づけることができないといけないんですね。バランス感覚が大切です。
博士課程は「最後の訓練」の場なんです。その経験を踏まえて、ポスドクも含めたいろんな分野へと旅立つ。そのためには広い視野と、一つのことを突き詰める粘り強さ持っていないとだめなんですね。それが博士課程で学ぶために必要なことだと思います。
(引用終り)
以上
52(1): 2017/08/11(金)22:59 ID:ToUPXODc(12/15) AAS
外部リンク:en.wikipedia.org
外部リンク:en.wikipedia.org
ご存知の所謂「学術論文に関するFakingとかの騒動」ですが、これを『真面目な議論と見るか、
或いはズルい誤魔化しと見るか』というのがありますよね。日本ではコレを(どちらかと言えば)
悪意だとする議論が噴出してたのは、私も見ました。細かい部分を端折ってしまえば、これは
まあ結局は『性善説に立つか、或いは性悪説と見るのか』であり、日本語で読むのと、英語や
フランス語で読むのとでは書かれ方がかなり違ってますよね。例えば「浅田彰の著書は誤魔
化し」みたいな意見の人が居るみたいですね。
まあ論理から言えば「疑わしきは罰せず」とするか、或いは『どうせアイツは…』と見るかの違
いもありそうですよね。そう言えば何時ぞやの中沢事件(駒場東大騒動でしたか)も思い出し
省2
53: ¥氏 ◆2VB8wsVUoo 2017/08/11(金)23:04 ID:ToUPXODc(13/15) AAS
コテハンが入ってませんね、IDで判ると思いますが。
¥
54(1): ¥氏 ◆2VB8wsVUoo 2017/08/11(金)23:18 ID:ToUPXODc(14/15) AAS
外部リンク:ja.wikipedia.org
今気付いたけど、この中沢事件には『英語版が無い』んですね。まあ日本人の場合には:
★★★『もしコトバで何かを言えば、それは「下らない言い訳だ」と見做される場合が殆ど。
つまり「きちんと論理的に説明する」なんて事は、最初から想定されてない文化圏。』★★★
という事なんでしょうね。だから「浅田彰氏は専門用語を振り回して偉そうな事を言ってたが、
あれはやはり言葉遊びだったんだ〜」という様な事なんですかね。
まあ芳雄も『理屈は言うな〜、屁理屈は許さん〜』ってな事でしたね。これじゃ(論理的な)議
論はおろか、普通の話し合いでさえ成立しませんわ。国会論戦とかもそうですが、まあ『上か
ら権威主義的に押さえ付ける』っていう遣り方がデフォルトですからね。これじゃあ哲学とか、
或いは数学の議論なんて、まあ無理ですわ。だから日本はやっぱし工学部向きのお国柄な
省2
55(1): ¥氏 ◆2VB8wsVUoo 2017/08/11(金)23:27 ID:ToUPXODc(15/15) AAS
外部リンク:news.careerconnection.jp
外部リンク:ja.wikipedia.org
ピペド問題とかIT土方とか、この国はどうして『こんな事』になるんですかね。数学だってもう既
にこうなってるのではないかと。だからこの馬鹿板で「糞みたいな騒動が起こる」んでしょ。
¥
56(1): 2017/08/11(金)23:57 ID:WpXbS5N7(1) AAS
>> なのでヒミツの場所からTVとかネットで見て、そ>> んで『これからどうなるのォ〜』って見るだけ
暑いからって、冷房の効いた屋内にずっと篭るのも体に悪いから、少しは外出しな
あと熱中症は危険だから、外出時は水分と塩分をこまめに補給しな
57(1): 2017/08/12(土)01:26 ID:efTIH9Hx(1) AAS
¥が馬鹿野郎>>1をのさばらしてる
話し相手が居なくなるのを恐れて
デタラメの指摘ができない臆病者
58: [dddjk] 2017/08/12(土)03:12 ID:pFDxa4p1(1/3) AAS
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
59(1): ¥氏 ◆2VB8wsVUoo 2017/08/12(土)07:13 ID:Ay3s6hqd(1/9) AAS
まあコレだけは言っておきますかね。文章として何処かに書いてアルとも思えないので。
日本人が評価する徒弟制度の考え方と言うんですか、それを私なりに記述すれば:
★★★『それは教師が自分と全く同じ遣り方を「作法を守らせる」という考え方で、
そのまま正確に次の世代に伝えて行く、何も考えさせない鵜呑み丸投げ』★★★
という「この道一筋の何チャラ道」なんですよ。これが縁故主義とか子飼いとか、そういう弊害
の温床になってるんですが、でも『日本はこのやり方でずっと来た』のもまた事実です。まあ、
これが「(教育、ではなくて)躾け」という事なんでしょうが。
私はこの考え方を、それこそ一方的にイケナイとは言ってません。そもそも実験系の運営とか、
或いは講座制という考え方はココから来てるでしょう。そして工学部は正にこの世界ではない
かと思いますね。でもこういう事『ばかり』してると、それは縮小コピーにしかならず、これが現
省9
60(1): ¥氏 ◆2VB8wsVUoo 2017/08/12(土)07:25 ID:Ay3s6hqd(2/9) AAS
外部リンク:murin-an.jp
外部リンク:sites.google.com
そう言えば、旧秋月邸もこの近く(東天王町?)ですかね。アソコには昔、勝新太郎が経営し
てた喫茶店がありましたが。
¥
61(1): 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/12(土)07:39 ID:J214zEo3(1/30) AAS
>>57
>¥が馬鹿野郎>>1をのさばらしてる
>話し相手が居なくなるのを恐れて
>デタラメの指摘ができない臆病者
外れだな
1)下記参考”Superteinoubakkashi”、”今のココの糞連中”は、¥氏発言だ。ヒントは、フランスでは単数複数の使い分けが、厳格ってこと。明らかに複数形だ。おまえのことだよ!(^^
2)¥氏が、いろいろ書き出したのは、ここ数ヶ月のこと。しかし、このスレは、2012年1月からで約5年半で¥さんはその1から居る。また、時枝記事が話題になったのは、2015年12月からで約1年半。よって、「話し相手が居なくなるのを恐れて」は、はずれだな。
3)「デタラメの指摘ができない臆病者」というのも外れだ。他の全ての話題について、彼は自分の意見を述べているよ(^^。だめなものはダメと。
(参考)
過去スレ36 2chスレ:math
省7
62(1): 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/12(土)07:50 ID:J214zEo3(2/30) AAS
>>60
折田 彦市先生は、下記ですね
外部リンク:ja.wikipedia.org
(抜粋)
折田 彦市(おりた ひこいち、嘉永2年1月4日(1849年1月27日)[注釈 1] - 1920年(大正9年)1月26日)は、明治時代に活動した日本の教育者・文部官僚。旧制第三高等学校(三高)の初代校長として知られている。その前身校も含めれば約30年間にわたって三高の校長を務め、同校の「自由の学風」を築いたとされる。
折田彦市と「自由の学風」[編集]
三高の「自由」の精神は、しばしば折田の人格と不可分のものとして捉えられる。折田自身が「自由」について特に書き残したものはないというが[61]、明治30年代頃から学生の間で「自由」を校風とする雰囲気が醸成されるようになり、それが折田校長の人格に結び付けられるようになったようである[62]。
折田退任後間もない1913年(大正2年)には早くも、学内雑誌『嶽水会雑誌』に掲載された小論に「前折田校長の人格其物が三高の精神となって表現したのが自由である」[63]と記された。
大城富士男が著した『神陵小史』(1935年)には、三高の自由は折田先生の人格から出たものであると記す[64]。大学分校時代に折田の薫陶を受け、のちに同志社総長になった牧野虎次は『三高八十年の回顧』において、「三高の歴史は折田先生の頌徳史に外ならぬ」と述べた。
折田の教育方針は「無為にして化す」[65]と表現されるもので、生徒の人格を最大限認め、可能な限り干渉を排する姿勢を貫いていた[66]。高等中学校時代の1889年(明治22年)に、教職員と生徒の間で互いに「さん」付けで呼び合う原則を定めたことは、生徒の人格を尊重する姿勢の象徴として言及される[注釈 5]。
省1
63: 折田彦市 ◆2VB8wsVUoo 2017/08/12(土)08:08 ID:Ay3s6hqd(3/9) AAS
¥
64(2): 2017/08/12(土)08:10 ID:mG58xZ3a(1/17) AAS
>>61
¥は単純に>>1の小学生並の誤りに興味がないんでしょ
¥は>>1が数学が分かる大人だと思ってないだろうし
65: 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/12(土)08:35 ID:J214zEo3(3/30) AAS
>>59
¥さん、どうも。スレ主です。
>ロシアじゃないけど、あの秋月スクールが生んだ京大の伝統はどうか大切に…
21世紀現代数学が積み上げてきた高みは、個人が最前線に独力で出ようとすると、数十年ではきかないかも知れない
それを、サポートするのが、スクール、研究室のメリット。そこに行けば、俊英達がいて、最前線までのエッセンスを吸収できる
(語学と同じで、24時間シャワーのようにあびていると、自然に身につくことが多い。スピードラーニング式。英文法は後からで良い)
日本では、ちょうど英語教育で英文法を極端に重視する教え方で、それ(英語)が必要な場面になっても「つかえね〜」と (だれかそっくり(^^ )
(C++さんの一歩一歩というガロア本の読み方は、数学科の学生ならともかく、独学の大人は止めた方が良いよと・・)
フランス、ロシア等のxxスクールでの教育が、俊英を集めて、24時間シャワーを浴びせる
佐藤幹夫下記「数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ」の実行だと
省10
66(2): 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/12(土)08:41 ID:J214zEo3(4/30) AAS
>>64
どうも。スレ主です。
”¥は単純に>>1の小学生並の誤りに興味がないんでしょ
¥は>>1が数学が分かる大人だと思ってないだろうし”
そういう意見もあるだろうが、多分外れ
¥さんは、単純に時枝解法が成立するとは、考えていないふしがある
確率論は行き詰まっていて、コルモゴロフ流確率論を超えていかなければならないと
この意見は、過去スレになんども出ているよ
67: 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/08/12(土)08:59 ID:J214zEo3(5/30) AAS
>>55
¥さん、どうも。スレ主です。
個人的には、(マスコミは言わないが)「小泉改革がだめだった」と思うのですが
社会の下層に対しては、就職氷河期を通じて、派遣地獄を作り出し
社会の知識人層に対しては、ポスドク就職氷河期を作り、それは現在も継続中だと
で、「数学だってもう既にこうなってるのではないかと」というのは、数学業界の中に居ないので
よく分かりませんが・・、情報を集めるとそういう雰囲気はありますね(^^
68: 2017/08/12(土)08:59 ID:wUCrR22k(1/2) AAS
>>66
命題Aと命題Bを区別して物を言え
確率論が問題になるのは命題B
命題Aの確率99/100を認められないのは決定番号∞君だけ
> 命題A:任意のfixされたr∈R^Nで99/100が成り立つ
> 命題B:r∈R^Nを確率標本にとっても99/100が成り立つ
命題Aの確率99/100は成り立つのか、
それとも
有限モデル論法や決定番号∞により成り立たないのか、
省1
69(2): ¥氏 ◆2VB8wsVUoo 2017/08/12(土)09:04 ID:Ay3s6hqd(4/9) AAS
私が疑ってるのはその「測度論を使う、という部分」も勿論なんですが、でもソレよりも以前に:
★★★『そもそもこういう議論を「集合論の上に建設してる」というのは、果たしてこのままでいいのか。』★★★
というのがあります。更に細かく言えば:
1.「信念の度合い」という側面と、そして頻度を繋ぐ、その繋ぎ方。或いは「その中間」とか。
2.条件付確率と因果関係とは(定式化として)『同じではない』という不思議。
という様な、まだ「コトバにして説明できる段階にはない」です。尤も私はこの問題を中心にし
て考えてるんじゃないですが。私の本来の興味は、別の場所にあるので。
最近気になった事があり、それで『確率の出現』(イアンハッキング著)をざっと読んだんですが、
この著者も何がしかの気持ち悪さを感じてるのか、とは思いましたね。またこんな人:
外部リンク:kenshi.miyabe.name
省7
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 703 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.129s*