ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ11 (684レス)
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662(2): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 11/21(木)11:12 ID:WEerohY5(1) AAS
>>661 タイポ訂正
教えられられること << 知っていること
↓
教えられること << 知っていること
<訂正ついでに>w
・”数学科以外の奴はもちろん知らない”発言ね
笑える
・昔 下記イタリアでは、数学は”秘儀”で
『当時盛んに行われていた、金銭を賭けた計算勝負』(下記)というのがあったらしい ;p)
その流れで、三次方程式の解法は カルダノの方法と呼ばれるようになったw
・21世紀の日本で、時代錯誤のおサルさん
その実、おサルさんは 某私大の数学科 落ちコボレさんだが
・自分は、数学科で”秘儀”を習得した
だから、”数学科以外の奴はもちろん知らない”などと
数学を秘儀扱いする
自分は、落ちコボレだが
数学科以外の奴 とは違うのだぁ〜! 数学科で”秘儀”を習得したのだぁ〜!
ですかw いまどき 数学は秘儀でもなんでもないぞ!!w ;p)
あわれなやつw ;p)
(参考)
外部リンク:ja.wikipedia.org
三次方程式
歴史
三次方程式の代数的解法は、16世紀頃にボローニャ大学のシピオーネ・デル・フェッロによって発見されたとされる。
デル・フェロは、この解法を公開せず、何人かの弟子に託して1526年に死んだ。そのうちの一人、アントニオ・マリア・デル・フィオーレ(イタリア語版) (Antonio Maria del Fiore) は、この方法を、当時盛んに行われていた、金銭を賭けた計算勝負に使い、勝ち続けた。
タルタリアが三次方程式を解いたとの噂を聞いたフィオーレは噂を信用せずタルタリアに計算勝負を挑み、打ち負かして名声を上げようとしたものの、デル・フェロの三次方程式の解法しか知らなかったため、計算勝負に負けた。
タルタリアが三次方程式の代数的解法を知っていると聞いたカルダノはタルタリアに頼み込み、三次方程式の代数的解法を聞き出すことに成功した。カルダノは、弟子のルドヴィコ・フェラーリが得た、一般的な四次方程式の代数的解法と併せて、三次方程式の代数的解法を出版したいと考えるようになったが、タルタリアとの約束で秘密にすると誓ったために、出版することはできなかった。そこで、かつてデル・フェロが、三次方程式の代数的解法を得たという噂を頼りに、フェラーリとボローニャに行き、デル・フェロの養子のアンニバレ・デラ・ナーヴェ (Annibale della Nave) に会い、デル・フェロの遺稿を見せてもらった。それによってカルダノは、タルタリアが三次方程式を解いた最初の人ではないことを知ったので、タルタリアとの約束は無効とし1545年に『アルス・マグナ』(Ars Magna) を出版し、様々な形の三次方程式の解法を公表した。以来、三次方程式の解法はカルダノの方法と呼ばれるようになった。
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