[過去ログ] 野々村元県議の今後を考える3 (944レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
246: 2022/10/18(火)02:36 ID:F6e0vE+E0(1/2) AAS
日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫) 文庫 1994/6/17
梅原 猛 (著)
かつて東北は文化の先進地だった。亀ケ岡式土器に代表されるように、繊細で深みのある高度な縄文文化が栄えたのである。
著者は東北各地を旅しながら、宮沢賢治など詩人たちの心の深層に耳を傾け、また土着の信仰や祭りの習俗・アイヌの言葉に、日本人の隠された魂の秘密を探り当てる。原日本文化論の新たな出発点を印す意欲作。

北のまほろば―街道をゆく〈41
太宰治が「悲しき国」と嘆いた津軽・南部・下北。稲作が始まって以来、“けかち(飢饉)”に悩まされてきた本州最北端の大地には縄文の豊かな生活の跡が埋まっていた!
縄文の昔は「まほろば」として栄えた本州最北端の地・青森を歩き、風土に即した生活とは何かを問う。太宰治が悲しき国と嘆いた津軽・南部・下北など、「けかち(飢饉)」に悩まされてきた地に、豊饒の歴史の鉱脈を探る。

縄文時代、青森県の地は山や野に木の実が豊富で、三方の海の渚では魚介がとれ、走獣も多く、川にはサケ・マスもやってきて、考古学上、信じがたいほど豊かだったと想像されている、という。著者は、縄文時代の青森県の地を「北のまほろば」だったと称している。
しかし、弥生時代以降、稲作が日本全国にくまなく浸透し、特に江戸時代、コメの獲れ高(石高)が身分や豊かさを規定する基準となってからは、平均して五年に一度は冷害で凶作となる北国はしばしば飢饉に見舞われ、
貧しさにあえぐのがつねとなってしまった。かつての「北のまほろば」は失われ、相対的に後進地帯の位置付けとなってしまったことを著者は嘆いている。土地それぞれの持ち味を発揮できない「画一化」への警鐘とも受け取れる。
三内丸山をはじめとする遺跡を巡りつつ、風土に即した生活とは何かを問い、この地が育んだ作家や板画家・棟方志功を思う。
1-
あと 698 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.008s