[過去ログ] 野々村元県議の今後を考える3 (944レス)
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45: 2022/09/18(日)20:19 ID:mIEKwuWz0(14/16) AAS
ゾルゲは社会主義の祖国ソ連を率いるスターリンの思い込みとも闘わなければならなかった。
「満州事変以後の日本軍部を見て、ソ連は日本が対ソ攻撃を計画しているという深い猜疑(さいぎ)心を持つようになった。
独ソ戦が始まった翌月(1941年7月)に、満州の山野では精強を誇る関東軍がソ満国境近くに兵力70万人を展開し、
「関東軍特種演習」を敢行した。独ソ戦がドイツに有利に進展すれば、日本が参戦するのではないか——
当時のソ連は、日独両国に挟み撃ちされるのを恐れていた。こうした中、ゾルゲはこの大演習について「動員が大規模であり、私の諜報グループにとっては
数カ月にわたって極めて重要な問題だった」と書いている。そして、「初めは心配したが、
大演習は主にソ連を狙ったものではないことが、次第に分かってきた。これによって、日本が翌年(42年)春までソ連を攻撃することはないと断定できた」と記している。
ゾルゲは、当時の日本軍部がソ連の脅威を強調し仮想敵国としてきたのは、「恐るべき怪物ソ連に対抗するのだと、膨大な予算要求を正当化するため」と分析。
そして、「日本の本当の目標は北方でなく、中国と南方なのだ」と的確に結論付けた。
ソ満国境で繰り広げられた大演習は、ゾルゲの死後、ソ連が中立条約を破って対日開戦に踏み切る口実に使われたのだった。

1925(大正14)年の日ソ基本条約で、尼港事件で日本人居留民がソ連赤軍に虐殺された賠償として日本は北樺太の油田の採掘権を得。
とはいえ、ソ連の国力増大に伴い日本側の操業には圧力が強まり事業継続は次第に困難になり、
日ソ中立条約の交渉過程で、ソ連は北樺太の利権解消を強く主張し日本と対立した
1944年 北樺太利権移譲議定書が締結される。これによって北樺太における日本側の採掘権が消滅する

松岡洋右が日ソ中立条約というものを結んでしまったのが全ての間違い。
独ソ戦に便乗して北樺太、沿海州、カムチャッカ半島、外満州あたりまで獲得は可能だった

奪還したらロシア政府に対し昭和20年以降分の滞納固定資産税を延滞税込みでふっかけて
新しい樺太県の予算に充てるべしw

北海道の人口はもっと増やせるはず。寒いから大変だけど
シカゴも同じくらい北にあって、五大湖から北風がビュービュー吹いてくる厳寒の地だが、それでも世界的な金融センターの1つだ
ただし、石狩平野には雪が降る。霧も深くて、冬には飛行機がしょっちゅう欠航するのがネックだ。国際金融センターになるには交通が不便

法的に降伏して戦争終結した9月2日
ソ連軍が歯舞に上陸したのは9月3日

無償ではない
沖縄返還協定第7条に基づき「特別支出金」として総額3億2000万ドルをアメリカ政府に支払って

平安後期の律令体制崩壊から明治維新までの千年間、中央政府の地方統制は極めて緩い
江戸時代の諸藩の年貢率なんて藩によってバラバラ、税率一元化されたのも明治の地租改正以降

フィリピンはマゼランが世界一周の途中で立ち寄った。マゼランは現地民に頃されたが、スペインは報復としてフィリピンを占領
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