野々村元県議の今後を考える5 (994レス)
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37: 2023/07/08(土)23:41 ID:+bXl70OE0(2/2) AAS
矛盾点指摘してる人ってリアルでもそういう性格なのかな。
疑問点が解決してスッキリするのは分かるけど
作りが甘いが故に出た矛盾があったら駄作扱いになるのか?
多少のご都合主義は物語だから

内田監督作品は伊坂作品と造りが似ていると思う

桜井が元カノ(が捨てようとしたゴミ袋)から回収した昔の写真。
いくつかの写真を桜井が泣きながらめくり助手席の窓から写真を投げ捨てたが、元カノとのツーショットの写真だけが助手席足元に残っていた。
それをコンドウは拾い、その幸せそうな写真を眺め、自分の昔の貧乏でも幸せだった日々を思い出し、佳苗のことを考えた。

内田けんじの、話がちょっと感動的になりかけると
大慌てでなーんちゃって!と茶化してみせる語り口のさじ加減が好きだ
省7
38: 2023/07/09(日)00:32 ID:cMLSfDB60(1) AAS
監督のインタビューによるといろいろと理由をつけて小難しく考える大人の恋愛と、
一瞬で恋に落ちる事が出来る若い子の恋愛を対比させたかったらしい。
39: 2023/07/09(日)02:00 ID:b2ePyfOu0(1/3) AAS
運命じゃない人』は、あまり良い感じではなかった。人物が皆、物語の都合でしか動いていない、というのがその理由なのだが、
それだけでなく、一見、とても複雑に入り組んでいるような話にみえるのだけど、最初の男女のエピソード以外は、全て後付けの説明を拡大していっただけで、
話の隙間にあてはめ易い要素をはめ込んでいるだけなので、そのやり方がみえてしまうと、とたんに退屈になる。実際、映画の中盤以降で新たに付け加えられることと言えば、
お札に関する偽装のエピソードだけと言ってもよいくらいで、
後半に向かって、(既にあるものの読み換えや言い訳だけになってしまうので)映画はどんどんつまらなくなってゆく。同一のシーンが、
ことなる意味をもって何度も反復される、と言えば聞こえはいいが、結局は、ある限定された要素を提出して、
その内部でのみ、その解釈をひっくり返したりして読み換えてゆく、というだけのことで、技法としては単純すぎるくらいだろう。
それに、こういう「お話」でヤクザを介入させるという手が凄く安易で、そうするとお話として
簡単に「面白っぽく」展開させることが出来るのだが、その分、薄っぺらになるだろう。(例えばタランティーノみたいに、
この薄っぺらさを意図的に馬鹿げた規模にまで拡大させたりすれば、また別のものが見えてくるかも知れないのだが。)それぞれの人物、
省1
40: 2023/07/09(日)13:58 ID:b2ePyfOu0(2/3) AAS
キネ旬ベストテンは昔「仁義なき闘い」を1位にしたくなくて
翌年公開の「津軽じょんがら節」という作品の試写会開催を早めさせて前年の対象とし
仁義を押し退けて無理矢理1位にさせた前科がある
41: 淀川長治 2023/07/09(日)16:03 ID:b2ePyfOu0(3/3) AAS
主役4人全体が気張りすぎた。つまりオーバー・アクト。これはひとえに監督の滝田洋二郎の、いうならば観客への御親切ごころがうらめに出たというわけだ。
なぜ、も少し押さえなかったのか。これは原作・脚本(一色伸幸)が心して、深刻になる
日本独特のお涙を避けたからであろうが、この良さが説明までをも呑気に走らせたきらいが、この映画をマイナスに落としている。
真田はじめ岸部一徳、嶋田久作、山崎努の4名の個性個性個性をあまりにも鮮やかにと思ってか、
この4人がいうならばレコード盤の早廻しとなって、私は途中3回4回、演技を台詞を押さえろと心のうちで叫んだ次第。
けれども、日本映画がこのように浜田毅の撮影監督でジャングルとその土地を実感させて撮影。そのキャメラの動きはすばらしい。
さてこの4人、裸身でさらに私たちをくすぐらせるか。このあたり、どこかいつの間にかさらり身をかわされて、立派なラストが物足りないよ
42: 2023/07/10(月)10:44 ID:kNRYrRrw0(1/6) AAS
「結婚をしないで、なんて私は馬鹿だったんでしょう。
これまで見たものの中で最も美しかったものは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした」グレタ・ガルボ
43: 2023/07/10(月)21:16 ID:kNRYrRrw0(2/6) AAS
AA省
44: 2023/07/10(月)21:24 ID:kNRYrRrw0(3/6) AAS
深作より落ちると思っていたフランケンハイマーやフリードキンあたりの方がマシに思えた。
不調時のペキンパー的な凄みもないし、野暮さで押すジョン・ウーに勢いではかなわない。
何より登場人物たちの相克を描いて「恐喝こそわが人生」(68)の頃のようなシャープさが
もう無いのが辛い。みんなちっとも切実に見えない、遊んでいるようにしか見えないんだ
45: 2023/07/10(月)22:19 ID:kNRYrRrw0(4/6) AAS
ハッピーアワーでやったワークショップもその手法らしいね
まず感情も排して平坦にセリフを読めるよう練習する
徹底的に排した後で、自然に滲み出てきた本当に必要なニュアンスだけ微妙に足す
庵野がシンゴジラで俳優に感情を込めさせるとろくなことにならんから異常な早口にして込める隙間を無くしたと言っているが近いアプローチだな
日本人はほとんど感情を出さないのが自然な姿だからそっちの方がリアルに見えるのかもしれん
普通の邦画が大げさすぎるんだよ
普通の日本人の話し方に戻してるだけ

ハッピーアワーを見れば理解できるようになってるから見ろ
映画というのは無表情の顔が写っても前後のカットによってその人が何を考えているように見えるかが変わり、それを的確に積み上げる事で感情表現ができる
濱口えいがは編集に時間を掛けてモンタージュを緻密に計算している
省1
46: 2023/07/10(月)22:46 ID:kNRYrRrw0(5/6) AAS
白石:上林の原動力である「怒り」の表れですね。実録ヤクザ映画をずっと書いていた脚本家・笠原和夫さんが、ヤクザを掘れば掘るほど、
在日と被差別部落に行き着くと。逆にそこを描かずヤクザは描けないから、(タブーに触れることを恐れて)みんなヤクザ描くのを辞めていくんですね。
エンタテインメントとして面白いものを作るのは当たり前なんですけど、そこに1秒でもそうした問題意識を入れるのは、今の作り手としての誠意だと思ったんです。
──そこで上林が在日だってことが分かるし、日岡のスパイとして彼の懐に入りこむチンタ(村上虹郎)と、その姉の真緒(西野七瀬)も在日。同じ民族としての繋がりみたいなものと愛憎がしっかり描かれる。
白石:この映画のなかで何かしらの犠牲になっていく人たちは、「差別される側の人たち」ということが分かれば、何か感じてもらえるんじゃないかなって。
47: 2023/07/10(月)23:32 ID:kNRYrRrw0(6/6) AAS
千葉ちゃんの大友はそれこそめちゃくちゃやってたけど、行動原理がちゃんと伝わる整理の仕方がされてたからなー
北大路の破滅の過程もしっかりと描かれてたしやっぱホンて大事よな
笠原さんは、天才的 台詞に躍動感まで感じてしまう

ヤクザと家族は昔の任侠モノリバイバル
本当は心優しく家族(親)思い、仲間思い
でもヤクザとして義理通すために暴れるていう
演出や舞台立ては今風だけど物語の構造は割とまんまリバイバル
こちらもモロにその後に来た実録物リバイバルだが実録物の演出を再現しつつドラマ性の部分
刑事とスパイの正義感だったり悲しき怪物上林だったりはエンターテイメントに振り切ってる
良い悪いじゃなくな
省4
48: 2023/07/11(火)15:35 ID:QAvNHskw0(1/5) AAS
あんな段階で致命的ミスに気付き
バイト大学生連中が文句いわず超献身的
天使のような妻も含めて主人公に都合が良すぎる展開ばかり

受賞後泣きながら1曲歌う
その他の優秀賞の人もステージに上がって
福山の肩はげますように叩いたり一緒に歌ったりする
客席に来ている両親が時々スイッチで抜かれる
そんな昭和テイストエンディング

日本の役者はコメント下手だよなぁw
どうでもいいことぼそぼそ言ってありがとうございましただけ
省1
49: 2023/07/11(火)17:51 ID:QAvNHskw0(2/5) AAS
三谷は歴史物は好きで映画でも舞台でも歴史物はずいぶんやってるから
喜劇的な演劇にまとめられるのよ。
そこが喜劇になりきれないコント止まりの宮藤官九郎との大きな違い

クドカンとか大泉洋とか松尾スズキとか
あの辺をナンか「ちょっと変わったオモシロイケてるモノ」と思って観てるレベルの連中が
老人世代と共に現在のTVの主要ターゲットなんだよ

吉本のお笑い芸人を面白いと思って見ている人たちと同じで、
日本の手枷足枷の連中なんだよな、本当の事を言えば。
それでも無残に切り捨てるわけには行かないとすればどうするか。
例えば、ご老人には、新作大河ではなく、過去作を見放題にしてあげるとか、
省10
50: 2023/07/11(火)18:08 ID:QAvNHskw0(3/5) AAS
昔のマンガ雑誌の編集者のように、
ちゃんとしたプロとして"一般"を相手にするだけの力量があるか否かを見極められる目利きがいなくなってきたことも劣化に拍車をかけている。
"一般"ではなく"マニア"を相手にするだけなら、「自主映画・小劇場」志向の者も通用してしまう時がある。
だが、何か特別の一家言など持っているわけでもない"一般客"の方が本当は怖いわけだ。
その、"一般客の怖さ"というものは、若い内に骨身に沁みておかなければなかなか理解できない。
実際、今回、宮藤とやらとその周辺にたむろする"マニア"の連中は、"一般客"に見事に敗北したわけだ。
これは大昔からある、"カルト"の"普遍"に対する典型的な敗北の構図な訳。
なぜ、世界の三大宗教と呼ばれる仏教、キリスト教、イスラム教は、民族の枠を越えて人々に浸透する力を持つのか。
昔から表現者が苦心惨憺しながら分析してきた事実だ。
こんな「いだてん」など、素人にすら、内輪受け、楽屋受けだけのベタなカルト系作品であるのは丸分かりなのであって、
省10
51: 2023/07/11(火)18:23 ID:QAvNHskw0(4/5) AAS
小劇場の演出や脚本出身者とかアニメの演出出身者の画面作りの特徴は
ロングからの“バーン!”とかの効果音とかつけたりしての
登場人物のドアップによる大声大仰な台詞
観客の視線が遠方一方向からの舞台では
凡庸な演出家には客席の視線を一か所に集中させる演出手段が
大声、大仰な台詞回し、奇矯なアクションしか無い
またアニメ演出の場合ロングによる長時間のカットは
生身の役者と違い一人一人の演技(演出)が付けにくいうえ
なにより製作に手間コスト時間金が掛かるうえ
視聴者もアニメ以外の映像作品をあまり見慣れない人が多いから
省3
52: 2023/07/11(火)18:35 ID:QAvNHskw0(5/5) AAS
三谷は自分より下だと思ってる相手のことはよく褒めてるよ
謎の上から目線で
自分を脅かさない存在だから激賞できるんだろ、
ライバルだとは思ってないってことだな。
才能は才能を知る。本当に才能のある相手になら、手塚のように嫉妬心丸出しになるはず。
53: 2023/07/14(金)02:38 ID:fB3BDGxa0(1/8) AAS
北野武と同じで役者のエゴ(熱演)を嫌う人だね。
演技を極力抑えさせる事によって
より登場人物の感情をあぶり出し、観る者に喚起させる。
演出に確固とした型を持っており、可能なかぎり作品をコントロールしたい監督。
スタンスは常に社会的弱者(この世の大多数)の側。
しかしそれによって作品が陰鬱になることはない。
カウリスマキの登場人物は常に辛辣で理不尽な人生に痛めつけられるが決して屈服しない。
惨めなネズミのようだが、ささやかでも強い誇りを捨てず歩いていく。
彼の映画には無数の小さな嘘が散りばめられているのだが、ハリウッド映画がつく嘘とは全く質が違う。
それは人生にたいする真摯な姿勢であり、ささやかな応援歌であり人間賛歌でもある。
省17
54: 2023/07/14(金)14:28 ID:fB3BDGxa0(2/8) AAS
今、映画館はほとんどがシネコンになってしまったから、
この手の18禁映画は上映する映画館を押さえるのがとても難しいらしい。
何故なら、シネコンは大半がショッピングモールやテナントビルに
入っているから、成人映画のポスターだけで、他の店があれこれ言ってくるんだと

。フェチの連中はすごいよ
同じおしっこおもらしでも、パンツ穿いたまましなきゃだめとか
おしっこを自分の意思で出してるのはだめとかいろんな派閥があって、いざこざが絶えない

「フィギュアなあなた」観たけどどうしてこうなった
光と影の使い方は健在だけど脚本がダメすぎるわ
脇の役者も微妙だし
省6
55: 2023/07/14(金)14:42 ID:fB3BDGxa0(3/8) AAS
五社とかも激しい情念渦巻く女を撮ると凄かったけど
石井は静かな佇まいに情念が渦巻いてる感じ

根津甚八のレストランシーンといい、石井監督は観客を冥界の入り口に連れて行くのが上手い
56: 2023/07/14(金)19:04 ID:fB3BDGxa0(4/8) AAS
「原作は旅ものと呼ばれる「リアリズムの宿」と「会津の釣り宿」。大きな出来事がないものの、ほっこりさせられるあたたかな作品たちだ。
(中略)それぞれ別の方向を向いていた3人がたまたま一緒に居合わせたことで、まるで化学反応が起きるように何かが起こる。ミニマムな空間を映しながらも、
とても大きな世界を描き出す山下節は本作でも健在だ。誰でも身に覚えのある苦笑いなエピソードを積み重ね、言葉やしぐさだけでなく沈黙やリアクションで笑わせる。
そして、ゆっくりとだけれども、誰かと一緒に歩き出すことで小さなドラマが生まれる、そんな日常のおかしさやせつなさがやさしく紡がれている。

昨今のお笑いにおいて、「くすり」系(「オフビート」)コメディがもはやジャンルとして確立していることからも分かるように、山下作品のスタンスはとりたてて目新しいものではなかった。
だから、目新しくもなく、派手でもない「お笑い」映画が単なるコントを遥かに凌ぐ効果を生んでいるのは新鮮な驚きであった。このことは、映画がコントと比べて時間的に圧倒的に長く、
しかも本作ではあからさまな感動まで加わっていることと無縁であるはずがない。しかし現実にほとんどのお笑い映画がコントの時間延長に過ぎないことを考えれば、それだけで賞賛されるに足る。思うに、山下作品には全体を通底する思想が確立しており、それが見事に表出している。山下の思想とは、
「くるり」岸田繁のいうところの「童貞力」であり、村上隆のいう「ばつの悪さ、寂寥感の日本的描写」であり、平凡だが「山下風貧乏くささ」と言ってもよい。
要するに映画内に破綻がない。一貫性が画面を支配しているのだ。志向としては商業映画と大きな違いがない山下作品がスタイリッシュ・サブカル映画群と区別されるのもこの点にあるのだろう。
仮定話に益はないが、もしつげ原作を使わなければ、本作は山下作品の中でも(恐らく近時の日本映画の中でも)出色の出来だと私は主張しただろう
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