[過去ログ] 【巨人軍】木村拓也追悼スレッド【背番号0】 (428レス)
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397: 2011/11/18(金)22:54 ID:8iR6bTof(1/5) AAS
巨人内紛は読売新聞“代理戦争”か…政治部vs社会部の社内事情

外部リンク[htm]:www.zakzak.co.jp

読売新聞グループ本社のトップ、渡辺恒雄・読売巨人軍球団会長(85)
の独断専横を告発した清武英利・同球団代表兼GM(61)
無謀な下克上を断行した同氏について、
かつての部下や周辺の者から漏れ伝わってくるのは
「傲岸不遜」「親分気質」という相反した声だ。

一方で、両氏の出身母体、読売新聞の派閥抗争を騒動の
背景に挙げる向きもある。清武氏を“自爆テロ”へと
駆り立てたものとは何だったのか。
省7
398: 2011/11/18(金)22:55 ID:8iR6bTof(2/5) AAS
1999年から「清武班」に入ったA氏は、
遊軍記者として経済事件や、暴力団犯罪などを取材。
社内的に取り扱いが難しい案件でも清武氏は
「気にする必要はない。どんどんやれ」と発破をかけて、
部下をバックアップした。

記者時代には、第一勧業銀行総会屋事件などのスクープを
連発した同氏だが、「酒席でも、自分の実績を
ひけらかすことはなかった」(A氏)

庶民的な人柄から、「キヨタケブー」との
あだ名で親しまれていたという。
省8
399: 2011/11/18(金)22:56 ID:8iR6bTof(3/5) AAS
09年、7年ぶりのチーム日本一を花道に木村氏は現役を引退。
翌10年からは、コーチに招聘して関係は続いた。

自著「こんな言葉で叱られたい」(文春新書刊)では、
《巨人軍の中では話せない夢が私にはあった。
(中略)木村拓也をいつか母校の監督に据えて、
二度目の甲子園を勝ち抜く夢である》と郷里の後輩に
抱いていた密かな期待も吐露している。

しかし、敵対する者には別の顔もみせた。

「球団フロントに批判的な報道に対しては矢継ぎ早に
『出入り禁止』を乱発。ソリが合わない番記者には冷淡で
省13
400: 2011/11/18(金)22:57 ID:8iR6bTof(4/5) AAS
政治部出身の渡辺氏と社会部上がりの清武氏。
母体が敵対する読売社内の派閥抗争が関係していそうだ。

社会部OBのジャーナリスト、大谷昭宏氏はこう話す。

「渡辺さんが社会部を嫌うようになったのは、
番記者をしていた自民党の実力者、大野伴睦氏の土地問題を
東京社会部が追及したのがきっかけ。

『オレの親分に何をしやがる』という感覚で、
それ以来『社会部憎し』の風潮が政治部内に一気に広まりました」

その対立を象徴するように、社内では社会部を揶揄する
こんな蔑称が流れたという。
省4
401: 2011/11/18(金)22:58 ID:8iR6bTof(5/5) AAS
だが、老練な渡辺氏は人事面では、社会部出身者を
巧みに利用してきた面もある。

「社会部の腕っこきを球団の要職に迎えた。
桃井(恒和)さんや滝鼻(卓雄)さんもそうだが、
歴代の球団代表はいずれも社会部長経験者。
ただ、敵陣営から引っ張ってきた人材は使い捨て。
01年まで球団代表だった山室寛之さんは子会社に追いやられた。
こうした渡辺さんのやり方に、清武さんは不満を募らせて、
ついにチャブ台を引っ繰り返したのでは」(同)

社会部畑一筋に記者人生を歩んだ熱血漢の清武氏と
省3
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