【山口】阪急&オリックス【平井】'24栄光と挫折を (272レス)
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抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) レス栞 あぼーん

8: 08/18(日)08:42 ID:NcqHL16u(1/4) AAS
阪急ブレーブス最後のオーナーだった小林公平氏と今の中日ドラゴンズオーナーの大島宇一郎氏はどこかイメージが被るんだよ。プロ野球に関心がないとか、家業を義務的に継いだとか、婿養子と直系の息子みたいな細かい違いはあるけど、公平氏にとっての宝塚歌劇団が、宇一郎氏にとって何なのか、それによって中日ドラゴンズの存続が決まってくるんじゃないかな。
9
(1): 08/18(日)08:54 ID:NcqHL16u(2/4) AAS
>>6
仰木彬監督が長期化して、鈴木啓示氏が自分に出番が回って来るのか、不安になってた時期の話でしょう?NHKとスポーツニッポンでやってた「ネット裏の勉強」の影響でマスコミもファンも鈴木氏にそこまで悪感情が無かったんだよ。いまの立浪和義氏もそうだったけど、「指導者・指揮官をやらせてみないとわからない未知の存在」だったんだ。
11: 08/18(日)09:44 ID:NcqHL16u(3/4) AAS
繋ぎの監督が長期化してチャンスを失った本命の監督候補が他球団の監督になる、って話は他にもあって、西武・森祗晶監督の次だと見られてた田淵幸一氏をダイエーホークス監督に推薦したのは前監督の杉浦忠氏。福岡移転後試合をしながら福岡の有力企業(七社会)幹部の挨拶回りをする生活に疲れ果てた杉浦氏が1989年5月のホークス役員会で提案した。ただ田淵氏の監督適性に不安のある杉浦氏は無理して自分がもう一年続けるか福岡の球団再誘致運動の中心人物だった稲尾和久氏に監督を譲ってその下でヘッドコーチや二軍監督をやらせて指揮官の勉強をさせるつもりでいたのが、中内㓛オーナーが会議後すぐに田淵氏と会って全権監督の約束を取り付けてしまったのが迷走の始まりだった。
13: 08/18(日)19:05 ID:NcqHL16u(4/4) AAS
1993年に近鉄の小川亨打撃コーチがオリックスに移籍したり(これは立教大学の先輩の土井正三氏の招きらしい)、逆にオリックスの住友平ヘッドコーチが1991年に近鉄に移籍したり、同じ在阪パリーグなのに球団体質が水と油くらい違う、
という2チームで2人の指導がどのような影響を与えたのか、逆にどんなカルチャーギャップを感じたのか興味深い。「近鉄色を全面に出すと思われていた仰木監督は就任当初はオリックスの流儀に合わせて徐々に自分の色を出していった」というマスコミの証言があった。
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