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【平昌五輪】韓国・平昌の犬肉レストラン、五輪開催中のメニュー提供自粛を拒否 ★3 (305レス)
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123
: 2018/02/10(土)01:55
ID:3o20E1Pz0(5/6)
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123: [] 2018/02/10(土) 01:55:34.17 ID:3o20E1Pz0 江戸時代天明期の幕府官僚であり随筆家でもあった大田南畝(1749-1823)の『一話一言補遺』で 「薩摩では犬の子をとらえて腹を裂き、臓腑をとりだしたあとの腹内へ米をかしいでおさめる。 その跡を針金でかたくしばり、竈の焚き火にいれて焼く。腹内の米は黄赤色のよく蒸された飯となる。 これを「えのころ飯」という」 と、記録している。 また、「高貴の人食するのみならず、薩摩候へも進む。但候の食に充るは赤犬斗を用るといへり」 と、あり薩摩藩主もえのころ飯を食していた事が書かれています。 江戸薩摩藩邸の薩摩藩士も食していたらしい川柳がいくつか残っていることから、 えのころ飯は薩摩武家階級の贅沢メニューであったことが窺える。 http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1518188508/123
江戸時代天明期の幕府官僚であり随筆家でもあった大田南畝の一話一言補遺で 薩摩では犬の子をとらえて腹を裂き臓をとりだしたあとの腹内へ米をかしいでおさめる その跡を針金でかたくしばりの焚き火にいれて焼く腹内の米は黄赤色のよく蒸された飯となる これをえのころ飯という と記録している また高貴の人食するのみならず薩摩候へも進む但候の食に充るは赤犬斗を用るといへり とあり薩摩藩主もえのころ飯を食していた事が書かれています 江戸薩摩藩邸の薩摩藩士も食していたらしい川柳がいくつか残っていることから えのころ飯は薩摩武家階級の沢メニューであったことが窺える
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