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356: [] 2024/12/16(月) 03:38:06.00 ID:wRWpXumG0 北条氏が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)であり その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ 頼朝やその息子、孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう 政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった 金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成) ・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する ・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する ・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する ・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める ・源実朝 藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝 葛山景倫(願性) 藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性) ・安達景盛 小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?) ・足利義氏 藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1734194482/356
北条氏が乗り越えられなかったのは頼朝が構築した三河システム三河縁者が武家社会を牛耳るシステムであり その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ 頼朝やその息子孫がいなくなって政子が頼りにしたのは三河で繋がる人だったのは明白だろう 政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった 金剛三昧院本尊愛染明王は北条政子が当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成 建暦元年年北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する 承久元年年源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し以後将軍家の菩提寺として信仰する 貞応2年年北条政子が禅定如実として入道し建立奉行を葛山景倫願性安達景盛が務め源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔国宝を建立する 嘉禎4年年足利義氏は政子の十三回忌にあたり当院に大仏殿を建立し丈六の大日如来像を奉安して政子と実朝公の遺骨を納める 源実朝 藤原実範三河守藤原季兼三河四郎大夫伊勢権守令藤原季範初代藤姓熱田大宮司額田冠者三河国額田郡由良御前源頼朝源実朝 葛山景倫願性 藤原実範三河守女藤原季兼三河四郎大夫伊勢権守令の妹高橋惟康三河国高橋荘領主鮎沢惟兼葛山惟忠景忠景倫願性 安達景盛 小田野兼広三河国八名郡小野田安達盛長三河国小野田荘地頭三河守護安達景盛三河国小野田荘地頭年まで三河守護だったか? 足利義氏 藤原実範三河守藤原季兼三河四郎大夫伊勢権守令藤原季範初代藤姓熱田大宮司額田冠者三河国額田郡女養女足利義兼足利義氏三河守護
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