国立アイヌ民族博物館ウポポイ(民族共生象徴空間) (683レス)
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(1): 2021/03/03(水)21:27 ID:y8Mwu0M70(2/3) AAS
「邪馬台国」と「卑弥呼<ヒミコ/ヒメコ>」

邪馬台国は日本国の出発点というような大それたものではなく、当時としては他地域に見られない大集落で、
朝鮮半島(母国)からの継続性もあって、中国と交友を計ろうとする人が含まれていたかもしれない。

日本という国号が作られたのは、奈良時代に渡来した百済の上層階級によるものであり、「魏志倭人伝<3世紀末>」が書かれてから
「記紀<8世紀>」「万葉<7〜8世紀>」が書かれるまでの約400年の間に、九州・近畿いずれにもまとまった記録文献がない。
邪馬台国は現在の日本人が想像しているような国ではなく、文字を書けない者からなる大集落のようなものと思われる。
アメリカのアパッチ族を高度化したたぐいのものであったかもしれない。

卑弥呼については、AD3世紀の史料として扱えないという研究者もいる。

卑弥呼はシャーマン(巫女)として祭祀を司り、政治は男子がとっていたと言われている。
これは、古代朝鮮の各国の王の筆頭ブレインの中に女性のシャーマンがいたことと似ている。
シャーマンは祈祷師として、古代朝鮮の各国の政治の中心人物に含まれ極めて重要なポストにあった。
古代朝鮮は、シャーマニズムをもつ北方民族(騎馬民族)の覇権争いによって形成されているので、シャーマンが政治の場に重く位置していた。

現在でも、神社での祈祷によって合格祈願、結婚祈願をし、災難、病などを逃れようとする人は恐るべき量に達する。
祈祷が生活に密着している先進国は、韓国・日本において最も顕著だ。
医者がいず、薬もなかった時代、病を恐れて祈祷にたよる生活が続けられていた時代、祈祷師は医者の役割を担っていた。

縄文時代以前から存在した倭人は、弥生時代でもって消滅に等しくなり、奈良時代に新天地として倭国へ渡来した人々は、倭国を日本として独立・建国させたのである。
好むと好まずとにかかわらず、現日本人の祖先のほとんどが朝鮮半島からの渡来人である。
「魏志倭人伝」に記録されている邪馬台国なるものの軌跡は、日本の歴史の流れが朝鮮半島を泉源としていることを明らかにする証明書であろう。

倭国の原住民から卑弥呼なる祈祷師が生まれたとすれば説明がつかない。
彼女を支える倭人は全て渡来人(朝鮮人)であったということを信じられない人は、縄文がなぜ弥生にかわったのか、
須恵器がなぜ弥生時代に生産され始めたのか、水稲がなぜ盛んになったのか、古墳時代の古墳はなぜ朝鮮の古墳とうり二つであるかを知るべきである。

高松塚古墳の彩色壁画の婦人像の着衣が古代朝鮮の服装そのままであり、高句麗にそっくりな古墳があるのはなぜか、
荒神谷の銅剣はなぜ出雲で発掘されたのか、出雲弁はなぜ韓国語に似ているのか・・あげれば数え切れないほどの古代朝鮮の文化の流れを見ることができる。

縷々申しあげた歴史を認識しなければ、邪馬台国があったのは九州だ近畿だといつまでも論争し、邪馬台国がどのような国であったかの解明をおろそかにする。
卑弥呼なる女王について、古代の人物として朦朧たる想像の世界に追いやり、日本の古代史はわけのわからぬ神々の斟酌にとらわれることで終わる。
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