国立アイヌ民族博物館ウポポイ(民族共生象徴空間) (683レス)
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37: 2021/02/09(火)22:12 ID:L50gh5Qg0(28/31) AAS
【重要】
津軽のイヨマンテ
青森・秋田・岩手には、今日でも和井内(わいない)、生保内(おぼない)、今別(いまべつ)など、おびただしいアイヌ語地名がある。奥戸(オコッペ=興部)、シレトコ、シラヌカなどよく知られた北海道の地名と同じものもある。我々は、東北にアイヌが住んでいたのは遠い昔のことと思い込んではいないだろうか。
東北アイヌの境遇は、18世紀になると変化する。藩財政の窮乏化に伴って、アイヌの内地人化、農民化の施策がとられるようになった。租税負担者を増やし、財政の足しにしようというわけだが、もともと自給分程度の畑作を行う者もあった東北アイヌは、急速に和人化し、民族的特徴を失っていった。
三厩宇鉄村を旅した京都の医師、橘南谿は、当時の風俗を「東遊記」に遺している。
(この箇所は太宰治の「津軽」にも引用されている)
「当地は6、70年前まではエゾ村であったが、今は風俗が変わって日本人の通りになっている。しかし近所の村とは縁組をせず、顔立ちも異なって眉が一文字につながっている女子などもいる。毎年近くの今別村の寺に集まり『蝦夷踊り』を行っている」と述べており、18世紀末にはアイヌの名残を留めながらも和人の世界に同化してしまった様子が描かれている。
図92.「陸奥国津軽郡中絵図」 津軽半島の?\村 = アイヌの地
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