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活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net (435レス)
活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/
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156: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 17:08:26.25 ID:9FXz21s50 新進の作曲家・小田裕一郎は、サーカスに提供した「アメリカン・フィーリング」で注目を浴びていた。 小田は、聖子のデビュー曲「裸足の季節」から「青い珊瑚礁」「風は秋色」のシングル3部作を手がけ、 アルバムも3作続けてプロデュースしている。 聖子が他のアイドルを一線を画す理由に「アルバムの完成度」が挙げられる。 ボツになった曲を集めたものがLPという慣例に逆らい、 組曲のように明確なテーマを持ったアルバム作りに終始した。 小田はボーカルレッスンをつけながら、聖子に合う曲を模索する。 「高音部が豊かな声量できちんと出るのはもちろん、低音部の発声も素晴らしかった。 低いパートって、ともすれば宝塚歌劇のような仰々しい歌い方になったりするけど、 彼女はハスキーで魅力的な声が出た」 そして「聖子節」の完成に取りかかる 「バイオリンにおける「スラー」という演奏スタイルがあって、 いくつかの音符をくくり、音と音を滑らかに繋げる、そんな歌い方をやらせてみた。 一つ一つの音に対し、両側から滑らせながら歌うという感覚」 桑田佳祐や矢沢永吉が「フェイク唱法」と呼ばれたが、 聖子の場合、歌詞がクリアに聞こえて、尚且つ洋学的になったのである。 小田は、2曲目の「青い珊瑚礁」で仕掛けを施す。 通常、Aメロ→Bメロ→サビと展開 する流れを無視し、冒頭にサビを置いたのだ。 あの「あ〜、私の恋は〜」の印象的なフレーズがそれだ。 ピンクレディーの「ペッパー警部」のようにデュエットでは存在しても、 ソロのアイドルで高音のサビ始まりは異例のことだった。 「さすがに彼女も最初は嫌がっていたね。 いきなり高音で始まるのは新人歌手としは不安もあっただろう。 でも、それができるのは松田聖子しかいないんだから」 冒険だった「青い珊瑚礁」は、デビュー曲の倍以上の60万枚を売り上げた。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/156
157: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 17:09:03.46 ID:9FXz21s50 80年8月14日、TBSの人気番組「ザ・ベストテン」で、聖子の「青い珊瑚礁」が待望のランクインを果たす。 デビュー曲「裸足の季節」は注目曲を紹介する「スポットライト」には登場したが10位以内には届いていなかった。 実は聖子の登場まで、久米宏を筆頭とした「ザ・ベストテン」のクルーは、 山口百恵に認められたくて精力を傾けていたという。 「今夜の演出は素敵でしたわ」「来週はどうなるか楽しみです」 そんな”女神”の座も、百恵の引退に合わせて聖子に禅譲される。 放送が終わるとサブ(副調整室)を必ず訪れ、きちんとお礼を述べてから帰途につく。 1人、また1人と聖子の演出を希望するスタッフが増えていったという。 のちに「クリスマス・イヴ」や「ホームワーク」など、TBSの名作ドラマをいつくもプロデュースする遠藤環は、 当時、若手ディレクターとして「ザ・ベストテン」に関わっていた。 初登場から5週後、遠藤は「青い珊瑚礁」が初めて1位になった9月18日の担当ディレクターだった。 感動の場面を、最高に盛り上げるのは、どう演出すればいいか ・・・遠藤は、やはりデビューまでを支えた母親の存在だろうと思った。 「番組の女性デスクに福岡まで飛んでもらい、お母さんの手作りのお弁当を受け取り、そのまま東京に戻る。 中身よりも、聖子が小さい頃から親しんだお弁当箱こそ大事だった」 黒柳徹子から弁当箱を見せられた瞬間、聖子は瞳をうるませ、あまりにも有名な「お母さ〜ん!」の絶叫へとつながる。 作り手たちの意図に、これ以上ない反応を見せてくれた。 遠藤は中継後、聖子をタクシーで駅まで送っていったことがある。 真冬の寒さにも関わらず、聖子は運転手にこう告げた。 「喉に悪いので暖房を切ってください」 そんなプロ意識の高さは、聖子に次々と「伝説の扉」を開かせることになる http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/157
158: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 17:09:55.41 ID:9FXz21s50 作曲家の平尾昌晃が初めて聖子と会ったのは79年のことだった。 聖子、いや本名の「蒲池法子」は久留米市から歌手になるため 平尾が主催する音楽学院の福岡校に通っていた。 平尾は当時、福岡にライブハウスを開いた関係で、月に一度はレッスンを見る機会があった。 そこに誰よりも早く来て、誰よりも遅くまでレッスンを受けていたのが聖子だったという 「僕の好きな西田佐知子やちあきなおみにも似た、ビロードがかかった声の艶があった。 当時の発声は荒っぽいけど、中高音の伸びは圧倒的だったね」 とにかく、人懐っこい性格と、歌手になる夢を父親に認めさせる固い意志が印象的だった。 そんな79年当時、街にはインベーダーゲームの嵐が吹き荒れていた。 夢中になっていた平尾は、レッスンが終わると聖子らを引き連れて近くのゲームセンターに駆け込む。 対戦する聖子は、やはりリズム感の賜物か、平尾が舌を巻くほどの上手だった。 そんなゲームの最中も、視線をそらさずに聖子は言う。 「先生、私は歌手になって必ず成功するから!」 歌手を「夢見る」子は多いが、自分が成功している姿を「イメージ」出てきている子は珍しい。 平尾は、間違いなくこの子はプロになれるだろうと思った。 そのため、時間の無駄遣いなど一切せず、目標へ一直線に向かう姿勢が好ましかった。 「レッスンではいろんなタイプの曲を歌わせてみた。 特に印象深いのは『ボーイハント』などのオールディーズね。 ものまねではなく、自分の曲として消化できている。 次々と課題曲を与えると、一度も拒否することなく、貪欲にこなしていましたね」 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/158
159: 名無しの歌姫 [] 2015/05/24(日) 21:39:39.75 ID:t+bQSCJE0 活動再開した純子さんについて、まったり語りましょう。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/159
160: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 23:51:43.30 ID:9FXz21s50 松村和子は80年4月「帰ってこいよ」でデビューする。 聖子とは生年月日で13日違いであり、「黄金の80年組」として新人賞を争う。 松村は、30年前の日々を思い返す 「同期の皆が良かったから相乗効果で頑張れたなって思いますね。 当時は親衛隊の声援の声援もすごくて『聖子〜!』『良美〜!てなるのに、 私のときは『・・・』だったからちょっと寂しい思いも味わいましたけど」 楽屋で見る聖子はイメージと違ってキャピキャピした部分がまったくなかった。 自分を客観視できる人だと思った。 そして大晦日の天王山、「日本レコード大賞」で雌雄を決する。 順に5人が持ち歌を披露するが、岩崎は聖子の受賞曲「青い珊瑚礁」を後ろで聞きながら、 この声の伸びは聖子にしか出せないと改めて思った。 「第22回日本レコード大賞、最優秀新人賞は『ハッとして!Good』を歌った田原俊彦!」 その瞬間、誰よりも喜んでいたのが聖子だったと岩崎の目には映った。 ただし、田原を残して4人が舞台袖に引っ込む間際、松村は「もうひとつの表情」を見た。 「今にも泣き出しそうなくらい、聖子ちゃんが悔しそうにしているのを見ましたね。 あの顔は今でも忘れられない」 そして松村も岩崎も今年、同時に30周年を迎える。 松村は聖子を「子供を産んでもアイドルを続けられる先駆者」と言い、 岩崎は「ずっと皆をドキドキさせる松田聖子というブランド」と評する http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/160
161: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 23:52:29.20 ID:9FXz21s50 80年のデビュー曲「裸足の季節」や「風は秋色」、 またアルバムを含め13曲をアレンジしたのが編曲家・信田かずおである。 信田は聖子と初めて会った日のことを思い出す 「デビュー曲のオケを作っているスタジオに、学生カバンを下げてやって来たんですよ。 まだ歌入れでもないのに、スタジオに来る歌手って珍しいなと思った」 しかし、いざ歌わせてみるとそんな素朴さが一変する。 信田は車の排気量にたとえ「5000ccクラスの歌声」と評価した。 「無理したりガナったりせず、自然な歌い方で心地よい音色が出せる。 歌のキャパシティがとてつもなく広いんだと思った」 それならばーーーそれを生かすアレンジをと信田は思った。 信田は初アルバムの1曲目「〜南太平洋〜サンバの香り」を筆頭に、 アレンジには絶大な自信をうかがわせる。 「作曲の小田さんが従来の歌謡曲と違って欧米系の作りをしていた。 なので、僕のアレンジもTOTOとかボズ・スキャッグスなど、 当時の最先端の洋楽をイメージしています」 信田は「ヤマハ合歓音楽院研究室」でアレンジの勉強を重ねるが、 ここから船山基紀、萩田光雄、大村雅朗ら、当時のチャートを度巻する編曲家を輩出している。 「とにかくカッコいい音作りがやりたかった。 日本の歌に洋楽のテイストをガンガンと乗せていったし、 彼女のボーカリストとしての容量がさらに冒険させてくれた」 デビュー曲「裸足の季節」はCMに使われ、30万枚を売り上げる。 そして信田にも桜田淳子やサーカスなど、アレンジの仕事が激増したという。 やがて、あの日の「学生カバンの少女」は瞬時にアイドルを飛び越え、 アーティストの域になっていったと信田の目には映った。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/161
162: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 23:54:05.11 ID:9FXz21s50 聖子ばかりがなぜモテる!? これが近年の謎でしたが、 曲を提供して初めてわかった気がします。 メレンゲのようなフワッと甘い声質は、 彼女の感性と人生の賜物で、 時代もそれを求めてるんでしょうね 聖子ちゃんにクシャミをしてもらいました。 それをレコードにしました。 あの「クシャミ」カワイかったナァ 聖子さんは曲をしっかり自分のものにできる稀な人だと思います。 たがら、レコードの出来上がりがとても楽しみでしたが、 期待以上の出来栄えで大変満足しています。 次はもうちょっと大人っぽい曲を書いてみたいですね。 松田聖子という有名な人に、 自分の曲を歌ってもらえるのは、 大変緊張することです。 あの伸びのある声で、 今度は宇宙へ向かって歌ってください。 聖子さんは、 心象風景の詩を歌うことが出来る 唯一の女性アイドルです。 言葉の裏に潜む、 微妙な心理の揺れまで歌ってしまう天性を感じます。 このアルバムは女性の方達に聴いて欲しい。 彼女がもう、ただのお人形さんじゃなく、 同時代を生きている 一人のアーティストにステップアップしたことを知ってもらえると思います。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/162
163: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 23:54:44.20 ID:9FXz21s50 スタジオに登場した聖子さんは、阿川が思わず「年齢をお伺いしても?」 と聞いてしまうほどデビュー当時と変わらぬ輝きをしていました。 そんな聖子さんが「記憶の中で今もきらめく1曲」に選んだのは、 芸能界入りのきっかけとなったオーディションで歌った 桜田淳子さんの「気まぐれヴィーナス」。 オーディションでこの曲をうたっている最中に 思わぬハプニングが起きたといいます。 さらに、アイドルとして輝き続ける中にも 転機になる出来事があったという聖子さんに阿川が迫ります。 白パラは昔から大好きで 給食のお昼の放送でかかってクラス中で大合唱して 『お〜ねが〜いよ〜♪』の後「せいこー!」つていうのまで皆で一緒に歌ってた 聴くと懐かしい当時の記憶が今でも蘇る けどあんな単純に思える曲なのになんで当時もあんなに売れて 今聴いてもなんか心を掴まれるのか不思議な曲 聖子の歌声とあのアレンジなのかなぁ 「渚に 白いパラソル」 この、シンプルにして情景がパッと浮かぶ歌詞だな。 その後の「心は砂時計よ」「答は風の中」の方が凄いなって思う http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/163
164: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 23:55:51.91 ID:9FXz21s50 素敵にOnce Again 大切なあなた きっとまた逢える 時間旅行 あなたに逢いたくて 私だけの天使 逢いたい 素敵な明日 涙がただこぼれるだけ 聖子の作詞作曲は良い物ばかりなんだから沙也加にも作ってあげたら良い 今年の新曲なんてコンサート行った人は大喜び 沙也加だって近日行うコンサートで歌えばいい きっと聖子のコンサートみたいに盛り上がるよ 今20代の女性日本語ポップスシンガーは松浦亜弥、西野カナ、神田沙也加の3強だと思うんだが 全盛期の松田聖子ほどの魔性の魅力を持ってる人はいないんだよなぁ 二年前からずっと沙也加のブログ読んできたけどフラフラしてる印象 祖母から生まれ変わって!強くなって!新しいサヤちゃんに!とか言われてたり 沙也加自身も自分は弱い、もっと強くなりたい、変わらなきゃ、外に出なきゃと12年末〜13年春〜13年年末まで 延々と定期的にこぼしてる この時期の沙也加って聖子に相談し続けたりファンミを準備して貰ったり、結構頼ってるんだよね 沙也加は27歳だけど聖子は同じ年頃サンミューから独立したんじゃないの 弱い自分を変えたいと延々と思ってるだけじゃなく、2014年からは一人で頑張ってみせる 一度厳しい状況に自分(娘)を置く 親子が話し合った上での選択なんじゃないかと思うけどね 母が傍に居ると無意識の内に弱さが出てしまう 昨年までの沙也加を観てるとそんな感じがしてしょうがない http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/164
165: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 23:56:55.06 ID:9FXz21s50 その文章やイラストを書いたのが聖子本人だとしても、個人的には 特段なんてことはないと思うんだよね。 不倫の是非は別として、肉体関係のある恋人同士が二人だけのときに どういう振る舞いをするか、実感として知っていれば別に普通のことでしょ。 他人の前では絶対しないような子どもじみた真似をして甘えたり、自分を さらけ出すことによって、いわば二人だけの秘密の花園を作っていくのは、 よくあることじゃない? むしろ、聖子って恋をすると相手に身体全体でぶつかっていく情熱的な娘 なんだなと、好感を持ってしまうけどね。 ただ、夢中になった相手がジェフ君やアラン・リードという、あまりにも雑魚 だった点は、聖子の社会的評価を大きく下げたし、残念ながら俺の中でも そうだった。 でもだからといって80年代半ばまでの聖子愛は変わらないけどね。 松田聖子はデビューした年から翌年にかけては、「ぶりっ子」(かわいい子ぶっている子、 という意味)だとして同年代の女性からは徹底的に嫌われていた。やがて、「聖子は嫌い だけれと、聖子の歌は好き」になり、「聖子の歌も本人も好き」へ変化し、そのピークに彼女 は結婚する。その後、出産してもアイドルでありつづけるようになると、「松田聖子の生き方 が好き」と女性たちから圧倒的な支持を受けるようになった。その一方で、男性が権力を 握っている芸能マスコミからはバッシングを受けるようになる。男性のほうが「聖子の歌は 好きだが、あの生き方は嫌い」となるのだった。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/165
166: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 23:57:42.96 ID:9FXz21s50 聖子さん唯一のミリオンセラーです。あなたに逢いたくて、どうぞ。 『あなたに会いたい あなたに会えなくて寂しい 本当に愛している あなたに狂っているの (中略) そして......これは質問よ これは何?(※すぐ横に、パンティーのイラストが描かれている) あなたは知っているわよね』 『今、きっとあなた、シャワーを浴びているんでしょう。 きっと今のあなた、セクシーね。 私、我慢できないわ。 私にはとってもいいものが必要なの。 あなたはそれが何か知っているわ。 うーん、とても素敵なの。』 もう待てないわ。 この状態はとてもつらいの。 私達は一緒になるべきだわ。 とてもクレイジーなこと、でしょう? 早く会いたい。いつもあなたのこと考えている。 寂しいわ。愛してる…。 とっても素敵よ!聖子!! http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/166
167: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/24(日) 23:58:57.34 ID:9FXz21s50 聖子は曲の詞に込められた意図やニュアンスを理解する能力という面では優れた ものを持ってるわけではないと思う。 赤いスイートピーのレコーディングのときも、最初は悲しそうに歌っていて、ユーミンに、 そうじゃないの、この曲は、これから好きな人と一緒に歩んで行こうという希望に満ちた 曲なんだからと指導されたそうだ。 だから、優れたスタッフで構成されたチームがあってこその聖子だったということだろうね。 1枚目「スコール」と2枚目「ノースウインド」は三浦徳子と小田祐一郎のアルバムだよね。 2枚目で平尾昌章が「eighteen」1曲書いてる以外は全曲三浦・小田の作品だから。 俺の想像だけど、小田が「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」で種切れになったのかと。 良い曲程度ならいくらでも書けるだろうけど、「青い珊瑚礁」に匹敵する歴史的名曲はもう書けない という状態になり、では次はどうしようかと模索している段階で作ったのが3枚目「シルエット」 だったのではないかと。 だから、シルエットの中のシングル曲2曲「チェリー」「夏の扉」とも財津作になっている。 そしてこの時期から松本隆が実質的なプロデューサーとなり、自身の交友関係から、大瀧の起用 を挟んでユーミン体制に移行していくという感じ。 思うに、松本隆は財津の才能は認めていただろうけれども、全幅の信頼を寄せる という程ではなく、逆にどこか自分とは合わないという感覚を持っていたのではない だろうか。 財津作曲の「レンガの小径」が一旦はシングルA面に決定していながら、松本がどう しても納得できず、松本の独断で土壇場にボツにし、その替りにユーミンに泣きついて 「秘密の花園」を書いてもらったというエピソードからしても。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/167
168: 名無しの歌姫 [] 2015/05/25(月) 20:14:24.04 ID:uf0zc/8B0 活動再開した純子さんについて、まったり語りましょう。 荒らしは完全放置でお願いします。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/168
169: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/25(月) 22:42:20.11 ID:M9o+qmcC0 ユーミンが聖子に提供した曲は全12曲で、全てシングルのA面とそのB面である。 「赤いスイートピー」「制服」「渚のバルコニー」「レモネードの夏」 「小麦色のマーメイド」「マドラスチェックの恋人」「秘密の花園」 「瞳はダイアモンド」「蒼いフォトグラフ」 「Rock'n Rouge」「ボン・ボヤージュ」 「時間の国のアリス」 印税を考えればわかるが、これは他の作曲家と比較すると破格の厚遇だ。 財津和夫は「チェリーブラッサム」以降シングル曲もアルバム用の曲も多数 提供しているが、来生たかお(当時、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」 や大橋純子の「シルエットロマンス」を大ヒットさせ新進気鋭の扱いだった)、 原田真二、南佳孝らが提供した曲にシングル曲は無く、アルバム用の曲のみ であるのと比較すればその差は歴然だ。 歌謡曲への曲提供を渋っていたユーミンをその気にさせたのは松本が言った 口説き文句「ライバルに曲を書いてみる気ない?」というお話しがあるが、 その裏には、CBSソニーがそこまで別格待遇を提示するのならというのが あったのだろうね。 「赤いスイートピー」「制服」「渚のバルコニー」「レモネードの夏」 「小麦色のマーメイド」「マドラスチェックの恋人」 の3部作(6部作)でやるべき使命を果たし、一区切りと感じたユーミンは、実は そこで辞めたかったのかもしれない。 だが、松本に懇請されて「秘密の花園」を書き、 その後も本心では気が進まないまま、強い懇請を断りきれずに 「瞳はダイアモンド」「蒼いフォトグラフ」と、「Rock'n Rouge」「ボン・ボヤージュ」 を書いたのではないだろうか。 結果、その2曲(4曲)は、アルバム「Canary」「Tinker Bell」にとって欠かせない 曲になっているわけだから、やはり聖子にとってユーミンの貢献は計り知れない。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/169
170: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/25(月) 22:43:18.31 ID:M9o+qmcC0 80年5月くらいからの1年、 82年7月くらいからの2、3年、 86年、90年代の一時期 こういう時期と比べたらあかん それと35年近くのキャリアとかと でも沙也加は聖子と違った意味で超人 芝居、声優、よどみないトーク、そして作詞 オレも否定的だったけどIfをフルで聞いたあたりから変わってきた この人ならバンドでも成功できるんじゃないか? 正直バンドでの成功はしんどいと思う いまのCD売れない時代にはよほどのきっかけがないと むしろ、ボーカリストとしての価値を高めていく方が 将来的には他の歌手との差別化につながると思うんだけどな 親子そろって表現することに対して拘りが強いのかなとは思うけど 50代禿 持病ありの聖子暦8年の加齢臭だが、最近 ティンカーベルを聞き直して Sleeping Beautyにはまった これは何ぞ・・・! この詩の世界がものすごく切なくて耐えられん! やっぱ残る曲はみんな真剣だなあ この一瞬の世界を 甘いバラードに乗せて聖子が歌うと もうそこはファンタジーとリアルの分水嶺 あまりに素晴らしくて涙出た http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/170
171: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/25(月) 22:44:16.76 ID:M9o+qmcC0 SQUALL 1980年8月1日 rth Wind 1980年12月1日 Silhouette ?シルエット? 1981年5月21日 初期のアルバム、3部作がガイキチになるくらい好きですね。 あとは、ユートピア 1983年6月1日 ですね。 わたしは、当時10回くらいはコンサートにいっていると思うのですが、なぜか、 Silhouette からの曲はほとんど歌われてない気がします。 いまの夏ライブ、年越しライブでもその傾向があるような・・・・・ 大好きなシングル曲は、 夏の扉 小麦色のマーメード アルバムからは、 白い恋人 銀色のオートバイ セイシェルの夕陽。まあ初期はぜんぶ好きです。 15枚目の Citron 辺りまでは、アイドルを超越した完成度だと思います。 明菜、きょんきょん、奈緒子なども聴いていましたが、アルバムの出来は天と地ですねぇw 当時、ほんとうにすさまじい人気でしたねぇ、青い珊瑚礁のころは学校内、全員聖子でした。 AKBとかの比ではない、超人気ですわ、男性の田原トシちゃん、マッチも 風は秋色の出だしの部分はなんかエッチなんだよなアルバム風立ちぬは大瀧詠一の転調する メロデーに松田聖子カラーの融合スゴス 曲全体 出だしはおとなしく、ゆったりとしている 間奏からドラマチックに盛り上げる 歌詞 起承転結型間奏 イマジネーションを膨らませる曲想 動画でも白パラの見せ場の一つになっている) 編曲 当時のポップスのイメージでありながら、伝統的な歌謡曲的な要素も共存している 起承転結の「転」にあたる「涙を糸で繋げば〜」の伴奏の音作りに微妙な変化を付けて緊張感を 持たせている。また、最後の「愛の予感」の「ん〜」に 冒頭の「お願いよ」のメロディを伴奏で被せて、 幸福感を高めている。歌唱 「パラソルー」の「ルー」の抜けるような低音 秘めた情熱を感じさせる「あなたを知りたい」の「た」から「い」の落差 1フレーズに強い強弱を付けてメリハリを効かせている http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/171
172: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/25(月) 22:45:08.44 ID:M9o+qmcC0 松田聖子は世界一素晴らしい! 頼むから以下の曲を聴いてください! ・水色の朝・ひまわりの丘・あ・な・たの手紙・present ・Sunset Beach・Sailing・ピーチ・シャーベット・メディテーション ・今夜はソフィストケート・続.赤いスィートピー・愛されたいの ・Romance・マドラスチェックの恋人・冬の妖精 ・雨のリゾート・Sleeping beauty・with you・小さなラブソング ・黄色いカーディガン・真冬の恋人達・ウィンターガーデン・白い恋人 ・流星ナイト・Only my love・マイアミ午前五時・Canary・ボーイの季節 ・パールホワイトイブ・夏服のイヴ・夏のジュエリー・花びら 最近ハマッたのはロマンス あのダブル聖子はいろんな意味で凄すぎる マジで双子の姉妹に見える どっちか片方、俺と結婚してくれないかな。。。 俺は緑だなぁ… 俺は黒の足が気になる RomanceとOnly My Love 定番の名曲なのに何でシングル盤で出さなかったのだろう・・・ 作詞・作曲家の時期が違うのであり得ないんだが、 Only〜が83年の勝負曲だったらレコ大獲ったかも。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/172
173: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/25(月) 22:45:51.77 ID:M9o+qmcC0 「現役歌手・松田聖子」は、@声域が狭くなりA声に艶がなくなったことで、大変な危機にあるんだ。 デビュー30周年まで後1年半、というところまで来ているのに、(25周年の直前の時期と違って)本人とその周辺(fanticのこと)から、全然「祝賀ムード」が伝わって来ない。 下手をすると「30周年の年末で歌手を引退」ということも、あり得るかも知れない。 断っておくが「俺が、俺が」という気持ちは毛頭ない。だから、例えば、最近「初期・松田聖子」のファンになった人も、何か要望やアイデアがあれば、どんどん事務所のfanticを通して松田聖子さんに送ってあげてほしい。 同学年の自分が思いつかないような発想で、歌手・松田聖子の「もう、ひと盛り上がり」に貢献してもらえたら、非常にありがたい。 松田聖子、中森明菜、(業界は違うが)長与千種....。40代における「衰えとの戦い」は、本当に大変。 しがない塾教師の自分も毎日が「衰えとの戦い」だ。 若い教え子たちが自分の支えであるように、松田聖子さんも、若い世代の人々のエネルギーや感性を必要としているはず。 ホント、よろしく頼む! http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/173
174: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/25(月) 22:46:41.30 ID:M9o+qmcC0 どうも、松田聖子さんは「復活」は考えていないようだね。 紗也加に対する「歌手魂の口伝」も始まったようだ。(ソース=サヤブロ) 根本的な問題として、今の松田聖子さんは声の音域が極端に狭くなってしまって、 まともに出せる音域が1オクターブちょっとくらい。 チェリーブラッサムに頃は1オクターブ半、出せていたから、この差は大きい。 音域が狭いから、なかなか高音域に向かって盛り上がっていく曲が歌えない。 コンサートで昔の曲を歌う時は半音か一音、キーを下げている。すると、今度は低音部の表現が弱くなるというジレンマ。 そんな松田聖子さんだが、何とかして音楽の世界にかかわっていたいと考えているのだろう。 その具体的な方法が@セルフの断行とA紗也加の育成....ということになるものと思われる。 セルフについては作曲がものになるかどうか....。他の歌手からのオファーが来ないが、実は松田聖子さんはそれを待ち望んでいると思う。 紗也加の件も、あまり「過干渉」になってもいけないし、親子と言えども路線がかなり違っている。 幸いにして紗也加はレ・ミゼラブルのコゼット役ゲットなど、ミュージカルでブレイク中だが....。 今の松田聖子さんは(もともと声帯が強くなくて1981年後半に喉を痛めた経験もあり、)「いつか歌えなくなる日が来るのでは」という恐怖と 懸命に闘っているのだろう。 同学年のこの自分も、体の衰えと仕事との兼ね合いは悩みの種。 復活がないならないで、やっぱり松田聖子さんをほっておけないね http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/174
175: 名無しの歌姫 [sage] 2015/05/25(月) 22:47:31.58 ID:M9o+qmcC0 ほとんど全てのアイドル歌手は持ってる力すべて出し切って一杯一杯で歌ってるよね。 松田聖子の偉大なところは、実力を出し切らず余裕を残して歌うことができること。 前スレに転載されたアサヒ芸能「松田聖子を創った男たち」の中の、信田かずお氏が 聖子の歌を、車の排気量にたとえ「5000ccクラスの歌声」と評価したところが、まさに ピッタリくる。 5000ccの車で高速を時速100キロくらいで流すときの気持ち良さとでも言うかな。 夜ヒットで郷と続けて歌った時の「野ばらのエチュード」、たまらん。 特に、まだ青い葡萄の実〜〜昨日までの私みたい、の流れの表情の変化が まるで歌の中の世界の聖子ちゃんが乗り移っているよう @何故、夏のセイシェルでコールドドリンクで なく、熱い紅茶を飲むのか。 A何故、男は身に着けない「真珠の首飾り」を 彼氏に贈るのか。 B何故「公式」で自分のことを、聖子「さん」 と呼ぶのか。 ガラスの林檎の「ガーァラスの林檎たち〜」の部分は1分53秒からのが一番好き。 どうやって歌ってるんだ…あの年のあの時期だからこその歌唱だね http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/musicjf/1429275982/175
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