[過去ログ] 活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net (435レス)
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167: 2015/05/24(日)23:58 ID:9FXz21s50(16/16) AAS
聖子は曲の詞に込められた意図やニュアンスを理解する能力という面では優れた
ものを持ってるわけではないと思う。
赤いスイートピーのレコーディングのときも、最初は悲しそうに歌っていて、ユーミンに、
そうじゃないの、この曲は、これから好きな人と一緒に歩んで行こうという希望に満ちた
曲なんだからと指導されたそうだ。
だから、優れたスタッフで構成されたチームがあってこその聖子だったということだろうね。
1枚目「スコール」と2枚目「ノースウインド」は三浦徳子と小田祐一郎のアルバムだよね。
2枚目で平尾昌章が「eighteen」1曲書いてる以外は全曲三浦・小田の作品だから。
俺の想像だけど、小田が「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」で種切れになったのかと。
良い曲程度ならいくらでも書けるだろうけど、「青い珊瑚礁」に匹敵する歴史的名曲はもう書けない
という状態になり、では次はどうしようかと模索している段階で作ったのが3枚目「シルエット」
だったのではないかと。
だから、シルエットの中のシングル曲2曲「チェリー」「夏の扉」とも財津作になっている。
そしてこの時期から松本隆が実質的なプロデューサーとなり、自身の交友関係から、大瀧の起用
を挟んでユーミン体制に移行していくという感じ。
思うに、松本隆は財津の才能は認めていただろうけれども、全幅の信頼を寄せる
という程ではなく、逆にどこか自分とは合わないという感覚を持っていたのではない
だろうか。
財津作曲の「レンガの小径」が一旦はシングルA面に決定していながら、松本がどう
しても納得できず、松本の独断で土壇場にボツにし、その替りにユーミンに泣きついて
「秘密の花園」を書いてもらったというエピソードからしても。
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