幕末剣豪強さ議論と雑談 (718レス)
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34: 白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA 2010/02/11(木)15:28 AAS
>>30-31及び>>32
>>33の続き。駒ヶ峰の戦闘では、寡兵の神機隊の抜刀斬り込み攻撃で
多勢の奥羽同盟軍を敗走させた。「是に於いて皆銃をなげうち剣を
抜き吶喊して突撃を為し、躍て駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に
登り、縦横斬殺し賊兵は兵器輜重をなげうち死屍を捨てて
敗走せり。」と、強いのう。じゃが、他の諸藩の連中は
「初め我兵の突貫するや、諸藩兵は之を視て聊か其無暴を嗤笑する」
と、戦闘の常道の発想しか出来んが、庶民兵は常道より勇気じゃ
けんのう。特に広島県の庶民兵じゃけえ、負けてたまるかじゃ。
35
(1): 2010/02/11(木)22:44 AAS
なんだ広島のやくざの妄想か
36
(2): 白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA 2010/02/11(木)23:24 AAS
>>35
妄想はあんたじゃ。貧弱な役人(江戸期の武士)が剣術をかじっても、
道場の井の中でしか通用せんわ。今井氏の指摘は真実じゃのう。
修行すればするほど剣術をかじった同類型の道場剣術使い相手しか
通用せん技量を磨く自慰行為になるけんのう。
武士の精神も、千葉徳爾氏が「家禄に依存し太平の世に武を放棄して
金銭を欲しながら生きる者が多くなった彼等よりも、常に山野に
あって、生きた野生動物と闘って生計を立てて来た漁夫や猟人たちの
間にこそ、むしろ強く受け継がれて来た」云うことよ。
武士の起源は、狩猟民、漁撈民で土地に縛られた農民や安定した
省4
37: 2010/02/12(金)09:44 AAS
だいぶ話が脱線してるなぁ!>>28のレスを見ると龍馬と中岡やった奴らも相当な手練だな!
38
(1): 2010/02/12(金)23:15 AAS
通りすがりですが今井氏は最後クリスチャンになられたんですよ。
そして人を殺めること、殺めるすべをすべて否定されるようになりました。
また氏の晩年の時代はかつての佐幕派を時代錯誤で物事の良しあしの判断も
出来ない輩というような厳しい評価がされていた時代でした。
新撰組もほとんと扱われず玉に名前が出てもゴキブリのような悪役。
氏も龍馬の件を聞かれると、若年故判断がつかずお国の進路を邪魔するようなことを
してしまったと語っていました。
剣術など、と言うのもそうした背景あってかと思いますが
39: 2010/02/12(金)23:26 AAS
なぜ中世の広島県民は戦争が弱かったのか
2chスレ:history
40: 2010/02/13(土)05:02 AAS
ロバート・フォーチュン 「幕末日本探訪記」
その辺りの平地の所で、サムライが始終教練を行っているらしい。
囲いの高い柵や潅木の茂みで視界がひどく妨げられたが、時々兵隊の旗や、武器が見えた。
大名達は彼らの藩兵に、戦争の技術を絶えず訓練させていたのである。
そのころ江戸の大名屋敷の傍らを通ると、剣術をやっている喧しい物音が聞こえた。
私が江戸に滞在している間に、同じような音響をしばしば耳にした。
もし、不幸にして、ヨーロッパ諸国が日本と戦うようなことが起こったら、
日本人は支那人よりも非常に優勢なことが判るだろう。
しかし、そのような、日本人と戦うようなことは、遠い将来のことにさせたいものだ。
41
(1): 2010/02/13(土)05:14 AAS
>>20
あの道場は化物ぞろいだな

形稽古の威力-寺田五右衛門

 一刀流の中西忠兵衛子正の門下に
寺田五右衛門、白井亨という二人の組み太刀の名人があった。
何れも劣らぬ豪傑で一見識をたてた人々であるから
その門に居ながら師家中西氏の教え方とは違って、
一つ道場に於て寺田派、白井派、中西派と三派に分れ、
もみ合って稽古し、その都度稽古が一致しないで議論が沸騰していたというから面白い。
寺田は轄打の稽古は更にやらない人で組み太刀ばかり稽古をした人である。
省3
42
(1): 2010/02/13(土)05:15 AAS
「拙者は何れも御承知の通り仕合は好まない、
然し、強って望みとのことならば是非に及ばず、
拙者は馴れたる素面素籠手で木刀をもってお相手をする、
お手前たちは、面籠手身を堅め、こちらに隙があらば少しも遠慮に及ばぬ故、
頭なり腹なり勝手次第に充分に打ち給え」

と、云い放ったので、何れもその広言を憤り、
寺田に重傷を負わしくれんものと一人手早く道具をつけ輻を打ち振ってたち向う、
寺田は素肌で二尺三寸五分の木太刀を携げしずしずと立ち出でて来た。

スワ、事こそ起りたれと、師の中西氏をはじめ手に汗を握り勝負如何と見詰めているうち相手
は寺田の頭上真二つに打ちおろさんと心中に思う時、寺田が声をかけて、
省2
43
(1): 2010/02/13(土)05:16 AAS
そこで相手がまたこんどは寺田氏の小手を打ち折ってやろうと思う途端、寺田は、
「小手へ打って来れば斬り落して突くぞ」
と、悉く相手の思うところ、為そうとするところを察して、
そのことを一々機先を制して云い当ててしまうにより、
相手はなかなか恐しくなり、手も足も出しようがなくなり、
すごすごその場を引き退いて感服するより外はない、
その後へ二人三人入り代り、吾れこそ寺田を打ち据え呉れんと、
代る代る立合ったけれども何れも同様で
寺田に一度も打ち出すことが出来なかったということである。
44: 2010/02/13(土)23:05 AAS
寺田屋事件でも鎮武士側には剣の達人を選んで送りこんだんだよな。で、
一人犠牲になったけど相手をほぼせん滅。
上田馬之助は酒の席で喧嘩になり相手二人を斬殺。強い奴は強いんじゃないの。
第一抜刀突撃に対応できてたなら抜刀隊送りこむ必要なかったわけだし
45
(2): 白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA 2010/02/14(日)01:13 AAS
>>38
クリスチャンなら殺すことを否定し、仏教徒や今井氏のような
武士階級の儒教徒なら殺人するじゃの偏見が強過ぎやしませんか。
道場剣術は道場内か剣術をやった相手にしか通用せんもんです。
じゃけぇ、手の内が読めん素人の方が予測不可能な攻撃をして
来るけぇ怖いわけですよ。今井氏の言を素直に読んだ方が
ええですよ。論理観念論云う空論に陥らんように。
46: 2010/02/14(日)12:13 AAS
「城中病院と相見え居り候所へは死骸山のごとく積立てこれあり。
間々存命の者共御座候につき切り捨て置き候」
「ついに四番隊より奉行所打ち入り申し候ところ、半死半生の者みな首を
切り、人数余多の事にて何十人とは相わからず候」

鳥羽・伏見の戦いで、伏見奉行所の隣にあった野戦病院に切り込んだ薩摩軍
の戦闘記録。傷病者の首を切ってしまうには刀が必要だった。
47: 2010/02/14(日)12:54 AAS
「我々の同僚であった通訳生は、昼も夜も彼につきまとう恐怖感で頭がいっぱいになり、
公使館の門から決して出ようとせず、第九連隊の一団と大勢の護衛がいるにも関わらず、
さらに防御を固めるためにアームストロング砲を二門本国から取り寄せてほしいと公使に懇願したのである。

 ある晩、哀れな若者はそれ以上耐え切れなくなった。
彼は仲間と一緒に静かに食事をして自分の部屋へ戻った。
銃声が二度聞こえた。
最初の一発が失敗したのは、手が震えたせいだと思われるが、
その弾丸は天井から発見された。
二度目が致命傷であった。
自殺は伝染するというが、その週のうちに横浜で二度同じような事件が起きた」
省1
48
(1): 2010/02/14(日)22:27 AAS
>>45 偏見とかでなくクリスチャン信仰というものを知らなさすぎ。9.11テロ
のときにWTCビルから煙に耐えかね飛び降りた被害者を非難する声が結構あったのを
ご存知ですか?
49: 2010/02/15(月)19:25 AAS
新撰組は1人を複数で殺す。
つまり1人1人はたいしたことないだろうな。
50: 2010/02/15(月)21:37 AAS
AA省
51
(1): 白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA 2010/02/16(火)01:37 AAS
>>48
あんたクリスチャンなら宗派は何なら。
カトリックか新教の中でもルター派かカルビン派か?
カルビン派としてもメソジストかバプティストか具体的に書いて、
今井氏の宗派の思想と比較して語ってから、わしにカバチ垂れるんが
筋じゃろう。ちゃんと回答しときんさいや。
52: 2010/02/16(火)01:42 AAS
うぜぇ、書き方。さみしいのね
53
(1): 2010/02/16(火)02:21 AAS
桐野利秋最強
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