[過去ログ] 【草萌える】松田聖子 38【レンガの小径】©2ch.net (1001レス)
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9: 2015/02/25(水)03:09 ID:??? AAS
アサヒ芸能 2010年の連載「松田聖子を創った男たち」第二回より

作曲家の平尾昌晃が初めて聖子と会ったのは79年のことだった。
聖子、いや本名の「蒲池法子」は久留米市から歌手になるため
平尾が主催する音楽学院の福岡校に通っていた。

平尾は当時、福岡にライブハウスを開いた関係で、月に一度はレッスンを見る機会があった。
そこに誰よりも早く来て、誰よりも遅くまでレッスンを受けていたのが聖子だったという
「僕の好きな西田佐知子やちあきなおみにも似た、ビロードがかかった声の艶があった。
当時の発声は荒っぽいけど、中高音の伸びは圧倒的だったね」
とにかく、人懐っこい性格と、歌手になる夢を父親に認めさせる固い意志が印象的だった。

そんな79年当時、街にはインベーダーゲームの嵐が吹き荒れていた。
夢中になっていた平尾は、レッスンが終わると聖子らを引き連れて近くのゲームセンターに駆け込む。
対戦する聖子は、やはりリズム感の賜物か、平尾が舌を巻くほどの上手だった。

そんなゲームの最中も、視線をそらさずに聖子は言う。
「先生、私は歌手になって必ず成功するから!」
歌手を「夢見る」子は多いが、自分が成功している姿を「イメージ」出てきている子は珍しい。
平尾は、間違いなくこの子はプロになれるだろうと思った。
そのため、時間の無駄遣いなど一切せず、目標へ一直線に向かう姿勢が好ましかった。

「レッスンではいろんなタイプの曲を歌わせてみた。
特に印象深いのは『ボーイハント』などのオールディーズね。
ものまねではなく、自分の曲として消化できている。
次々と課題曲を与えると、一度も拒否することなく、貪欲にこなしていましたね」

平尾がのちに1作だけ手がけた聖子ナンバーは、
3枚目のシングル「風は秋色」と両A面扱いだった「Eighteen」である。
それは、あの日の「ボーイハント」を彷彿とさせるオールドポップス調の逸品に仕上がっていた・・・
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