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【韓国】 李朝=インカ帝国説〜古田博司筑波大教授「李朝には木を曲げる技術がなかった」[06/09] (1001レス)
【韓国】 李朝=インカ帝国説〜古田博司筑波大教授「李朝には木を曲げる技術がなかった」[06/09] http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1244637410/
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332: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん [sage] 2009/06/10(水) 22:13:57 ID:EUhtJ4yV 「 日韓・歴史克服への道 」 下條正男 平成11年 展転社 日本の技術を学んで帰った通信使 では、日本を訪れた通信使たちは、日本でなにを見、いかに感じて帰国していたのであろうか。 室町時代前期の1429年、日本にきた朴端生は、次のように復命していた。 それによると「 日本の農人水車の設けあり 」として、学生の金慎に「 造車の法 」を精査させて模型を作り、 鍍銀( 銀めっき)、造紙( 紙漉)、朱紅、軽粉等の製造法を報告している。 この時の復命では、日本の貨幣経済の実態や店舗商業の発展等にも及んだが、その中で技術に言及していたのは、 渡航前に世宗から「 倭紙堅靱、造作の法また宜しく伝習すべし」と、日本の技術を導入するよう命じられていたからである。 だが残念なことに、それらの技術はいずれも朝鮮の風土に定着しなかった。 灌漑施設としての水車の優秀性は、その後も何度か提議されていたし、造紙のほうも17世紀になり、 柳馨遠が「 倭楮の軽沢精緻に如かず 」と、日本の楮( こうぞ)である倭楮を使った紙の製造を提唱しているからだ。 これらの事実は、朝鮮側には日本の技術を受容し維持するだけの土壌が整っていなかったことを示している。 これに対して日本では、朴端生が日本を訪れる百年以上も前に、水車を利用して離宮に川の水を汲み上げた話が 『 徒然草 』( 第五十一段)に記されている。その水車が農民たちの手で取り付けられていたことを考えると、 当時、日本と朝鮮の間には相当の技術格差があったことがわかる。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1244637410/332
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