[過去ログ] 【米国】 警察に射殺された黒人少年の追悼デモで韓人商店略奪〜韓黒葛藤再燃か(ブルックリン)[03/13] (580レス)
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278: <丶`∀´> 2013/03/14(木)02:53 ID:JPieuj23(1) AAS
>>4
ロス暴動:
1992年4月末から5月頭にかけて、アメリカ合衆国・ロサンゼルスで起きた大規模な暴動。
潜在的要因:
ロス暴動はロドニー・キング事件に対する白人警察官への無罪評決をきっかけに、突如起こったかの様な印象で日本では報道された。
潜在的要因として、ロサンゼルスにおける人種間の緊張の高まりがあった。
アフリカ系アメリカ人の高い失業率、ロサンゼルス市警察(以下「ロス市警」)による黒人への恒常的な圧力、
韓国人店主による黒人少女(ラターシャ・ハーリンズ)射殺事件とその判決に対する不満などが重なり、
重層的な怒りがサウスセントラル地区の黒人社会に渦巻いていた。
そこにロドニー・キング事件のロス市警警官に対して無罪評決が下されたことが引き金となって、黒人社会の怒りが一気に噴出して起きた事件である。
サウスセントラル地区の人口比率の変動と人種間の緊張:
サウスセントラルはかつて黒人地区だったが、韓国系アメリカ人がそれまで黒人の所有していた酒屋や雑貨店などを買い取って商売を始めていた。
それまで黒人が一手に引き受けていた単純労働は、半分の賃金で働くラテン系移民へと移っていった。
また韓国人(コリアンアメリカン)による極端な黒人蔑視もあり、黒人社会と韓国人社会全体が明確に断絶していた。
黒人住民たちは韓国人商店の客扱いが酷く、商品が値上がりしているとの不満を持っていた。
ラターシャ・ハーリンズ射殺事件:
ロドニー・キング事件のわずか13日後の1991年3月16日、持参したバックパックに1ドル79セントのオレンジジュースを入れ、
手に支払いのための小銭を握っていた黒人少女(15歳)ラターシャ・ハーリンズを、
韓国系アメリカ人の女性店主、斗順子(トウ・スンジャ、49歳)が射殺したのである。
事件の様子は防犯ビデオに収められており、2人は揉み合いになったのちに少女が店主の顔面を4度殴打、店主は床面に激しく転倒させられた。
店主は少女に椅子を投げつけた。その後、オレンジジュースをカウンターに置き、店から出て行く少女に対し、
韓国女店主は背後から銃を向け、その頭部を撃ち抜いた。
少女は手に小銭を持ち、なにも盗んではいなかったことがビデオで証明されている。
斗順子は逮捕され、事件の判決は同年11月15日に出された。陪審員は16年の懲役を要求していたが、
判決は5年間の保護観察処分、ボランティア活動400時間、罰金500ドルと殺人罪としては異例に軽いものであった。
この判決は黒人社会の怒りを再び煽ることとなり、無実の黒人少女を射殺するというこの事件により、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。
ブラック・コリア:
1991年11月5日、ラッパーのアイス・キューブはアルバム“Death Certificate”を発表。
このアルバムのなかに収録された“BLACK KOREA”という曲において、
韓国系アメリカ人の経営する商店で、黒人の少年少女が入店すると、商店主が万引きしないか猜疑のまなざしで見たり、
後をつけたりすることを歌詞でのべ、黒人社会と韓国人社会間に存在する軋轢を描いた。
韓国人商店街への襲撃:
韓国人商店主らが防衛のために拳銃を水平発射しているシーンも幾度となくテレビにおいて放映された。
ベトナム戦争に参加した韓国人帰還兵に米国政府が移住許可を与えたため、70年代に韓国系移民が4倍も増えた。
彼らは主に競合相手のいない黒人街で商売を始め、従業員には黒人でなくヒスパニック系を雇い、
閉店すると店を厳重にガードし、そそくさと韓国人街へ帰るというスタイルで商売していた。
黒人の間では「自分達を差別しながら商売する連中」というイメージが定着した。
そうした黒人による日頃からの韓国系への鬱憤が、暴動時の韓国人商店襲撃へと結びついた。
その他:
映画コラムニストのジャンクハンター吉田がアメリカに滞在していた頃、ロス暴動に遭遇。
たまたま黒人達と鉢合わせになり生命の危機を覚悟したが、黒人から
「おまえは韓国人(韓国系アメリカ人)か?」
と聞かれ、自分が日本人である事を証明すると比較的安全な所に匿われ、周りが沈静化すると
「ここは危険だから早くこの地区から逃げろ」
と諭された出来事を体験している
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